「週刊新潮」に寄稿した書評です。
新津きよみ『猫に引かれて善光寺』
光文社文庫 770円
長野市で一人の女性が殺害される。目撃者はニシンという飼い猫だけだ。松本市に住む主婦・清水真紀は、あるきっかけでニシンを預かった。同時に、この事件の真相を探ることになる。素人探偵の推理劇はもちろん、松本の喫茶店「まるも」など地元のスポットが実名で登場するのも本書の楽しみだ。大町市出身で松本の高校を卒業した著者ならではの文庫書下ろし〈信州ミステリー〉である。
荒俣宏『福翁夢中伝』上・下
早川書房 各1980円
奇想の評伝小説である。年齢もキャリアも異なる複数の「福澤」が、時間や空間を超越して自らの歩みを語るのだ。時には福澤青年が老年の福澤を叱ったりする。勝海舟との確執や大隈重信との皇室談義など刺激的なエピソードが並ぶが、語り手は福澤だけではない。「作者」と称する人物まで登場し、福澤の言説にツッコミを入れていく。塾員(慶應OB)である著者による令和版『福翁自伝』だ。
坂本龍一、中沢新一『新版 縄文聖地巡礼』
イースト・プレス 2420円
2004年からの数年間、坂本と中沢は全国各地の縄文遺跡を訪ねる「巡礼」の旅をした。青森の三内丸山遺跡に始まり、諏訪、若狭・敦賀、奈良・紀伊田辺、山口、鹿児島と巡り、再び青森へと向かう。諏訪では「生命力のある死」を感じ、紀伊田辺では「未来に向かっての縄文文化」のモデルとしての南方熊楠を語り合う。現地に立ったからこそ生まれた刺激的な対話は、20年後の今も多くの示唆に富む。
早川義夫『海の見える風景』
文遊社 1980円
早川と仲間たちが1968年に出したアルバム『ジャックスの世界』を聴いた人も、後に書店主となって書いた『ぼくは本屋のおやじさん』を読んだ人もいるはずだ。本書は妻を亡くしたことをきっかけに、海辺の町で一人暮らしをしている著者のエッセイ集である。綴られているのは、愛すべき偏屈男の日常と妻への思いだ。行間には静かな諦念と小さな希望が漂い、不思議な温もりを感じさせてくれる。
(週刊新潮 2024.02.08号)