内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

対面か遠隔かという二択を超越した試験方式の試み

2021-05-11 21:55:17 | 講義の余白から

 今日の講義が「近代日本の歴史と社会」の今年度最終回であった。二週間後が試験である。先週の授業でどのような試験方式になるか学生たちにはすでに説明してある。今回はこれまでとは違った、私にとっても新方式を試してみることにした。
 試験問題を自分で作れ、と学生たちに要求したのである。もちろん好き勝手に作れというのではない。五つの条件を課し、それらの条件を満たせば、あとは自分が課題として取り組みたい問題一問を自由に選んでよいとしたのである。
 その五つの条件は以下の通り。

一、明治・大正・昭和(太平洋戦争敗戦まで)のいずれかの時代における日本社会の近代化過程の特異性の一側面を取り上げること。
二、問題は、何が主題であり、どこに争点があり、何が論じられるのかを明示しているものでなければならない。
三、授業中に読んだ、あるいは取上げた参考文献の中から少なくとも一つは明示的に参照あるいは引用すること(十三冊挙げてある)。選択した文献を事前に報告すること。その他の参考文献は自由に参照・引用して構わない。
四、作成した試験問題の適否について私の事前承認を得なくてはならない。この事前承認なしに勝手に答案を作成しても零点である。
五、答案は指定された長さを厳守すること。それより少ない場合は減点の対象となる。

 私がこの試験方式を説明したとき、学生たちの中には、「自分で試験問題作っていいなんて、超ラッキーじゃん」と一瞬思った粗忽者もいたはずである。浅はかこのうえない。安易な設問は言うまでもなく却下する。大風呂敷で漠然とした問いなど、そもそも問題の名に値しない。つまり、問題として承認されるまでにすでに透過しなくてはならない厳しい関門あるのだ。
 「君たちが立てた問題の質も評価対象である。つまらん問題、安易な問題は、仮に私がそれを渋々受入れたとしても、すでにその時点で減点されていると知りなさい」と学生たちには警告してある(これって、ほとんど脅迫だよねー)。
 問題の承認に至るまで、私と何回か意見交換するのが望ましい。だから、できるだけ早く最初アイデアを送ってよこしなさいとも伝えてある。すると、三人の学生がこんなテーマでいいですかと早速聞いてきた。こういう学生たちは概して普段からよく考えているから反応が早い。実際、目の付けどころがいい。
 なぜこのような方式を採用したか。見かけはこれまでの方式と違っていても、その趣旨はこれまでの試験方式と基本的に同じである。それは、自ら問いを立て、その問いに自力で答えるべく時間をかけてできるだけ緻密な議論を構築せよ、ということである。その過程で、授業中に学んだことを反芻し、参考文献を調べることが当然必要となる。つまり、自主的に、かつ独りよがりの空回りや偏向に陥らないように、周到な計画性をもって問題に取り組むことが求められているのである。
 学生諸君、これがこの授業について君たちが取り組む最後の問題です。これまで学んだことを総動員して、自らに恥じるところのない答案を提出してください。