昨日の記事で言及した「なつかしい」諸著作のうち、亀井勝一郎『日本人の精神史』、吉川幸次郎『古典について』、梅原猛『美と宗教の発見』の初版が刊行されたのはいずれも一九六〇年代である。それはなぜなのか考えてみた。高校時代から日本人固有の心性に関心を持ち、大学では社会心理学を専攻しようとしたが、一年も経たないうちに失望し、自分の関心に応えてくれるのは日本上代文学だと気づき、専攻を翌年変えた前後にこれらの著作をはじめて読んだ。いずれも刊行後すでに十数年を経ており、それぞれにその評価も確立していたから、当時の私の関心に応えてくれそうな本としてほぼ時を同じくして読んだ。
これらの著作が取り扱っている主題についての関心に自分の知的形成の基点があるのだということを今回これらの著作を読み直しながら改めて自覚した。八〇年代半ばからの十数年間は西洋哲学、特にフランス現象学を中心に学び研究し、そして西田哲学研究に転じ、西田哲学とフランス現象学との比較研究で博士号を取得したのが二〇〇三年。以後は、西田研究を回転軸としながら、いわば遠心的に研究テーマを拡張しているうち十数年が経ってしまった。まことに散漫で中途半端な自分の研究論文(と呼ぶことさえも憚られる代物)のリストを眺めていると、いったい何をやってきたのかと情けなくもなる。
これからどれだけのことができるかわからないが、「なつかしき」場所に立ち返ろうと思う。そこからこれまでやってきたことすべてを眺め直し、それら相互に脈絡を付け、一つの生ける全体として賦活することで我が「作品」としたい。