かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

暑い朝を迎えて

2014年07月14日 | Weblog
懐かしい顔が車に覗かせて
         降りて会話で互いに元気を
  

 


蒸し暑い朝でした。自転車で登校してくる生徒たちも汗びっしょりでした。額から汗が流れています。「暑い・・・。」この言葉が朝の生徒たちの口々から出てきました。
 


サイクリングロードが開通してから、一ヶ月が過ぎました。生徒たちが自転車で登校してくる姿もだんだんと慣れてきました。



「生徒たちがサイクリングロードを通ると元気が出る。」




とニュースなどで地域の方たちが言っていましたが、車での登校からほとんどの生徒が自転車通学となり、生徒たちの賑やかな姿がサイクリングロードを中心に地域の中に広がっていっています。
 


しかし・・・。今日7月14日は、あの2回目の水害からまる2年です。2回目の水害の時です。夜中、いつ避難勧告が出るか、起きては川を見ていました。明け方、防災無線で避難指示が出ました。



避難所になっている公民館に向けて車を走らせました。公民館の駐車場で、車に乗って遠くに見える川の様子を見ていました。堤防を越えて田畑に水が押し寄せます。対岸の道路が崩れ落ちます。すさまじい洪水でした。




近くの小学校に行くと、プールの水の高さとグランドを襲った水の高さが同じくらいになっていました。サイクリングロードを歩くと、横の田んぼは、川と化していました。
 



今日、学校では、重なっているところもありますが、①防災の大切さ  ②2年前の出来事を忘れず、これからの生活生かす ③命を守る  という視点から「絆集会」を開きました。
 


災害にはいろいろありますが、特に海岸部は津波、そして山間部は水害に気をつけなければなりません。
 


今日は、朝学校に車で通勤しながら、2年前のことをちょっと思い出していました。
 



朝のあいさつ運動に立っていると、
「せんせい。」
と言って車を止めてくれました。懐かしい顔です。かつての勤務した生徒のお家の方です。いろいろ話をしました。




短い時間でしたが、いろんな思いを聞きました。こちらからは元気を発信できたかどうかはわかりませんが、思いから逆に元気をもらいました。
 



月曜日。新しい週が始まりました。
「うれしい。今週は終業式がある。」
生徒の朝の声。一学期が過ぎるのも本当に早いものです。



いろんな苦しい時期があっても、ぐっと我慢して「時が経つこと」で解決してくれること、緩和されることが結構多いと最近感じます。

今までもそしてこれからも

2014年07月13日 | Weblog
4年間野球の苦楽を共にして 
      友情続く時が流れても




雨の多いこの頃です。梅雨も終盤を迎えていますが、「今は梅雨だ。」と言わんばかりに、よく雨が降ります。真夏がやってくるのを待っています。
 


そんな中で、昨日は、大学時代の野球部の同級会がありました。学校・企業で頑張っています。集まった仲間たちが病気をせずにそれぞれの立場で頑張っていることが嬉しく思いました。
 


「ジャングル公園で6時に・・・。」ジャングル公園・・・懐かしい言葉の響きです。年に1回は会っているので、会うとあの時の雰囲気のままです。遠慮なくなんやらかんやら言いながら、時間があっという間に過ぎていきました。



知り合って30年が過ぎました。「はえーのう。でもあと何年続くんかのう。」30年続くとなると、よぼよぼだし、これからも会える時に会おうということで話がまとまりました。




