かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

耶馬溪を愛して捜査する人?歴史家ATUSHIさん

2016年07月21日 | 大分県
今日は、何をするわけではありませんでしたが、5日間ある夏季休暇の一日を取ることができました。生徒にとっての夏休みも、教員にとっては、出張、会議、書類づくりと追われます。


学校では部活、学校での生徒の学習などに対応していきます。

先生たちも取得しなければならない5日間の夏季休暇をどこでとるか、先生たちもひと苦労しています。


「思い切って、取ってくださいね。」
と伝えます。
 

昨日の終業式の夕方、来客がありました。郷土の歴史に詳しい近砂敦さんがやってきました。近砂さんに郷土中津の歴史を語らせれば、興味のわく話がポンポンと出てきます。


今、中津の歴史を語らせれば、近砂さんが第一人者だと思います。昨日も、


「あなたの家の前の川を挟んで、対岸の高校のところは、天領。あなたのところは、中津藩の領地。だから税率が違うんですよ。藩の税は高くて、生活も大変だったと思います。」



なるほど。


「今年は、1916年に日本新三景に選定されてから、100周年です。さらに頼山陽がこの地を訪れて、「耶馬溪」と名付けてから再来年で200年になるんですよ。」

へえ。聞く話がとても面白いです。
「耶馬溪と名付けられる前は、城井谷とか山国谷とよばれていたですよね。」


はあ。社会の先生も呼んできて一緒に聞きました。


 
「私は、広重の作品を一枚持っています。」


広重?もしかしてよく教科書に載っている安藤広重?

「そうですよ。歌川広重と言うですけどね。」
 

自分たちが学習したときは、安藤広重といったけど、インターネットによると、

「安藤は本姓、広重は号。これを一緒に言うのは不適切。広重自身もそう名乗ったことはない。ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家である。」


ということは、歌川広重が正解なんですね。あの「東海道五十三次」を世に送り出しています。
 

「歌川広重の作品の中に、耶馬溪のものが一枚あるんです。」


コピーを見せてもらいました。すごい。


「でも実際に来たわけではなく、話を聞いて、作品に仕上げていったんですよ。」
 
「今度、今までの耶馬溪を中心とした研究を、わかりやすく本にまとめました。」

原稿を見せてもらいました。写真も豊富に使っていてすごい。

「ぜひぜひ、一冊買わせてください。」


 ~~頼山陽がどのようにして耶馬溪と名付け、全国に耶馬溪を紹介したか、時代、世代を経て、耶馬溪はどのように行動、変化し、発展していったか、近世から近代への経緯を明らかにしてわかりやすく解説することにしました。

わたしたちの故郷がいかにすばらしい場所であるか、歴史を知りえることで、誇りに思い、故郷を愛する時代の次代の人たちが育ちつなぐことができるのではないかと思い発刊しました。~~

 


「歌川広重の耶馬溪の作品は、カラー刷りなので、100均で枠を買えば部屋に飾ることができるようにしています。」

 

市内の中学校や地域の図書館には寄贈してくれるそうです。8月の上旬に限定400部、発刊するそうです。1300円だそうです。もし、興味がある方は連絡下さいね。下の写真は原稿です。すごい内容でしょう。
 

生き生きそして、輝いて活動をしています。このような地域の歴史をていねいにほどいてくれる人も、「ふるさとの大切な財産」です。


「これから中津祇園で忙しくなります。」
多忙な方です。