内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『21世紀フランスの階級闘争』からの妄想的逸脱

2021-05-19 19:03:13 | 読游摘録

 エマニュエル・トッドの『21世紀フランスの階級闘争』について昨日の記事を書いているときは、同書に示された仮説を生真面目にそのまま紹介するつもりだった。ところが、そこに提示されている軽蔑の下降的連鎖という仮説に従うとどんな社会病理学的帰結が引き出せるかと考え始めたら、止まらなくなってしまった。だから、以下に記すことは、トッド仮説の紹介ではなく、それに刺激された小生の妄想的逸脱であることを予めお断りし、ご寛恕を願う次第である。
 軽蔑の下降的連鎖から成る社会の最上層部にとって、社会を構成するその他すべての階層は軽蔑の対象でしかありえない。彼らは他者を軽蔑することしかできない。彼らが軽蔑の対象になることはない。最上層部より下の諸階層は、自分たちの上の階層からは軽蔑され、自分たちより下の階層を軽蔑する。ここで言う「上」や「下」は、本人たちの自己意識(しばしば無根拠で幻想に過ぎない)によるもので、必ずしも経済的・社会的根拠があるわけではない。このような社会の最下層の人たちは軽蔑の対象でしかなく、彼らはその社会内に軽蔑する対象を持ち得ない。
 このような恒常的抑圧状態が最下層の人たちにとって面白いはずはない。しかし、そこから抜け出すために社会的上昇を図ることは、それに成功した人たちに自分たちも軽蔑する側に回れたという一定の「充足感」を与えることはあるかも知れないが、社会の構造に何の変化ももたらさない。
 他方、この恒常的な抑圧状態は他者に対する憎悪をそれらの最下層の人たちの裡に増生する。しかもその憎悪は明確な対象を欠いている。この対象なき憎悪をテロリストたちが利用する。というよりも、テロリズムはこの盲目的憎悪を「エネルギー」として利用することによってしか成立しない。
 軽蔑の下降的連鎖に縛られた社会は、他者を軽蔑することによってしかアイデンティティを確保できない人たちが多数派を占めるという社会存在論的に深刻な貧困に喘ぐ社会だ。これは経済的貧困よりもさらに深く人心を蝕む。そんな社会には寛容など薬にしたくてもない。和など遠い異国の昔物語でしかない。
 そんなにひどい社会は現実にはそうめったにあるものではないだろう。トッド氏も現在のフランスがそんな社会だとは一言も言っていない。むしろ、明確な軽蔑の対象を持たない、その意味でアイデンティティを欠いた、どちらに転ぶかわからない「見えない」中間層が半数以上を占めており、そこに社会再構成の一縷の望みもあるというのが彼の見立てだ。