バックを扇型にするってアイデアは悪くない。モザイクとしてもタイル屋としても、
見栄えとしても普通に悪くない。
しかしながら、キウイのレベルになると今度はその良くあるアイデアをより良く見せる為に
より当たり前にグレ-ドを上げる為に、きちんと同じようにやる為には・・・って言う
テクニック論になる。これはタイル屋なら誰でも知っている割付や張り方の名前を使いながら、紹介する事にする。
例えば中心から両サイドに割り付けるやり方で芯割りと言うやり方。これは両サイドに同じ大きさのモノが入る。それによって左右対称なんて時に便利。
それとは別に、右からでも左からでも都合の良い方から、最後に入らなくなった所を切る。
それを片追いなんて言ったりする。
更に縦横の目地が十文字になる芋目地、それを上の段と下の段を半分ずらす馬踏み・・・と
これがとても必要となって来る。
いつも言っている規定演技の集大成。それがタイル屋となる。つまり規定演技の決定版が
タイル屋になる。きちんと張る・・・・きちんとずらす、きちんと合わせる・・・・
それが自由演技のモザイクのバラの絵、そして規定演技のモザイクの文字、と2つのモザイクに規定演技としてのタイル屋の割付けできちんと締めればハイグレ-ドとなる訳だが、
いくらなんでもそこまではこの作品では厳し過ぎるので、そうする事としない事の違いを
説明した。それと当然、今の状況での危険回避の仕方を説明し始めると・・・・
あっ・・・・それだと簡単・・・・と気が付かなかった事を悔しがっていた。
ただちょっとした説明の途中で気が付くって言うのは、相当なつわもの。
そもそも色々と試したり、良かれとやっていたり、勿論漠然と・・・と色々あるだろうが、
一人でやっている時に悩んだ時に、立ち止まって他の部分をやっていて、アトリエまで
待つって事が出来ると良いのだけれど・・・と言う前にそうすれば良かった・・・と
言うくらい判る所まで来ているのだから、もうこの作品に俺が口を出す必要は無いかな?
その位、この作品でキウイが得たものは大きい。そんな中、かぐやと俺を例に出し、
やればやる程、2人が遠くにいるようだ・・・と言う。
そりゃそうだわっ。本気でやっている時間が余りにも違い過ぎるのね。でもね、俺やかぐや
はそう簡単には、自分越え出来る作品は出来なくなって来た。
それはいつも言うように、例えば火事場の馬鹿力なんて事で説明すれば、普段運動なんて
しない人が、命が掛かったような場面に出くわせばそりゃもの凄い力も出るだろうが、
普段からそれなりにやっていれば、それ以上力を出せと言われても、そう変わり映えは
しないだろう・・・そこを大きさで迫力を出したり、奇想天外のアイデアを出して、
常日頃の安定した技術を乗せ、新たなる前作とは違う自分と向き合わせる・・・・
こんな事で少しずつ変化させて行く・・・・これの繰り返し。
しかしキウイはコツコツとその階段を登って来ている。本当は自分でも気が付いているはず
随分と上手くなった事を。上手くなりたい・・・と思った瞬間から、ただ面白いって
やっていた頃の自分とでは・・・。そしてそれを最近も感じたはず。
友人教室の時に、私もキウイさんみたいなのを作りたい・・・と目標にされて。
そんな話をして、一人アトリエで随分と達者になったもんだ・・・と思った。
そんな中、オ-ドリ-がタイルが足りなくなった・・・とやって来る。
それがある理由で、黒い服を着てやって来たのね。そうねぇ、お洒落なリクル-トっぽい
ス-ツって感じかな?俺はそこを拾って話を広げた。かぐやにその旨を説明し、今から画像を
送るから、批評して見て・・・と。
かぐやに、もしこの服でオ-ドリ-が面接に来た人で俺達が面接官だとしたらどう思う?って
すると、上着の袖と襟にヒラヒラが少しだけくっ付いているのは、大学卒の初めてって
就職活動の人には見えないけれど、何度目か?って言うすでに社会人って言う違いは出ていて、大人っぽいと言う。更に、ブラウスが白地に青のストライプも清潔感がある・・・と。
更にスカ-トに行くと、レ-スの黒っぽいのに引っ掛かる。ん・・・これはどうかな?
