内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

フランス社会を分断しつつある「軽蔑の下降的連鎖」

2021-05-18 17:30:32 | 読游摘録

 昨日の記事で言及したエマニュエル・トッドの『21世紀フランスの階級闘争』に「軽蔑のカスケード」という表現が出てくる。「カスケード」は原文では « cascade »、「滝、あるいは滝状の現象」を意味する。一旦本書でのこの語の使い方がわかればカスケードと訳しても(いや、訳さずに使っても、と言うべきか)、理解に困難を覚えることはないし、確かに印象的な表現ではある。しかし、「軽蔑の連鎖」とした方が日本語としてはすっきりしているし、わかりやすいと思う。滝のイメージをいくらかでも取り込むために「下降的連鎖」としてもよいかも知れない。
 原文には、cascade と軽蔑を意味する mépris という名詞を組み合わせた表現が六回出てくるが、組み合わせ方が一様ではない。まず、« une cascade du mépris » という表現が出てくる。これはフランスでは軽蔑がどういう社会的形態を取っているかという意味で使われている。つまり、軽蔑というものが社会の上層から下層に向けて滝のように下降していくということである。言い換えれば、各階層はその下の階層を軽蔑するという連鎖が見られるということである。
 次は « deux mépris en cascade » という表現である。これは軽蔑の連鎖の具体例として、極右政党の支持者たちをマクロン支持者たちが軽蔑し、極右政党の支持者たちが北アフリカ出身の移民たちを軽蔑するという二つの軽蔑の関係を表している。直後の節で « le mépris en cascade » という表現が出てくるが、これは各社会階層間の関係を説明する概念として用いられている。
 « Dans la description de la cascade des mépris sociaux » という表現は、社会における複数の軽蔑(的態度)の上から下への連鎖の様態が記述された章に言及している箇所で用いられている。
 残りの二箇所は同じ文脈に登場する。というよりも、その前者は軽蔑の連鎖の図式の名称 « La cascade des mépris »として用いられ、後者はその図式の説明の中に « dans cette cascade de mépris descendants » という形で出てくる。この図式は大変興味深いのだが、それについて説明しだすと記事が長くなり過ぎる(と私は思う)ので、それは明日の記事に譲る。
 エリートが庶民を軽蔑するということは、フランス社会に限らず、そして現代に限らず、様々な時代と社会においてありえたであろうし、ありうるだろう。その意味では、上から下への軽蔑は、ほとんど普遍的な社会現象だと言えそうである。では、トッド氏はなぜこの点を強調するのか。それは、この軽蔑によって虚妄の優越感を懐くことによってしか自分が帰属している(あるいはそう信じている)階層のアイデンティティが確保できなくなっていることを深刻な社会問題として捉えているからだ。例えば、極右政党支持者たちを軽蔑するマクロン支持者たち(の多く)は、別にマクロンのやり方に賛成しているわけではなく、極右なんかを支持する労働者連中と自分たちは違うという優越感に浸りたいがために支持しているだけで、現実の政治について何ら具体的かつ建設的な意見を持っているわけではないことが多いのだ。このような無自覚な軽蔑の下降的連鎖が蔓延する社会は深刻な分断と混沌に向かわざるをえないだろう。
 トッド氏の見立てはかなり悲観的であり、そのことは本人も認めている。しかし、希望も失ってはいない。その希望的仮説を述べている箇所を『パンデミック以後』から引いて、この記事を閉じることにする。

私の仮説はこうです。いずれかの時点で、このルペン氏(=極右政党党首)に投票する労働者階級を軽蔑しながら、かといって自身がたいして上層にいるわけでもない。CPIS(=Cadres et Professions Intellectuelles Supérieure 管理職及び高度に知的な職業)のプチ・ブルジョワたちも、自分たちより下を軽蔑することをやめて自分たちより上にいる1%にまなざしを向け、闘争に入る。そして、軽蔑のカスケードの社会から、階級闘争で再構成される社会に移行する―。ここで私が言う階級闘争とは、フランス革命の時のような階級闘争ではなく、ほとんどすべての人と1%の上層部との闘争です。

フランス社会は岐路に立ってためらっている。島国化、つまり社会の解体と混沌が進むのか、あるいは指導者グループに対する階級闘争を通して再構成の動きに向かうのか。