柳田國男の『毎日の言葉』の初版が刊行されたのは、敗戦の翌年昭和二十一年三月である。その自序に、「この一冊は、もっぱら若い女性を読者に予想して、書いてみたものであります」とある。しかし、それは、当時の若い女性たちの言葉遣いに特に問題を感じていたからではないとすぐに断っている。「正直なことを言えば、今男たちは気が立っていて、話をしてもじっくりと考えてくれそうにないからであります」と言っている。確かに、敗戦からまだ半年あまり経ったばかりの当時の日本で、言葉遣いについて落ち着いて考える余裕など、男女を問わず、ほとんどなかったであろう。
はっきりとそう書いてあるわけではないが、特に若い女性を読者として想定して書いたのは、その女性たちが遅かれ早かれ母親になり、自分の子どもたちに最初に言葉を教える役割を果たすことになるから、戦後の混乱期にあって、まずそういう女性たちに、「生きて日々働いている口言葉」の大切さを柳田は伝えたかったのだろう。戦時中、「人が口さきだけの好い言葉を受け渡ししていた時世のあじきなさを、しみじみと経験なされた皆さんの若いうちに」柳田は国語の未来を託したかったとも言えるのではないだろうか。
自序の終わりの数行をそのまま引く。
国語はわれわれの心がけしだいこの上までいくらでもよくなりますが、そのかわりにまた今よりもっと見苦しくもなります。その心がけというはどんな事かというと、なによりもまずよく知った言葉を使うことです。その知るということがこれまで足りませんでした。おもしろく話をするような人があまりにも少なかったためであります。この毎日の言葉というようなことを考えさせる書物が、おいおいと女の人たちの中からも出てくるように、私はごくわずかな見本のようなものを書いてみました。これが迎え水というものになって、清い泉の空高く吹き上げる日が来ることを、心の奥底から念じている者が私であります。
本書の中で柳田が取り上げている言葉の多くは、「オ礼ヲスル」「アリガトウ」「スミマセン」「モッタイナイ」「イタダキマス」「タベルとクウ」「モライマス」「イル・イラナイ」「モシモシ」など、今日でも私たちが日常的に無意識に使っている言葉である。その語源についての柳田独特の説明は、今日、言語学的には必ずしも支持されえないとしても、その中にはなお傾聴に値する洞察・卓見が随所に見られる。
初版から十年後に刊行された第二版の自序を柳田はこう結んでいる。
「毎日の言葉」をただ一身の修養のためでなく、それをこの民族の根元を明るくするために、かねてまた遠い末の世を計画するの料に、おいおいと考えていくような世の中を到来せんことを、私はひとり夢みているのであります。
柳田の夢は夢のままに終わってしまうのだろうか。