少しラフ過ぎるかな・・・?とこんな感じに批評する。
実は俺も全く同じ意見で、それをオ-ドリ-に聞かせたかったのね・・・・この会話をどう
思う・・・とね。するとあんまり意味が判らないようだったので説明した。
じゃ検証ね。つまりオ-ドリ-は貰った服だったり、制服じゃない以上、そのTPOにあった服を自分で選んだ事になる。そうつまりこれが構想。
もし何にも考えてなかった・・・・となれば後は偶然のコ-ディネイトしか無いし、一応選んだ・・・となれば、果たしてそれがその面接官にどのように写るか?となる。
ここのこだわりが構想の第一歩。この場合、俺とかぐやの男女を問わず、40代の人達には
少なくとも2名はいかがなもんか?と言われた事になる・・・・
こんな事を色々と考えて見る。しかしここにまた問題がある。俺とかぐやにもし、安全に
無難に普通に・・・なんて考え色が強ければ保守的に・・・と考えたと言う事になる。
ではそうなった場合、最後に何人かの中から選ばれるとなった時、履歴書に飛び抜けたもの
が無かった場合、人は見た目で判断するか、心の中を読み取るしか無い・・・会話で。
ここで更に見た目で判断された場合、無難は何人そこにいるのだろうか?そこが問題。
周りも同じような事を考えていたら、少し変化させてもそれが普通になるし、
やり過ぎれば、奇抜にもなりかねない。しかも無難を選んでも奇抜を選んでも、今度は
無理して身なりを作れば、会話をした時のギャップに違和感を感じさせる事もあるだろう。
ではここまでは受ける側の考え、今度は取る側。おいおいどれも同じ履歴だぜ・・・・
どうするかぐや・・・・ひとまずこれは無いでしょ?・・・・こんな会話って良く聞く会話
じゃないかな?みんなの日常でも。この場合は消去法。この時に個性的過ぎて消されたのか
、保守的過ぎてつまんない・・・と消されたのか?いずれにせよ一番最初に消されたのなら
理由はいずれか。こうやってありとあらゆる場面、人、そういった事を考えて自分を探す。
所詮関係ないね人は人・・・と言い切れる人なら、技術は切る、張るだけになる。
ならば俺との教室は短い付き合いになるだろう・・・・
それが、俺達にはこんなイメ-ジに見えるねオ-ドリ-は・・・って今回はファッションだから別に単なるお茶のみ話だったが、これがモザイクの話しだったり構想だったりしたら、
少なくとも単なる他人では無く、かなりの隣人にはなって来ているだろう・・・・
するとオ-ドリ-らしさを作って行く上で何らかの手助けの助言になるかも知れない。
つまり技術とは、オリジナルを作る上では構想とは考える事が多く時間が掛かるもの。
こう言う事が理解されれば、落語や相撲のように弟子だ親方だって関係にもなり得る。
先輩からのアドバイス・・・なんてね。しかし自分を持っていないとその言葉だけに
流される事にもなる。大事なのは、どうしたいか?どうなりたいか?
そして受け入れるとは?媚びる事でも無いし、ひとまず聞いたフリをする事でも無い。
そんな中、オ-ドリ-のリアクションは苦笑い・・・・そっかそう見えるのか?って。
でも実は・・・とこんな事があってこれを選んだ・・・と言うから、それが後出しじゃんけんじゃん。俺達はそれを最初に知らなかったよ・・・・と言うと納得。
これが構想だったら、困るじゃん。だからこうやって構想を立てる。こうやって向き合う
ちょっと練習になったでしょ・・・・あははは。信頼関係ってのはこうやって作るもの。
日頃からこう言う事を繰り返していると、思想や習慣なんてもんは出て来るし、どの辺が
似ていて、どこが違っていて、どこが個性なのか?って言うのが判って来るもの・・・
そう言う事が出来るようになると、アドバイスする側も、・・・・らしさで言うなら、
こんな感じだろうけれど、本質で言えばこっちかな・・・どう取り入れるかな?
