katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

タピオカ下地のペンキ塗りとリピ-タ-教室

2012-02-13 04:00:55 | モザイク教室
朝、余りに早く起き過ぎて・・・しかも日曜の朝恒例の養魚場や金魚屋さんに行かず・・
では余りにも時間があって・・・そこで溜めまくっていた今一押しアニメを観る。

それは、ちはやふる・・・ってカルタがテ-マなアニメなんだけれど、これが実に良い。
まぁ何とも良いのね。子供がいたら絶対一緒に観たいのね・・・。

何かを目指して・・・それがヒカルの碁の時は碁だったのに対して、今回は百人一首。
まっこれはきっと今後の作家katsuとしての秘密兵器になる。必ずね・・・。

古文、和風・・・何にしても俺らしい。そして何て言っても美しい・・・言葉としても
カルタとしての美としても、それにも増して素晴らしいのは、努力をしない者は

1枚とて取れない事。何せ上の句を読まれて、下の句で取る。だから相当な数のカルタを
すべて憶えないとならない・・・素敵ではある。日本の美として自慢出来る1品である。

ただ競技カルタとなって早さのみの追究になると、俺の目指している仕込みまくりの
モザイクのスタイルとは相反するから、受け入れずらいものではあるが、

感で取れる普通のカルタよりは優雅さが数段上で気品すらも感じられる。
しかも意味が判るとその情景描写の美しさは計り知れない・・・・

もはやその恋心は悲痛でもあり、怨念にも思えるくらい情熱的であの短い文章の中で、
時代を超越してこれだけ伝わるのだから、その姿勢や文章能力など美として見習うべき

事が満載である。単なる流行モノとは全く違う。何しろスマホの時代にまだ残っている。
それが凄い・・・。無くならないのは永遠に繋がる可能性を秘めていると言う事。

何とも魅力的である。まっそれはそうと、早目の出勤となり一番はまずタピオカの下地の
ペンキ塗りとなる。本人のご希望は紺って事でたまたま珍しく油性のスプレ-があった。

まっ色々と試しているので今回もそこそこ発見はある。

その後はいらっしゃるまでテ-ブルのパ-ツの仕込み・・・。
そしてリピ-タ-さん教室。



どうしても黒のみを張って行くのが精神的に苦痛のようでテンションが上がらない。
やりたい事をし終わった残りをこなす・・・所詮ただのバック・・・この考え方から

抜けられないらしい・・・。この黒に問題意識を持てないらしいのね・・・。
しかし、このままでは後3回は苦痛教室なのである・・・。そして3回と言うのは、

月1回のペ-スでアトリエのみとなると、5月まで続くって意味なのである・・・・
当たり前の事なのだが・・・。だからこそ、その苦痛回避として問題意識を持ち、

そうならないように、我慢では無く辛抱してしのぐ・・・に変えるべきなのだけれど
問題はそうするのとしないのの違いに気が付く事なのだけれど、

そこはそうするべき・・・と意識が大事になるのだけれど、その意味には前提がある。
上手くなりたい・・・ここ。けれどその上手くなりたい・・・がまっこの辺で良いっか

・・・・とする位置が低ければ低いほどそこに意味が無くなるから、そう教える必要が
無くなる・・・。しかも無理強いすればつまらなくなるし続かなくもなる。

楽しみである・・・位なら楽・・・つまりラクと読める程度で無いとならない。がしかし
それが、上手くなりたい・・・と願った瞬間、辛さが求められる・・・

それが飴とムチと言う仕組み。しかし飴を先に舐めるのが向いているのか?
ムチを受けて舐めるのが向いているのか?・・・好きなものから食べると嫌いなものが

食べられるのか?嫌いなものから先に食べて好きなものを残して後から食べるのか?
パン、おかず、牛乳と回転させて行くのか?それとも嫌いなものは食べないのか?

