内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

人が言ったことをそのまま思い出すことができないという欠陥

2021-05-31 23:59:59 | 雑感

 自分の欠点や欠陥を数え上げればいったいいくつになるか知らないし、知りたくもないし、だから数えたりしないが、数あるうちから一つだけ挙げるとすると、それは、人が言った言葉や読んだ文章をそのまま覚えられないことである。
 文章の場合、最初から暗記するつもりで読めば覚えられないことはないが、それらの場合は除外する。問題は、人と話をした数時間後、ある本を読んだ数時間後、その人が言ったことや読んだ本で印象に残ったはずの箇所をもうそのまま思い出すことができないことである。忘れてしまったのではない。自分で「編集」してしまうのだ。どういうことかというと、「要するに、こういうことがあの人は言いたかったのだ」、「あの文章の意味するところはこういうことだったのだ」と、こっちの頭の中で整理してしまうのだ。言い換えれば、その人やその文章が言いたかった(と私が理解したつもりになっている)ことを私の言葉でまとめてしまって、どのように言われたかということがすっかり抜け落ちてしまうことが多いのである。
 これはかなり深刻な欠陥であると我ながら思う。なぜなら、ある人あるいはある書物を理解するためには、何が言われたかよりも、どのように言われたかの方がはるかに重要なことがしばしばあるからである。とすれば、私は、多くの場合、ひとりでわかったつもりになっているだけで、実のところは、話した相手のことや読んだ書物のことを何もあるいはほとんど理解していないということになる。本当に注意すべきことに注意せず、手前勝手な解釈と編集の結果だけしか自分には残っていないとしたら、そのような疑似あるいは似非理解が脳内に蓄積されるだけで、他者や書物とのほんとうのつながりや交流はできておらず、ただひたすら独我論的世界が肥大していくだけである。
 このような知識の領野がいくら拡張されても、そこには、誰もいない。それはさびしく、「空虚な」な世界である。