国鉄時代に幹線から蒸気機関車を廃止する「無煙化」によって、1962年(昭和32年)から1978年(昭和53年)までの間に、649両が製造されました。そしてSLに置き換わって旅客列車や貨物列車の牽引で活躍しました。しかし、この「DD51」も登場から60年を経過して、現在は数える程しか残ってない様です。
この「DD51」は国鉄の路線から『SLを蹴散らして廃止に追い込んでしまった!!!』としてSLファンからは目の敵にされてた事がありました。 『そんな事言われても ワシャ知らんがな』と DD51のボヤキが聞こえてきそう・・・・
2011年7月から2017年9月までの間に、JR関西本線と三岐鉄道の貨物線が乗り入れてる富田駅(とみだえき)へ何度か訪れて撮りだめした「DD51」をまとめました。この時のフォトチャンネルも新規追加致しました。
三岐鉄道の東藤原駅(ひがしふじわらえき)横に在る太平洋セメントの工場から貨物列車が資材を運んできて、富田駅でJR貨物にバトンタッチされて全国へ配送されます。数少なくなった「DD51」もJR貨物の愛知機関区に6両が所属し、四日市エリアを中心に貨物列車牽引で活躍してた様です。最新の “生存状況” は確認出来ませんでしたが、既に引退した車両もあるかも知れません。
JR貨物のDD51に機関車が付け替えられました。


国鉄時代の雰囲気が漂う跨線橋が現役でした。




重いエンジン音を響かせながら、DD51重連の貨物列車が通過します。


この「DD51」は国鉄の路線から『SLを蹴散らして廃止に追い込んでしまった!!!』としてSLファンからは目の敵にされてた事がありました。 『そんな事言われても ワシャ知らんがな』と DD51のボヤキが聞こえてきそう・・・・
2011年7月から2017年9月までの間に、JR関西本線と三岐鉄道の貨物線が乗り入れてる富田駅(とみだえき)へ何度か訪れて撮りだめした「DD51」をまとめました。この時のフォトチャンネルも新規追加致しました。
三岐鉄道の東藤原駅(ひがしふじわらえき)横に在る太平洋セメントの工場から貨物列車が資材を運んできて、富田駅でJR貨物にバトンタッチされて全国へ配送されます。数少なくなった「DD51」もJR貨物の愛知機関区に6両が所属し、四日市エリアを中心に貨物列車牽引で活躍してた様です。最新の “生存状況” は確認出来ませんでしたが、既に引退した車両もあるかも知れません。
JR貨物のDD51に機関車が付け替えられました。


国鉄時代の雰囲気が漂う跨線橋が現役でした。




重いエンジン音を響かせながら、DD51重連の貨物列車が通過します。