会社に勤めている友だちには、いつものように、野球観戦のチケットの予約もしました。夢の○○シートです。
 


最後は、いつものように友だちのところに泊まらせてもらいました。すこしだけ、学生時代に戻った時間でした。
 


何かの雑誌に載っていた言葉・・・新友が親友となり心友となりそして信友になり真友になり・・・すごい言葉。

野球部の仲間たち

2014年07月12日 | Weblog
今日は、年に1.2回の大学時代の野球部の同級生の集まりです。


他の学年は10人以上はいたのですが、自分たちの代は4人でした。4人。何かと便利のいい人数です。軽自動車でどこか行くのもぴったしです。卓を囲むのも4人ぴったし。


何十年たっても未だに仲のいい仲間です。思い出話をすれば語り尽くせません。



「花子とアン」で言えば「腹心の友」と言ったところでしょうか。



そのうちの一人は、宮崎県出身で今は関西に住んでいます。今回は、帰ってこれないので、今日は、3人+バレー部だった友だちが集まります。


時が経っていますが、企業の重鎮として、また教員として4人とも元気で頑張っているのがなによりです。

これからも大事にしたい仲間です。

人と人とがつながって

2014年07月11日 | Weblog
大切な人と人とのつながりの
        糸をたくさん持ち続けたい
   







台風一過が過ぎ去っての生徒たちの登校。学校も昨日の静けさとは違って活気がありました。学校には、やはり子どもが似合います。
 


しかし、今日は分刻みの一日でした。朝学校に行って、朝のルーティンを済ませて、ALTのお別れ会が生徒会との共催で行ないました。ALTの言葉を聞きながら、寂しくも感じました。終わってから感情を切り替えながら、市役所への会議に出ました。




最近、出張が遠いと感じます。市街地まで出ると、25キロ近くあります。結構その出張の回数も多いです。往復で50キロになります。




午前中いっぱいの会議でした。午後からは、3年生の進路についての会議でした。時間までそのまま残ろうと思ったのですが、大切なイベントが学校であるので一度戻りました。




そのイベントとは・・・。「今日はセブンイレブンです。」というお世話をする先生の言葉。つまり「7月11日」なのです。「セブンイレブンは、Y先生の誕生日です。今日で還暦を迎えました。」とサプライズ職員集合の会を昼休みに持ちました。サプライズの贈り物です。




「この学校で退職の年を迎えることを嬉しく思います。」という言葉にこちらも嬉しく思いましたし、その言葉に感激もしました。



お世話する先生方にも感謝しました。「ちょっとしたことですが、こんなつながりを大切にしてくれることがうれしいです。」と伝えました。時代が個人主義的になっていく中で、「大切な心」は失いたくないと思います。
 


このサプライズが終わってから、再び市街地で行なわれる進路の会議へ。受験の向けての取り組みも本格的にこれから始まっていきます。 
 


とどめの会議は、退職された先生方との懇談会・懇親会が夕方から始まりました。退職された先生方が、学校現場に貢献できることは何なのかなど話し合いが持たれました。「ボランティアとして子どもたちに貢献したい。」というOBの先生方の言葉。



子どもたちとつながりをもちたいというOBの先生方の思いにここでも感激。
 


学校の先生たちが生徒たちとしっかり向き合うことは大切です。さらに地域の方々とつながり合うことも、これからの時代に必要なことだと思います。



いろんな角度からアプローチで子どもたちは、よりよい成長を遂げていくのでしょう。
 


あわただしい中でも、ALTとのお別れ会、還暦を迎えた先生へのサプライズイベント、OBの先生方の学校支援につながりを感じました。たくさんのつながりの糸を発見しました。

臨時休校の日の学校

2014年07月10日 | Weblog
待ち望む台風の過ぎ去り身を潜め
           テレビの画面に被害の凄さ


 



台風の影響がほとんどなく、ほっと一安心しています。しかし、長野県では土石流にのみ込まれ中学生が亡くなったというテレビで報道されていました。これからの人生がという中学生の尊い命が犠牲になりました。




たった一瞬のできごとが、かけがえのない中学生の命を奪いました。まだ東シナ海上にあった台風の影響が長野県の南木曽町まで及ぶという自然界の残酷さを感じました。亡くなられた中学生に心からお悔やみを申し上げます。




すでに台風は九州南部を通過して太平洋に出ました。少し来客があっただけで今日の学校は静かでした。文書の整理や学校の周りを回ったりとスローに時間が過ぎました。



臨時休校になった校舎の教室や廊下は、ちょっとうす暗く、また明日からの生徒たちの賑わいを待っているかのようです。
教室の中の掲示物などをゆっくり見ました。またベランダからの外の風景も「台風」など何もなかったかのように平穏です。