そう言う切り替えしも出来るようになるだろうね。まさかこんな話に発展するとは思わなかったろうね・・・・かぐやは馴れっこになっているけど・・・・あはははは
何かの足しになれば良いんだけれど・・・・
見栄えとしても普通に悪くない。
しかしながら、キウイのレベルになると今度はその良くあるアイデアをより良く見せる為に
より当たり前にグレ-ドを上げる為に、きちんと同じようにやる為には・・・って言う
テクニック論になる。これはタイル屋なら誰でも知っている割付や張り方の名前を使いながら、紹介する事にする。
例えば中心から両サイドに割り付けるやり方で芯割りと言うやり方。これは両サイドに同じ大きさのモノが入る。それによって左右対称なんて時に便利。
それとは別に、右からでも左からでも都合の良い方から、最後に入らなくなった所を切る。
それを片追いなんて言ったりする。
更に縦横の目地が十文字になる芋目地、それを上の段と下の段を半分ずらす馬踏み・・・と
これがとても必要となって来る。
いつも言っている規定演技の集大成。それがタイル屋となる。つまり規定演技の決定版が
タイル屋になる。きちんと張る・・・・きちんとずらす、きちんと合わせる・・・・
それが自由演技のモザイクのバラの絵、そして規定演技のモザイクの文字、と2つのモザイクに規定演技としてのタイル屋の割付けできちんと締めればハイグレ-ドとなる訳だが、
いくらなんでもそこまではこの作品では厳し過ぎるので、そうする事としない事の違いを
説明した。それと当然、今の状況での危険回避の仕方を説明し始めると・・・・
あっ・・・・それだと簡単・・・・と気が付かなかった事を悔しがっていた。
ただちょっとした説明の途中で気が付くって言うのは、相当なつわもの。
そもそも色々と試したり、良かれとやっていたり、勿論漠然と・・・と色々あるだろうが、
一人でやっている時に悩んだ時に、立ち止まって他の部分をやっていて、アトリエまで
待つって事が出来ると良いのだけれど・・・と言う前にそうすれば良かった・・・と
言うくらい判る所まで来ているのだから、もうこの作品に俺が口を出す必要は無いかな?
その位、この作品でキウイが得たものは大きい。そんな中、かぐやと俺を例に出し、
やればやる程、2人が遠くにいるようだ・・・と言う。
そりゃそうだわっ。本気でやっている時間が余りにも違い過ぎるのね。でもね、俺やかぐや
はそう簡単には、自分越え出来る作品は出来なくなって来た。
それはいつも言うように、例えば火事場の馬鹿力なんて事で説明すれば、普段運動なんて
しない人が、命が掛かったような場面に出くわせばそりゃもの凄い力も出るだろうが、
普段からそれなりにやっていれば、それ以上力を出せと言われても、そう変わり映えは
しないだろう・・・そこを大きさで迫力を出したり、奇想天外のアイデアを出して、
常日頃の安定した技術を乗せ、新たなる前作とは違う自分と向き合わせる・・・・
こんな事で少しずつ変化させて行く・・・・これの繰り返し。
しかしキウイはコツコツとその階段を登って来ている。本当は自分でも気が付いているはず
随分と上手くなった事を。上手くなりたい・・・と思った瞬間から、ただ面白いって
やっていた頃の自分とでは・・・。そしてそれを最近も感じたはず。
友人教室の時に、私もキウイさんみたいなのを作りたい・・・と目標にされて。
そんな話をして、一人アトリエで随分と達者になったもんだ・・・と思った。
そんな中、オ-ドリ-がタイルが足りなくなった・・・とやって来る。
それがある理由で、黒い服を着てやって来たのね。そうねぇ、お洒落なリクル-トっぽい
ス-ツって感じかな?俺はそこを拾って話を広げた。かぐやにその旨を説明し、今から画像を
送るから、批評して見て・・・と。
かぐやに、もしこの服でオ-ドリ-が面接に来た人で俺達が面接官だとしたらどう思う?って
すると、上着の袖と襟にヒラヒラが少しだけくっ付いているのは、大学卒の初めてって
就職活動の人には見えないけれど、何度目か?って言うすでに社会人って言う違いは出ていて、大人っぽいと言う。更に、ブラウスが白地に青のストライプも清潔感がある・・・と。
更にスカ-トに行くと、レ-スの黒っぽいのに引っ掛かる。ん・・・これはどうかな?
