内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

文化とは何か ― 柳田國男『火の昔』の教え

2021-05-13 12:47:06 | 読游摘録

 ちくま文庫版『柳田國男全集』(全32巻)は、1989年から1991年にかけて刊行されたときに順次購入していったものが今も手元にある。もう三十年も前の本だから背表紙はかなり日に焼け、表紙カヴァーにもところどころ破れているところがあるが、愛着深く、ときどき懐かしさとともに手にする。
 他方、今月に入って、角川ソフィア文庫版「柳田國男コレクション」全十九冊を電子書籍版で一挙に購入した。本文には全集版とコレクション版とで大きな違いはないから、ただ読みたいだけならわざわざコレクション版を購入することもなかったのだが、それでも購入したのは、一つには授業で引用する際に便利だからという職業上の実利的な理由からだが、もう一つには解説を読みたかったからである。
 コレクション版の解説は多くの場合、旧文庫版と新文庫版との二つが収められており、それがそれぞれに興味深い。全集版の解説ともかなり違った視点から解説されていたり、全集版にはない情報も盛り込まれていたりするので、これら解説のためだけでも買う価値はあると思ったのである。それに期間限定価格で平均30パーセント引きだったうえに、角川の書籍に適用できる25パーセント割引も使えたので、全部で六千円ほどだった。一冊当たり三百円程度である。
 『火の昔』の新版解説は池内紀が書いている。その解説を今朝読んだ。その解説の中に『火の昔』からの引用があるのは当然だし、引用されている箇所は他の解説でも引かれているのだが、その引用を読みながら、柳田國男の偉さにあらためて思いを致した。それは「はしがき」からの引用である。池内が引用していない部分も含めて当該段落全体を引用する。

 文化という言葉は、このごろよく耳にするけれども、それはどういうものかを、説明できる人は存外に少ない。私はそんな言葉をなるたけ使わずに、これが文化だなと思ってもさしつかえのないものを、一つずつあげてみようとしている。そういう中でも、火は最もはっきりとしている。すなわち文化は、国民がともどもに作り上げてきたものであった。私たちはまた、問題という語を好んで使うが、必ず答えられるべきものだということを考えず、あるいは答えることのできないものが、問題だと思っているらしい人さえある。そんなことでは、いくら本を読んでも、人生は幸福にならぬかもしれない。火の問題だけは幸いにして、私たちを考えさせる。今のままでは、長くはいられないと思うことが、これからの計画を確実にするであろう。少なくとも私だけは、そういうつもりでこの話をしている。

 老生は、日ごろ学生たちに「日本文化」なるものを教授していることになっているが、実のところいったい何をもって「これが日本の文化ですよ」と彼らに示せているかと問われれば、甚だ心もとない次第であることを自覚せざるを得ない。言語はその文化の粋であると言ってよければ、一応申し訳は立つが、もっと具体的にかつ生き生きとした仕方で「これが文化ですよ」と目に見えるように示すことができれば、学生たちももっと深い関心を持ってくれるであろう。その人生を幸福にはできないとしても。