昼ご飯は、給食もないので、昼休み「旬菜館」に行って、お弁当を買いました。「同級生」がいていろいろ勧められました。

「こっちからこっちは、私たちの商品やからね。」

そうかあ。旬菜館というシールを貼っていても、品物を置いている位置によって、提供者も違うのか。



いろいろ知り合いにも会いました。


「旬菜館」での会話も、


「台風がこんでよかったなあ。」

「もう被害はいいで。」

「なんで、弁当かいよるん。」
 *もちろん、給食がないからです☆

「なんで『つと豆腐』かいよるん。それ、昼にたべるん?」
 *もちろん、夕飯用です。

「なんで、弁当とお餅をかいよるん。」
 *弁当だけでは足らないと思って・・・。ダイエットにはならないかも。
 


厳しいチェックをかいくぐりながら、買い物をしました。



しかし、今回の台風で全国的には、被害を受け重苦しい空気の場所、まだまだ厳重な警戒しなければならない地域もたくさんあります。



今日の夕方のニュースも台風関係がメインになっていました。自然の脅威を思い知らされました。

校舎に戻れ子どもの笑顔

2014年07月10日 | Weblog
台風も被害を残さず去っていき
      校舎に戻れ子どもの笑顔






今日は、台風の影響で市内小中学校一斉に、午後休校、明日は臨時休校になっています。台風の影響がないことを願っています。勤務先の学校は、遠隔地から来ている生徒が多いです。



 
中学生時代は学校まで通うのに、一年生の間は、耶馬溪鉄道が走っていましたので、汽車通学でした。


平田駅から柿坂駅まで汽車に乗っての通学。通勤、通学時間は、平田駅は、耶馬溪高校に行くために降りてくる学生、耶馬溪中学校に行くために乗る生徒とごった返していました。


通学時間帯は、2両が連結していました。それでも座れないほどの客がいました。その後、耶馬溪線は廃線になったので、バス通学に変わりました。


サイクリングロードはなかったので、生徒たちは徒歩かバスでの通学でした。通学距離が長い生徒は、寄宿舎がありました。当時は雪で臨時休校になったという思い出はありますが、雨でとか、台風でというような記憶はあまりありません。



学校は城井地区、柿坂地区、津民・永岩地区、山移・深耶馬溪地区、下郷地区と大きく分けて5つの地区から生徒たちが中学校にやってきます。



自分の家から学校までは4キロちょっとあります。学校からの半円で4キロ以内の生徒は、ほとんどいません。8割方はそれ以上です。



現在、線路跡がサイクリングロードとなり、ほとんどの生徒が自転車通学です。徒歩、自転車通学、バス通学となっています。



谷の中に家がある生徒たちが多く、校区内で、がけくずれで小学生が亡くなったり、雪の中、中学校に行ったのですが、臨時休校になり、帰っているときに事故に遭い亡くなったというような悲しい事故もおこりました。


今でも校庭の片隅に事故のあとに創られた「交通安全の碑」が残っています。学校の地形の特色として、自然災害との戦いの中で、「生徒の命を守る」は大きな使命となっています。
 


2年前は、水害で学校の施設の一部が大きく損壊をしました。恐怖におびえた生徒たちも多くいます。9日は、バスか家の人の送迎を主流にしました。




10日は、臨時休校ですが、またたくさんの笑顔で金曜日から学校生活が賑やかに送ることができることを楽しみにしています。



そして来週からは夏休みを迎えることになります。それまでに梅雨も明け、生徒たちの県総体などでの躍動も期待しています。

充実感と緊張感

2014年07月08日 | Weblog
夜が明けて歩く向こうに目をやれば
         川面に浮かぶ幻想の世界


 
  

朝のあいさつ運動に立って、駐輪場から見える川の向こうの景色はすごく幻想的でした。しばらくみとれていました


といっても、それもほんの束の間の出来事。今日は、何かと慌ただしく過ぎた一日でした。午前中は、市からの明日の台風接近に対しての対応が出されました。午後からは生徒は下校。明後日は、臨時休校と市の小中学校が足並みをそろえます。



それを受けて、学校の中で、保護者にどう伝えるか、明日、あさっての取り組みを協議したりしました。それでも想定外のことがあるので、明日の早朝の6時にもう一度、協議をします。




万全な態勢の中で、明日、明後日を迎えなければなりません。
 


対応が終わると、今度は、入試に向けての高校の連絡会です。今日は、中津東高校で行われました。今、いろんな学校で開催されています。こっちも大切な会議です。明後日開催する高校は、台風のために来週に延期になりました。それからまた学校に戻って、明日のことなどで話し合いを持ちました。
 


慌ただしく時間が過ぎていきましたが、一つひとつが意味のあるもので、ていねいに取り組んでいかなければなりません。充実感もありますが、緊張感もあります。想定内の範囲を広げて考えることの大切さを感じます。
 



