大河ドラマ『べらぼう』は、
なぜ「もやもや」するのか
今年のNHK大河ドラマは『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。
主人公の蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう/横浜流星)は実在の人物です。江戸時代の中頃に「版元(はんもと)」、つまり出版社を経営していました。
重三郎の名前が広く知られているのは、北川歌麿や東洲斎写楽といった浮世絵師を世に出したからでしょう。
また、十返舎一九や曲亭馬琴といった物書きたちも周囲に集まりました。彼らに創造の場を提供していった重三郎は、江戸の名プロデューサーだったのです。
ただ、今回の大河には、何やら「もやもや」するものがあります。
物語の主な舞台は、遊郭(ゆうかく)である「吉原」。
第1話の冒頭で、吉原についての説明がありました。語り手は綾瀬はるかさん扮する、九郎助稲荷(くろすけいなり)です。
「吉原は男が女と遊ぶ町。幕府が公認した江戸唯一の天下御免の色里(いろざと)です」と、笑顔で話していました。
では、「遊ぶ」とはどんなことで、「色里」とはどんな場所なのか。
まるで「皆さん、ご存じですよね」という口調でしたが、日曜夜8時の放送は子供も含む多様な人たちが視聴しています。誰もがご存じではありません。
九郎助稲荷(綾瀬)の解説によれば、当時、吉原には三千人もの「女郎(じょろう)」がいたそうです。
女郎は「遊女(ゆうじょ)」とも呼ばれますが、このドラマでは女郎が使われています。
女郎とは「売春」をしている女性たちであり、幕府が「売買春」を管理するために作ったのが吉原という遊郭です。
家族のために高額な前借金をせざるを得なかった彼女たちは、遊郭で働きながらその返済をしていました。
形式的には、完済すれば遊郭を出られるので、いわゆる奴隷ではないそうです。また、人身売買とも違うといわれています。あくまでも形式上ですが。
しかし、どのような形であれ、売買春は「性搾取(せいさくしゅ)」です。
人間としての総体から「性」の側面を切り離し、それを消費するのが性搾取という行為です。
女郎を単なる性の対象と見るなら、彼女たちの人間性や人格は無関係です。
人間として見ないならば、蔑視や暴力も当然のこととなります。第1話にも、死亡した女郎たちが裸で放置される衝撃的な場面がありました。
ドラマの中の重三郎は、すでに積極的な出版活動に励んでいます。
彼が手掛けた『吉原細見』も、女郎たちを生け花に見立てた『一目千本』も、今では高い文化的価値が認められています。
しかし当時は、あくまでも遊郭の客のためのガイドブックでした。例えるなら、新宿・歌舞伎町の入り口で「風俗情報誌」を売るようなものです。
吉原そのものについても、「花開く江戸文化」といった現代の価値観に基づいて描くことは、どこか危うい。
それが「もやもや」の遠因ではないでしょうか。