気ままな撮影紀行

鉄道写真をメインに航空機や一般の
風景写真等の撮影に出かけました。

JR紀勢本線 多気駅(三重県)

2021年11月20日 | JR東海エリア
JR紀勢本線の多気駅(たきえき)です。島式ホーム2面4線を有し駅長・駅員配置の有人駅で、特急を含む全ての列車が停車する交通の要衝になっています。この駅の所属路線名は紀勢本線になっていて、伊勢市を経て鳥羽駅(とばえき)迄を結ぶ参宮線の起点駅にもなっています。

駅舎とホームは国鉄時代の雰囲気が漂う跨線橋で結ばれており、SLがホームに入線していたら絵になるのになと思わせる光景になってました。

4番線ホームには鳥羽駅行きの快速列車が停車中です。


快速列車が発車しました。
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JR紀勢本線 一身田駅(三重県)

2021年11月16日 | JR東海エリア
JR紀勢本線で起点の亀山駅(かめやまえき)を出て二駅目の一身田駅(いしんでんえき)です。この駅は1891年(明治24年)に開業された歴史有る駅で、どっしりとした立派な木造駅舎は1923年(大正12年)に改築された様です。相対式ホーム2面2線を持つ列車交換可能駅になっていている無人駅で、上下線の2つのホームは地下通路で結ばれていました。

木造駅舎の正面です。駅舎前の赤い丸型の郵便ポストが良い雰囲気を醸し出してました。




松阪・伊勢市方面へ向かう下りの1番線ホームに入りました。


下り列車が発車しました。


1番線ホームの上屋です。向かい側の2番線ホームの写真中程から右奥にかけてホームの高さが異なっています。これはホームのかさ上げが行なわれた痕跡です。


2番線ホームに入りました。上下線列車の列車交換です。


2番線ホームから1番線ホームを見ました。写真右方向で上屋が切れた先のホームの面が傾斜して坂になってるのが見えます。これはSL時代の客車列車の運行が終わって、ディーゼルカーや電車の運転に切り替わる事に備えてホームがかさ上げされました。


2番線ホームの端から1番線ホームのかさ上げ状況を見ました。ホームの高さが低くなっている所には列車は停車しません。

コメント (2)
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JR伊勢川口駅の今昔・JR名松線(三重県)

2021年09月02日 | JR東海エリア
JR名松線は伊勢奥津駅(いせおきつえき)と松阪駅(まつさかえき)を結ぶ路線で、その路線全行程のほぼ中間地点に伊勢川口駅(いせかわぐちえき)が位置してます。この駅を最初に訪れた時(2014年)は大きな木造駅舎がありましたが、その後訪れた時(2018年)には駅舎は解体されて景色が大きく変わってました。

最初に見た時は駅周辺では田んぼが広がる長閑な景色になっており、立派な木造駅舎を見て ?? と思ってましたのでこの駅に関する経緯を調べました。

この駅は、かって久居駅(ひさいえき:近鉄名古屋線の駅)から延びていた中勢鉄道(ちゅうせいてつどう)の終着駅として接続されていて、この付近一帯での交通の要衝になってた様です。中勢鉄道は1920年(大正9年)に設立されて、1925年(大正14年)に伊勢川口駅迄延伸されました。しかしその後、近鉄名古屋線の前身である参宮急行電鉄や国鉄の名松線が開通した事によって収支が悪化して、1944年(昭和19年)に中勢鉄道は廃止されました。

この様子をまとめたフォトチャンネルも新規追加致しました。

【1】 2015年(平成27年)に解体された旧の木造駅舎です。


この駅舎は1931年(昭和6年)に建てられました。




伊勢奥津駅行きの下り列車の入線です。


ホームから伊勢奥津駅方面を見ました。


【2】 現在(撮影:2018年5月11日)の様子です。ホームへ上がる階段はそのまま生かされてる様です。


ホームから伊勢奥津駅方面を見ました。現在の駅はホーム上に待合所が設置されてました。


反対側の松阪駅方面です。現在は単式ホーム1面1線を有するのみで列車交換は出来ませんが、かっては列車交換を行なっていたレールの痕跡が残ってましたが、ホームは撤去された様で現在は有りませんでした。


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これぞ ニッポン!! ・ 東海道新幹線(静岡県)

2021年08月16日 | JR東海エリア
東海道新幹線の富士川橋梁(1373m)を列車が通過中です。この付近では富士山をバックにして長大な橋梁を新幹線が通過する姿を狙う事が出来る、第一級の超有名なポイントになってます。この時も上下線を考えれば引っ切りなし列車が通過してましたので、失敗してもシャッターチャンスは何度も訪れてました。その為、新幹線の流し撮りを練習してましたがなかなか巧くいかず失敗作の山を築くばかり・・・・・

この日は絶好の好天に恵まれた事も有って、この富士川の河川敷一帯ではざっと見渡しただけでも数十名の人がカメラを構えていました。しかし、あまりにも好天で雲一つ無い空よりも少しだけ雲が浮かんでた方が絵になる様に思いましたが贅沢かなぁ。(撮影:2015年1月5日)
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JR紀勢本線 阿漕駅(三重県)

2021年07月19日 | JR東海エリア
JR紀勢本線の阿漕駅(あこぎえき)で開業は1893年(明治26年)です。

この駅から直線距離で約2Km弱の場所に伊勢湾の阿漕浦と呼ばれている場所があり、その海域はかって伊勢神宮への供え物を穫る漁場で禁漁区域だったそうです。しかしその阿漕浦の海域で密漁を繰り返して捕らえられた漁師がいた事から「あこぎ」が現在のように「強欲・ずうずうしい」といった悪いイメージの言葉に転じていったとされてます。そしてこの駅名は阿漕浦が名前の由来になっているようです。

ちなみに現在の阿漕浦では、潮干狩りや海水浴が楽しめます。

【7月20日 追記】
昨日アップした内容に関して一部確認不足が有りましたので、補足説明を追記させて頂きます。

三重県津市の阿漕浦に「阿漕平治伝説」が伝わっています。
浜辺の村に平治という親思いの漁師が母親と暮らしていました。その母親が病に倒れて衰弱する母親を前にして途方に暮れていた時、「病気には阿漕浦で捕れるヤガラという魚がよい」と聞きました。しかし阿漕浦は禁漁海域になっていた為、平治は悩みましたが決心を固め闇夜に紛れて舟をこぎ出して漁を実行しました。
そして漁を終えて家に戻り「ヤガラ」を料理して母親に食べさせる事を何度か繰り返したおかげで、母親の体調は回復した様です。

しかし漁の途中で「平治」と書かれたすげ笠を落としてしまいそれを拾った役人が翌朝に平治の家へ来て平治を捕らえて、罰を受けて殺されてしまいます。平治の死後、母親の体調が悪化して後を追ように亡くなったとの事です。

平治の霊を慰めるために「阿漕塚」が作られ、毎年平治の命日である8月16日には、彼の霊を供養するお祭りが行なわれているようです。

「あこぎ」の言葉のウラには、こんな親孝行の話が有ったんですね。

この阿漕駅は駅舎側の単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を持ち、両方のホームは跨線橋で結ばれています。かっては近くに紡績工場があって規模の大きな木造駅舎がありました。

最盛期の面影を伝える木造駅舎で堂々とした造りになってました。(撮影:2012年6月18日)






島式ホームへ渡りました。


有効長の長いホームが印象的でした。


上記5枚の写真の駅舎は2014年に解体されて現在は以下の様な状況になってました。(撮影:2015年9月14日)













コメント (2)
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