内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

明治の女学生の「よ」と「てよ」の使い方について ― 柳田國男『毎日の言葉』と夏目漱石『門』

2021-05-02 23:59:59 | 日本語について

 柳田國男の『毎日の言葉』を読んでいると、各地方の方言についての柳田の該博な知識に驚かされる。現地に赴かずには確かめられないような細やかな違いについての詳細な記述からして、その多くは実際に現地で観察・採集・記録したものであろう。中には友人・知人・弟子たちなどから得た情報もあったかもしれないが、いずれにせよ、日本語の地域間の多様性、互いに離れた土地の間に見られる共通性、時代による変化などに柳田がどれほど深い注意を払っていたかが本書を読むとよくわかる。柳田自身が実際にその変化を目の当たりにした言葉遣いの変化についての記述も面白い。今ではあたりまえすぎてなんでそういうのかと改めて考えてみることもない表現や、今はすっかり失われてしまった言い回しなどについての柳田の考察はとても興味深い。
 本書の「知ラナイワ」と題された一文も面白く読んだ。
 明治の女学生が、明治のお婆様から笑われていたのは、アルワヨ・ナイワヨなどと、ワの後へわざわざヨをくっつけるからで、単に言葉のおわりにワを添えるだけならば、もう江戸時代にもあり、東京では珍しいことではなかったという。そこにどうしてまたヨをつけ始めたものか、「たぶんどこかの田舎から、おしゃべりの娘が携えてきたのでしょうが、その原産地もまだつきとめられておりません」と記しているところを読んで、思わず笑ってしまった。
 この一文のその後は、主にワの起源の探索に入るのだが、それは本文に譲るとして、ヨについて、ふと思い出したことを記しておきたい。
 夏目漱石の『門』の冒頭の宗介と細君とのやりとりは、漱石作品中私がもっとも好きな文章の一つだが、そこに次のような一節がある。

「あなたそんな所へ寝ると風邪引いてよ」と細君が注意した。細君の言葉は東京のような、東京でないような、現代の女学生に共通な一種の調子を持っている。

 柳田が指摘しているヨの用法とはまた違う話だが、この宗介の細君が使う「てよ」についての、「東京のような、東京でないような、現代の女学生に共通な一種の調子を持っている」という説明が前から気になっていた。明治末期(『門』の連載は明治四十三年)、ある程度以上の学校教育を受け、かつ必ずしも東京生まれとは限らないが、東京に在住している若い女性たちの間に現れた新しい言葉遣いということだと思うが、では、今日の日本語での「風邪引くわよ」とか「風邪引きますよ」に対応する、「現代の女学生」的ではない当時の女性的な言い方はどんなだったのだろうか。