何もかもありとあらゆる選択権があるはず・・・だからそう選択するとこんな結末が
待っている・・・と思われる・・・の説明をする。そんな中から自分のスタイルを

見つけて行く・・・それがここの教室。所がこの方はやって見て自分で納得しないと
判らないってスタイルなので、上手く行く、行かないに関わらず説明は欲しいが、

老婆心は所詮老婆心・・・こんなスタイルなのね。だからいつもの教室とは教え方も
変わって来る・・・・。言葉を選ばず説明するのなら、言うだけ言ったら放置。

しかも恐らくそれを選べばきっとそうなるだろうな・・・となるだろう道へ行く・・・
それでもやってみないと判らない・・・だから、先生側としては慣れないと心が痛む。

何せそうなってしまった時に、テンションが下がるのもやる前から読めるのに、
やって見ないと判らないのだから、今後も続ければ続けるほど同じスタイルなのだから、

失敗し続けて行く事になる。しかもそこに上手くなりたいを掲げればそれも良かろうが
特にそれも無く、楽しみで・・・・のスタイルだと、えっ?何故・・・と言いたいが、

それでもこうして続いていると、それはそれで良い事になるのだからそれはそれで良い
事になる・・・。そしてその中での指導となると、きっと今後も1つだけ・・・。

能率効率でただ終わらせるだけ・・・となった時に、休めば・・・とか今日は辞めれば
・・・・の声を掛けるだけ・・・となるのだろう。実際にはもうそうなりつつある。

ただこの方はそのスタイルで・・・続いているのだから、押し付けな教え方にならぬよう
この距離感を保てているか?のみに集中する事に徹する・・・これが指導。

今日の指導は難しいと思う場所・・・こんな話。本来難しさを知っているのは自分で無く
先生である・・・何故なら先人だから。ありとあらゆる事をしたのだから経験値がある。

そんな事を踏まえて、いつものようにメインは先に張る。だから柄となる色のタイルを
先に張ってバックの黒は後からとなった・・・ここはいつもと同じ。

そして黒を張ったのだけれど、前回の左の羽では、赤と赤の間の細く切らねばならない
場所を最後まで残していた・・・理由は1つ。細かく、細くは難しいと判断をして

後回しにした・・・・。そこで今度はそこからやって見て・・・との指導になる。
何故なら経験値として出来たのだから、出来るはず。その時にその間を抜けた後に、

そのままの流れを上まで持って行ければ流れを作れるようになるが、ここはこれが入る。
ここはこっのが楽に入る・・・と一貫性は無く、能率効率で所詮バック・・・となれば

ただ黒くなっただけになる。そこに目的は無いのだから。それを左の羽は初めてやった
未熟なスタイルであるはずなのに、それを左右対称として同じ事を真似しに行く・・・

それが出来るのならもう上級者なのである。つまりこなす・・・合わせる事が出来る。
ではこんな表現をスポ-ツで例えてみよう。

じゃ最後にシュ-トを5本続けて入れたら終わりな・・・って行った時に、こなす、
帳尻を合わせる・・・こんな奴はそこそこの上手さを持っている奴の表現になる。

へたっぴはそれを成功させる為に泣きそうになる・・・アップアップで。
こんな事からも判るように、本来経験値でそこにたどり着いたりするものなのに、

仮にもし最初の左の羽の通りにこなす事が出来て、そのままの結果がずっと続いて
行くのなら、上手くなるのはパ-ツ切りだけとなる。流れは意識しなくては出来ないから

つまりこうしたこれが出来たら、これ・・・これが出来たらこれ・・・って言うのが、
上手くなる順番になるのだけれど、あくまで上手くなる前提であって、楽しみを

ずっと掲げて行くのなら、向上はパ-ツ切りのみとなり、そこでもし指導が必要と
なる事があるとしたら、幾何学模様の繰り返しのような今の俺の作品であるテ-ブルを

お勧めする事であって、目のあるような喜怒哀楽を表現するようなものはお勧めしない
こんな事のみとなる。後はどんな質問が来ようとも自分がある先生を目指す事・・・

こんな風になるだろう・・・。いずれにせよ、いつもとは雰囲気の違う教室なのね。

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