内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

夢物語、あるいは夢見る不幸

2022-03-19 17:22:49 | 雑感

 イソクラテスについての記事がしばらく続いたので今日は一休みします。疲れたからではありません。『イソクラテスの修辞学校』からの摘録を続けてきただけなのですから、書くのに疲れたということはないのです。少し「空気の入れ替え」をしたいだけです。
 夢について他愛もないことを書きます。夢について他愛もないことを書いて気分を少しでも変えたいのです。
 ほぼ毎晩夢を見るのですが、ごくごくわずかの例外を除いて、ろくでもない内容の夢ばかりです。くだらない、というよりも、うんざりする内容なのです。細部は目覚めた途端に忘れてしまうので、再現できませんが、パターンはだいたい次のように決まっています。
 行き先はわかっているはずなのに、いざ出発すると、どのように行けばよいかわからず、途方に暮れる。帰りたい場所はわかっているのに、帰り道がわからずにさまよう。期限までに仕上げないと、資格が取れない、あるいはそれを失うとわかっているのに、ぜんぜん仕事が進んでいない。授業や発表がせまっているのに、まったく何の準備もできていなくて焦りまくる。
 まあ、だいたいこんなのばっかりなのですよ。これらの内容がそのときの現実の生活の直接的反映であることはほとんどなくて、覚醒時に抑制あるいは抑圧されていた通奏音的な気分あるいは心的状態が睡眠時に解放され、それが過去のさまざまな出来事や体験と結びついて、見たくもない「夢物語」を夜毎紡ぎ出しているのだと解釈しています。
 つくづく不幸な生き方だと思います。毎夜の夢はそのことを私にいやでも認めさせるためだけに生成されているのではないかと思われるほどです。こんな私にも過去には幸せな時期もありました。思えば、その時期には夢を見ることはほとんどありませんでした。たまにあっても悪い夢ではありませんでした。
 今の私の夢は、夢を見ないことです。