今日は『論証のレトリック』第一章「レトリック(レートリケー)事始め」からの引用です。
シケリアのシュラクサイで民主制がおこなわれるようになったのは前四六七年頃のことです。そこでシュラクサイの人であるコラクスとテイシアスが、主として法定弁論の技術に関する規則をまとめたハンドブックを書いたのです。これが技術としてのレートリケーの始まりです。
プラトンの『パイドロス』では、テイシアスは「真実らしくみえることが真実そのものよりも尊重されるべきであることを見ぬいた人」(267A)だといわれています。なぜ尊重されるべきなのかというと、「真実らしく見えること」は「多数の人にそうだと思われること」にほかならない(273B)からです。テイシアスはそういう「(言論の)技術の秘訣ともなるような賢明な発見をした」(同上)わけです。
プラトンは、当時「言論の技術」と称されて流行したレートリケーに批判的だったので、からかい半分の語り口ではありますが、さまざまな弁論家たちの教えを『パイドロス』(266D‐267D)のなかで生き生きと描き出しております。
テイシアスとゴルギアスについては、「真実らしいものが真実そのものよりも尊重されるべきであることを見ぬいた人たちだが、一方ではまた、言葉の力によって、小さい事柄が大きく、大きな事柄が小さくみえるようにするし、さらには目新しい事柄をむかしふうに、古くさい事柄を目新しく語るし、またあらゆる主題について、言葉を簡単に切ったり、いくらでも長くしたりすることを発明したのだ」といわれています。