少しラフ過ぎるかな・・・?とこんな感じに批評する。
実は俺も全く同じ意見で、それをオ-ドリ-に聞かせたかったのね・・・・この会話をどう
思う・・・とね。するとあんまり意味が判らないようだったので説明した。
じゃ検証ね。つまりオ-ドリ-は貰った服だったり、制服じゃない以上、そのTPOにあった服を自分で選んだ事になる。そうつまりこれが構想。
もし何にも考えてなかった・・・・となれば後は偶然のコ-ディネイトしか無いし、一応選んだ・・・となれば、果たしてそれがその面接官にどのように写るか?となる。
ここのこだわりが構想の第一歩。この場合、俺とかぐやの男女を問わず、40代の人達には
少なくとも2名はいかがなもんか?と言われた事になる・・・・
こんな事を色々と考えて見る。しかしここにまた問題がある。俺とかぐやにもし、安全に
無難に普通に・・・なんて考え色が強ければ保守的に・・・と考えたと言う事になる。
ではそうなった場合、最後に何人かの中から選ばれるとなった時、履歴書に飛び抜けたもの
が無かった場合、人は見た目で判断するか、心の中を読み取るしか無い・・・会話で。
ここで更に見た目で判断された場合、無難は何人そこにいるのだろうか?そこが問題。
周りも同じような事を考えていたら、少し変化させてもそれが普通になるし、
やり過ぎれば、奇抜にもなりかねない。しかも無難を選んでも奇抜を選んでも、今度は
無理して身なりを作れば、会話をした時のギャップに違和感を感じさせる事もあるだろう。
ではここまでは受ける側の考え、今度は取る側。おいおいどれも同じ履歴だぜ・・・・
どうするかぐや・・・・ひとまずこれは無いでしょ?・・・・こんな会話って良く聞く会話
じゃないかな?みんなの日常でも。この場合は消去法。この時に個性的過ぎて消されたのか
、保守的過ぎてつまんない・・・と消されたのか?いずれにせよ一番最初に消されたのなら
理由はいずれか。こうやってありとあらゆる場面、人、そういった事を考えて自分を探す。
所詮関係ないね人は人・・・と言い切れる人なら、技術は切る、張るだけになる。
ならば俺との教室は短い付き合いになるだろう・・・・
それが、俺達にはこんなイメ-ジに見えるねオ-ドリ-は・・・って今回はファッションだから別に単なるお茶のみ話だったが、これがモザイクの話しだったり構想だったりしたら、
少なくとも単なる他人では無く、かなりの隣人にはなって来ているだろう・・・・
するとオ-ドリ-らしさを作って行く上で何らかの手助けの助言になるかも知れない。
つまり技術とは、オリジナルを作る上では構想とは考える事が多く時間が掛かるもの。
こう言う事が理解されれば、落語や相撲のように弟子だ親方だって関係にもなり得る。
先輩からのアドバイス・・・なんてね。しかし自分を持っていないとその言葉だけに
流される事にもなる。大事なのは、どうしたいか?どうなりたいか?
そして受け入れるとは?媚びる事でも無いし、ひとまず聞いたフリをする事でも無い。
そんな中、オ-ドリ-のリアクションは苦笑い・・・・そっかそう見えるのか?って。
でも実は・・・とこんな事があってこれを選んだ・・・と言うから、それが後出しじゃんけんじゃん。俺達はそれを最初に知らなかったよ・・・・と言うと納得。
これが構想だったら、困るじゃん。だからこうやって構想を立てる。こうやって向き合う
ちょっと練習になったでしょ・・・・あははは。信頼関係ってのはこうやって作るもの。
日頃からこう言う事を繰り返していると、思想や習慣なんてもんは出て来るし、どの辺が
似ていて、どこが違っていて、どこが個性なのか?って言うのが判って来るもの・・・
そう言う事が出来るようになると、アドバイスする側も、・・・・らしさで言うなら、
こんな感じだろうけれど、本質で言えばこっちかな・・・どう取り入れるかな?
そう言う切り替えしも出来るようになるだろうね。まさかこんな話に発展するとは思わなかったろうね・・・・かぐやは馴れっこになっているけど・・・・あはははは
何かの足しになれば良いんだけれど・・・・