猛暑かと思えば、今度は早々と梅雨入りです。
まだ月末とはいいながら5月なんですけどね。
最近は過ごしやすいさわやかな時期というのは
ほんとに短くってあっという間に過ぎてしまいますな。
さて、久しぶりに倫理の授業をやっておりまして、
たった週4時間ながらずいぶんとエネルギーを遣っております。
エネルギーの割には賃金報酬は見合わず、
それを考えると、少々切ないところもありますが、
「まあ、17才の子供らにお年寄りの相手をしてもらっているんやで。」
と、思えば楽しくもあるのであります。
若い子ら相手に久々、ソクラテスやらプラトンの話をしております。
まあ、そこそこは感度も良くて、
何とかこむつかしい話にもようやく乗ってきたかなと思えるのですが、
「倫理はどうや、楽しいか?」
と、問いかけると、教室のあちこちから
「面白い!楽しい!」という声が返ってきたりしました。
でもって、今日のアリストテレスの話は
思わず年甲斐もなく熱が入ってしまいまして、
私めもまだまだ若いな~と思った次第であります。
年相応の「枯れた授業」をやりたいのですが、まあ今はそんな風に
楽しく子供らに相手してもらっているというところでしょうか。
ところで、話し変わって、通勤帰り道のこと。
時々天王寺公園・動物園の南側歩道を歩くのですが、
(帰りの道は上り坂ね。)
鳥の大きい檻の外側、塀の外の歩道沿いに
樹木が繁っていて、サギの群れが巣を作って止まっています。
動物園から抜け出したやつかなといつも不思議に思っておりました。
シロサギね。 ↓
沢山いるんですよ。
ゴイサギね。↓
巣の上で雛が育っています。 ↓
親サギが巣の上の雛を守っています。 ↓
巣の上で雛がかえっているので、眺めていると、
自転車を押しながら通りかかったおばちゃんが
「渡り鳥でね。ここに居ついてしまって、
樹木をだめにしてしまうんで、園も困ってるんよね。」
「毎年、あの2種類のサギね。渡ってくるのは決まってるんよ。」
「動物園のサギではなくって、勝手にやってきた天然よ~。」
と、教えてくれました。動物園のサギを、仲間だと思って、
その檻のそばの樹木に居ついてしまったようであります。
おばちゃんのおかげで久しい疑問が解けたのでありました。
(感謝ね。)
おばちゃんは、話し終えると、
自転車にまたがってさっと行ってしまいましたが、私めは、
「でも、こんな大都会の中で
あんなたくさんのサギ、餌はどうしてるんやろ?」
と、また新たな疑問を抱きつつ、蒸し暑い午後の昼下がりを
とぼとぼ歩いて帰ったのでありました。
行くわけにはいかないので、是非、このブログで再現してみて下さい!!お願い。
これからある京都の大学に非常勤で行くのですが、30人ほど受講届けを出しているのに来るのは20人くらい、その中で真面目に聞いているのは3人くらい。後はほとんど最初から寝ている。
この砂をかむような味気なさに早く辞めてしまいたいのですが、そろそろ年金生活者。生きるためにはこの空しさも我慢しなければならないのか、と割り切ってはいるのですが、こんな学生の目を覚ます授業の方法を是非教えて下さい。
それにしても、公明党って、どうしようもない政党やね。大坂の恥、日本の恥ですな、この宗教集団。
倫理のお授業といえば、うーさんの領分ですから、私めの授業は座興みたいなもの。正面からつっこみ入れられても困ってしまいますが、たとえば今日のアリストテレスのくだりはこんな感じね。
「ひまわりの種は条件が揃えば必ずひまわりの花になる。桜になったり柿の木になったりはしない。これってお驚きだよね。ひまわりの種は未来の可能性を含んだ可能態、ひまわりの花は実現された現実態。」「17歳の君らは10年後、20年後の姿から見たら、質料としての可能態ということになるけど、さあどういう可能性をもっているんだろうね?10年後の君らの形相はどんな風?」「でも、条件悪ければ、開花しないひまわりもあるし、二十歳過ぎれば只の人って言葉もあるし、、、」などとやっておるわけですが、色々あるにしても、そこは17歳の純真なところもあるわけで、くすぐりがいはあるところなのです。二十歳過ぎた大学生ではしらけるかもしれないね。
もっとも、なべさんの授業だってしっかり最初から寝ている生徒はおりますよ。