以前書評欄に載っていたので読みたかった尼ケ﨑彬さんの尼﨑彬セレクション①の「利休の黒」美の思想史という本。
何だかピンときた標題に「利休」となっているが利休に関して取り上げているのは最後の方の一章だけである。
何故、茶の湯が現代のような形になったのかを平安の時代から遡って述べている本である。
本屋にはなかったのだが幸い旦那が図書館で見つけてくれたので、予約を入れて借りた。
それと同時に芸術新潮の10月号の千宗屋さんと磯田さんの対談も是非ゆっくり読みたかったので予約を入れて同時くらいに手に入った。
今まで尼﨑さんのお名前は存じ上げなかったけれど、奥付を読むと美学、舞踊学が専門だそうだ。
学者さんである。
今回のあとがきに「利休の黒」は学生時代の卒論の形で最初取り組んだということだ。
頭の良い人の文章はとても読みやすい。取り上げた文献の内容も全て書き下し文にしてあるので所謂現代語訳ね、とても解りやすい。
今まで謎に思っていたことの霧がかなり晴れた。
平安時代の和歌の世界から発した日本独自の美意識が古典や漢文の素養が無くても取り組めるのがお茶の道だったというのだ。
そこへ禅宗という宗教と陶器や茶釜という美術品が絡む。
時の権力者によって左右されながら本流の美意識はちゃんと選ばれし者たちによって受け継がれていくのだ。
田村珠光~武野紹鴎~利休という。これ茶道の成り立ちとして日本史の勉強で覚えたわ。
本の中のロドリゲスという宣教師の書いた文章が客観性を持たせている。「日本人の真性は陰鬱」というのが興味深い。
要するに都会の中に山中を作って隠遁生活をおくっているという世捨て人のような雰囲気ね。
プチトリアノンの侘びさび版です。
芸術新潮では利休の末裔である千宗屋さんが磯田さんと豊臣秀吉の「金の茶室」についてプロデューサーとして前向きに利休も関わったという書いてあるが、私はどうも違うとしか思えないのだ。利休が渋々秀吉に引きずられたと思うねんけどなー。
「利休の黒」の中では名物を投げ捨てるように転がして「このような物」と利休は見せたという記述があったから。あくまでも利休は
権力者としての秀吉に不本意だけど従ったと思うのだけど。素人のあさはかな考えです。
利休が秀吉に切腹を命じられ、その利休のアヴァンギャルドな後継者の古田織部も大阪夏の陣で家康に切腹を命じられる。
なんだか本当の美意識を伝える者は時の権力者には目障りだったんだろうか。
利休が輸入品の「唐物」から国産「今焼き」に道具を変えていって、そこに楽茶碗が生まれる。長二郎は瓦職人だったというのが面白い。
あくまでも日常。
「利休の黒」に出てくる津田宗及ただ一人を客としてもてなした茶会の飾られた「鶴の嘴」という金属製の花瓶がある。
面白いのは利休は花瓶に水を入れても花はないそうだ。派手さは全くなく、ただいいつまで観ていても飽きないという普遍の美しさがあったそうだ。しかも観る人が観ないとその美は解らない。津田宗及の審美眼は利休のお眼鏡にかなったのだ。
この同じ「鶴の嘴」ではないがいたく利休が気に入ったという同じような金属製の花瓶の写真が掲載されている。
藤田美術館蔵の「古銅角木花入」明時代の唐物ですね。茶会に招待された利休がこの花入れをいたく気に入って「大事にするように」と書状を送ったそうだ。
利休の選んだ道具から近代に受け継がれた民藝までなんとなく細い線を感じるのは私だけだろうか。
追伸:「芸術新潮10月号」に特集記事「スティーブ・ジョブスが愛した日本」の記事もとても興味深く、これを読んで利休達の美意識が柳宗理のプロダクトデザインのキッチン用品や現代のアイパッドやアイフォンのデザインに繋がったんじゃないかな?と思った。無駄な物をそぎ落とし、いつまでも飽きない。