生徒の安全を一番に考えて、行動できるように心がけていきたいと思っています。




「さしすせそ」・・・「最悪の事態を考えて・慎重に・すばやく・誠実に・組織的」は、今回の台風です。

台風の最大級の警戒

2014年07月07日 | Weblog
人間は自然の力に及ばぬが
         守るべきこと一つの命


 

7月7日・・・七夕の日です。しかし、こう雨が降っては、彦星も織姫も濁流の天の川を渡ることができません。そして、今週には、7月としては過去最強レベルの台風8号が「九州上陸」という予報が出ています。


「最大級の警戒」
「過去最強レベル」
「特別警報」
「数十年に一度しかないような非常に危険な状況」
「はるかにレベルが異なる」
「重大な危険 差し迫るおそれ」



など、今まで耳にしたことがない言葉がテレビのニュースから聞こえてきます。不安をあおるかの如くです。それくらい警戒をしなければなりません。
 


沖縄・宮古島に暴風・波浪特別警報が出ています。最大瞬間風速75メートル。被害がないことを願っています。今は、宇宙からも雲の様子が伝えてきます。雲の渦の範囲が広く、台風の目もはっきりしています。今週は台風に対しての最大の対応が使命です。
 


最近は、自然災害が当たり前のように次から次へと襲ってきます。年々厳しくなっているような気がするのは、思いこみでしょうか。

勤務先の中学校は、いろんな谷から生徒たちが登校してきています。それに加えて半数以上が4キロ以上、10キロを超える生徒もかなりいます。通学距離が長い生徒が多いのが特徴です。
 


明後日から風の影響が出てきそうです。いろんな機関と連携をとりながら生徒たちの安全を守らなければなりません。

学校公開日開催

2014年07月06日 | Weblog
あたたかなふれあいの時を共にして
          人と人とのつながり深める





今日もまた雨。梅雨明けが待ち遠しいところです。今日は、学校公開日でした。中津市の中学校では7月に統一の一斉学校公開日を設定しています。
 


朝からの雨ですが、いろんな取り組みが行われました。朝は、7月のPTAあいさつ運動がありました。生徒会とタイアップして行いました。雨でしたが、お家の方も来てくれて、生徒会生活部の3年生の一緒に立ってくれました。
 

月に一度ですが、笑顔で登校する生徒たちを迎えることができています。
 


授業参観や「社会を明るくする運動 中津大会」とタイアップしての意見発表会と劇鑑賞会がありました。

 

耶馬溪中学校からも3年生が発表をしました。2年前、家が水害を二度にわたって受け、周りの人たちから助けてもらったことを発表しました。実際におきたことを中学生の目からしっかりととらえられて、せつなさと立ち向かっていこうとする気持ちに聞きながら感動をしました。



午後からは、「命の重み」という講演会と、「救命法講習会」を親子で実施しました。これはPTA保健研修部会との共催です。中津市消防署のやっくんが講演をしてくれました。


消防署の役割と勤務をしながら感じていることを伝えてくれながら、「命」について考えることができました。
 
 

以前、やっくんの学年を3年間担当しました。また野球部でも、同じでした。消防署に入ってから同じ野球チームでプレーをしたことがあり、何かにつけて縁があります。やっくんが中学校2年生の時に、職場体験で消防署に行きました。


この学年では自分が将来つきたい職業のところの事業所に行きました。「消防士・アナウンサー・JR・医者・客室乗務員・車の整備士・パテシエ・・・など」です。生徒に応じた事業所を探していきました。


今、考えてみると、生徒が希望して行っただけに、現在その職業についている生徒が多いような気がします。やっくんは消防署を希望しました。


体験に行った時の様子をまだしっかりと覚えています。生徒たちが職場体験をしているときに、事業所を回りました。消防署に着いたときに、真っ暗な部屋で人を助けるという訓練を受けていました。真剣な姿でした。

 

そして、昨年、生徒たちが消防署に行ったときに、やっくんが消防士として、職場体験に来た生徒たちを指導してくれていました。たくましく成長している姿がまぶしく感じられました。



今日も大勢の生徒や保護者の前でしっかりと自分の考え方を伝えてくれました。一日が終わりました。いろんな体験をする中で、生徒たちにはいろんな人たちとつながりあいながら、大きく成長していって欲しいと願っています。



参加していただいた地域の方、保護者の方、そして中津市消防署員の方、やっくんには、感謝しています。

日曜日は学校公開日

2014年07月04日 | Weblog
子どもらを地域と一緒に見守って
         翼を広げ大きく羽ばたけ





 

