2月24日以来、私の精神状態はずっと不安定です。なんで、どうして、こんなことが、という、怒りとも悲しみとも言えない激しい感情に揺すぶられ続けています。
内外の識者たちのいかにもそうなんだろうなという立派な解説をいくら読んでも、どうしても、こんなことがあっていいわけはないだろう、というところに私の気持は帰っていってしまいます。
ただ、平静を装うためにだけ、見かけ上、淡々とこのブログを続けてきました。イソクラテスやレトリックにこだわったのも、ただ現実から逃避したかっただけなのかも知れません。
今日は今日で、これもまた別の逃避に過ぎませんが、中村健之介氏の『ドストエフスキー人物事典』の最終章31『カラマーゾフの兄弟』を読んでいました。ロシア語にも翻訳されたこの事典は、ほんとうにすごい。誇張ではなく、世界に誇っていい仕事だと私は思います。
ロシアは私にとって複雑な感情を呼び起こす国なのです。戦後まだ国交がない時代、私の父はロシア及び東欧諸国との貿易促進のための組織で働いていました。そのころ、父は、今から思えば、一番仕事にやりがいを感じていたのだと思います。同僚の方たちが我が家にいらっしゃることもしばしばあり、何かみなさん「同士」たちという感じでした。
その頃、私はまだ小さ過ぎて、なぜ父がそんな「マイナー」な仕事を選んだのか、知るよしもありませんでした。その父は、私が高校二年のとき、二年余りの闘病生活の末、病没してしまったので、当時の父の気持を聴く機会も永遠に失われてしまいました。
今、ちょっと、いや、おおいに、センチメンタルなのですが、父と、酒を酌み交わしながら、ロシアの話を聴きたい。「おやじ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。」