何だかピンときた標題に「利休」となっているが利休に関して取り上げているのは最後の方の一章だけである。
何故、茶の湯が現代のような形になったのかを平安の時代から遡って述べている本である。
本屋にはなかったのだが幸い旦那が図書館で見つけてくれたので、予約を入れて借りた。
それと同時に芸術新潮の10月号の千宗屋さんと磯田さんの対談も是非ゆっくり読みたかったので予約を入れて同時くらいに手に入った。
今まで尼﨑さんのお名前は存じ上げなかったけれど、奥付を読むと美学、舞踊学が専門だそうだ。
学者さんである。
今回のあとがきに「利休の黒」は学生時代の卒論の形で最初取り組んだということだ。
頭の良い人の文章はとても読みやすい。取り上げた文献の内容も全て書き下し文にしてあるので所謂現代語訳ね、とても解りやすい。
今まで謎に思っていたことの霧がかなり晴れた。
平安時代の和歌の世界から発した日本独自の美意識が古典や漢文の素養が無くても取り組めるのがお茶の道だったというのだ。
そこへ禅宗という宗教と陶器や茶釜という美術品が絡む。
時の権力者によって左右されながら本流の美意識はちゃんと選ばれし者たちによって受け継がれていくのだ。
田村珠光~武野紹鴎~利休という。これ茶道の成り立ちとして日本史の勉強で覚えたわ。
本の中のロドリゲスという宣教師の書いた文章が客観性を持たせている。「日本人の真性は陰鬱」というのが興味深い。
要するに都会の中に山中を作って隠遁生活をおくっているという世捨て人のような雰囲気ね。
プチトリアノンの侘びさび版です。
芸術新潮では利休の末裔である千宗屋さんが磯田さんと豊臣秀吉の「金の茶室」についてプロデューサーとして前向きに利休も関わったという書いてあるが、私はどうも違うとしか思えないのだ。利休が渋々秀吉に引きずられたと思うねんけどなー。
「利休の黒」の中では名物を投げ捨てるように転がして「このような物」と利休は見せたという記述があったから。あくまでも利休は
権力者としての秀吉に不本意だけど従ったと思うのだけど。素人のあさはかな考えです。
利休が秀吉に切腹を命じられ、その利休のアヴァンギャルドな後継者の古田織部も大阪夏の陣で家康に切腹を命じられる。
なんだか本当の美意識を伝える者は時の権力者には目障りだったんだろうか。
利休が輸入品の「唐物」から国産「今焼き」に道具を変えていって、そこに楽茶碗が生まれる。長二郎は瓦職人だったというのが面白い。
あくまでも日常。
「利休の黒」に出てくる津田宗及ただ一人を客としてもてなした茶会の飾られた「鶴の嘴」という金属製の花瓶がある。
面白いのは利休は花瓶に水を入れても花はないそうだ。派手さは全くなく、ただいいつまで観ていても飽きないという普遍の美しさがあったそうだ。しかも観る人が観ないとその美は解らない。津田宗及の審美眼は利休のお眼鏡にかなったのだ。
この同じ「鶴の嘴」ではないがいたく利休が気に入ったという同じような金属製の花瓶の写真が掲載されている。
藤田美術館蔵の「古銅角木花入」明時代の唐物ですね。茶会に招待された利休がこの花入れをいたく気に入って「大事にするように」と書状を送ったそうだ。
利休の選んだ道具から近代に受け継がれた民藝までなんとなく細い線を感じるのは私だけだろうか。
追伸:「芸術新潮10月号」に特集記事「スティーブ・ジョブスが愛した日本」の記事もとても興味深く、これを読んで利休達の美意識が柳宗理のプロダクトデザインのキッチン用品や現代のアイパッドやアイフォンのデザインに繋がったんじゃないかな?と思った。無駄な物をそぎ落とし、いつまでも飽きない。