週末を迎えました。花の金曜日といきたいところですが、今日は、PTA三役会、PTA理事会が夜行われました。一学期の取り組みを振り返ることと夏休み以降の行事などの話し合いを持ちました。

ふだんはゆっくりと話す機会はなかなかありませんが、和やかな中に、有意義な時間を持つことができました。


だいぶお家の方々の顔も覚えることができています。お家の方々と一緒に子どもたちの成長を見守ることができたらと願っています。
 



週末とは言えども、日曜日は、「中津市中学校一斉学校公開日」となっています。終日いろんな取り組みがあります。
 1時間目・・・授業参観
 2時間目・・・授業参観
  ※子どもたちがしっかりと授業に取り組んでいる姿を見て欲
しいと思います。
 3時間目・・・劇鑑賞
 4時間目・・・劇鑑賞



※この日は、体育館で「社会を明るくする運動」の中津大会が行われます。おそらく学校でこの大会を開催するのは初めてではないかと思います。

社会と学校が連動していく中でより住みやすい社会を、子どもたちの存在を大切にできる地域をみんなの手で作り上げることができればと思います。「社会を明るくする運動」の参加者と生徒・保護者の方たちと生徒・保護者が更生保護の創始者「川村矯一郎」さんの生き方をテーマとした劇を鑑賞します。
 

給食
    ※希望したお家の方たちは、試食ができます。
 5・6時間目・・・PTA講演会・講習会



※消防士の方が、消防士という道を選んだことや今の仕事からの「命の重み」について講演をしてくれます。
※その後、AEDの講習会をします。
 放課後・・・PTA学年懇談会



という流れとなっています。終日、いろんな角度から生徒たちは学んでいきます。学校公開日ということで、地域の方やお家の方たちが学校に来てくれて、子どもたちの活動や学校の活動について理解してくれることが大きなねらいです。




またそれを通して意見を聞く中で、学校運営に反映できるものは、積極的に取り入れていきたいと考えています。
 


今日の放課後は、「社会を明るくする運動」の事務局の方たちが体育館に準備に来てくれていました。
 



公開日なので、ぜひ中学校に足を運んでもらいたいと思います。

7月3日の雨

2014年07月03日 | Weblog
梅雨明けもあと半月の辛抱と
       真夏の太陽待ち焦がれてる


 


2年前の7月3日。朝から瓦に雨がたたきつけていました。すごい雨です。しかし、川の水はそんなに増水もしておらず、いつも通り学校に出勤しました。そして生徒たちもいつも通り登校してきました。そんな普通の雨の朝の光景でした。
 

それが一変します。
 


学校についてしばらくすると、「川の水が相当出ているよ。家が浸かるかもしれない。」と子どもたちから電話がありました。テレビの全国版のニュースを見ていると、家が出てきました。


家の向かい側にある川を監視するカメラで撮った映像が映し出されています。ほんの何時間前とは違った恐ろしく形相した川の表情です。轟々と濁流が流れています。
 


いろんな情報が入ってきます。「○○の家が浸かった。」と近所の方からも電話をいただきました。しかし、ニュースを見ながらも、生徒たちをどのように帰すのか、校区内の危険地帯はないのか・・・当時のPTA会長さんとも十分協議しながら、全員の下校をさせていきました。
 


勤務時間が終わり、帰途に着くと、行きの道とは違った残酷な姿が車窓から見えてきました。倒れた塀、水に浸かった家、壊れた道路、崖崩れなどと「爆弾が落ちた」と思わせるような道々でした。
 


そんな2年前。そして2年後の今日を迎えました。
 


あのときよりも雨の量は少なかったのですが、朝から大雨警報。どんどんと雨が降ります。学校の川の近くでは、国土交通省に委託された業者の方が川の水量を見ていました。


すごい音量で水が増えているサイレンが鳴り響いていました。
 


インターネットなどで雨雲の動きを見ながら、生徒たちへの対応をしていきました。まずは、
○授業が終わってから、生徒たちを安全に家に帰らせる。
が使命です。先生方とも協議をしながら、取り組みをしていきました。大雨警報の中、無事に1日が終わったことでほっとしています。
 


雨の朝は、車で来る生徒が多いので、車で乗降するところに立ちました。「雨がたいしたことがないといいですね。」と何人かのお家の方の言葉。やっぱり心配していました。同じ災禍が降りかかることのない一日になり安心しました。

お家の方が迎えにくるのを先生方が子どもたちと待っていました。


「今日は被害がなくて良かったですね。」と学校の周辺を回っているときの学校の近くの方の言葉で今日はおしまいとなりました。

母校への出張

2014年07月02日 | Weblog
学舎の窓辺に見える風景に
        今と昔の溶け合う時間


 


午前中、母校の小学校に出張に行きました。当時の校舎の姿ではありませんが、校舎から見える風景はあまり変わっていません。窓辺から見える風景に懐かしさを感じました。



授業を見る中で、子どもたちの数が減っていることに寂しさを少しだけ感じましたが、子どもたちは元気いっぱいに学習をしていました。
 


校長室に飾っている写真を見ました。
 


小学校の1年生までは違う場所に校舎がありました。現在その校舎の一部は「木精座」という喫茶店になっています。喫茶店になっているところは、職員室でした。二階には広い講堂や畳の間がありました。



小学校に入学したときに、式は講堂で行われていました。今の小学校の場所には、城井地区などを中心とした中学校がありました。
 


校長室には、小学校当時の校舎が飾られていました。懐かしい。
1年生の途中で、今の場所に校舎が移転しました。



つまり中学校が統合され、柿坂に中学校が建てられました。田舎町にとっては大きな変化でした。



数校あった中学校が統合されたのです。一学年が200人を超えていました。
 


場所が変わったときの小学校の時の写真もありました。さらに懐かしい。いろんな思い出がこの校舎に詰まっています。木造校舎の造りに重層感があります。額に入れられた写真を見ながらいろんな思い出が蘇ってきました。



母校に出張というのもいいですね。教員ならではです。
 


歴史は移り変わっていきますが、思い出は時が過ぎても心にしっかりと残っています。
中学校に通っている生徒たちにとっても今の学舎にしっかりと大切な素敵な思い出を刻んでいってもらいたいと思います。




勤務先の学校に戻ると、かつてお世話になった方が来校してきてくれました。



出張といい突然のお客さんの来校といい、思い出をたどる時間が持てました。

ふる里に朝陽がのぼり

2014年07月01日 | Weblog
7月の燃える朝陽を浴びながら
          ふる里の話に耳を傾け


 


今日から7月。梅雨の間の晴れ間でしょうか、じっとりと暑い朝となりました。今日は1日。交通指導日です。地域の方が学校の近くに立ってくれていました。自転車で登校してくる生徒たち一人ひとりに声をかけてくれていました。



生徒たちは、地域の方からの声に気持ちがいいあいさつを返していました。暑さを忘れる嬉しい光景でした。
 


地域の方と一緒に立っていると、「最大水位」という看板が目に入りました。「ここまであの2年前の7月の洪水の時に水が来たらしいですよ。」と言うと、「いつ貼りつけたのだろうかね。」と看板の近くまで一緒に見に行きました。
 


「あの時は、大変だった。」といろいろその時の学校の近くの様子を話してくれました。



ここの交差点に新聞屋の車が来たこと。最初は浅かったので、車を進めて行こうとしたのですが、だんだん深みにはまって、車を捨てて運転手は命からがら逃げました。車は、国道を覆った濁流に飲み込まれ流されていったこと。



これから復興をしていく中で、道を広げたりすること。そのために、家が取り壊されるのですが、まだ移り住む家が決まっていない家庭があること・・・いろんな話を聞かせてもらいました。

2年前の7月の2回にわたる豪雨からの「復興」で、これからふるさとの風景が大きく変わっていきます。
 


そんな話をしながらも、生徒が横を通るたびに、しっかりとあいさつを交わしてくれていました。よく生徒の顔を覚えていて、「○○ちゃんは、大きくなったねえ。」と通り過ぎた生徒の成長も話してくれました。
 


特に印象に残った言葉が、
 「今までバスで子どもたちが来ていたけど、自転車でまた通う  うようになり、生徒と顔を合わすことができるようになった。元気もらえるわ。」
です。この言葉は、よく聞きます。



やっぱり地域の中に、子どもたちの声がすることが、何よりのエネルギーに変換できるのだと感じました。 
 


そんな中で、今日から2日間の日程で、期末テストです。生徒たちは答案用紙と向き合う、静かな校舎の一日となりました。