内的自己対話-川の畔のささめごと

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「孔子は最も狂者を愛した人である」― 白川静『孔子伝』「文庫版あとがき」より

2022-03-29 14:17:37 | 読游摘録

 白川静が『孔子伝』を書くきっかけとなった気がかりなことは、勤務大学の紛争のほかにもうひとつあった。それは当時の中国の「異常な事態」である。1965年に始まった文化大革命はすでに四境辺土の隅々にまで横行していた。すべての出版物は、巻頭に特大の文字で『毛主席語録』の一節を掲げた。雑誌には研究も作品も姿を消して、ただスローガンのみが氾濫した。しかしこのすさまじい喧噪のなかで、一体何が起こっているのかは、外部からは知る由もないことであった。

それはノモス的な大きな力で、是非の区別もなく焼き尽くしてしまうほどのものであるらしい。[…]内外すべて、ノモス的な幻影が世をおおうている。多分孔子も、このような時代に生きたのであろう。哲人孔子は、どのようにしてその社会に生きたのか。孔子はその力とどのように戦ったのか。そして現実に敗れながら、どうして百世の師となることができたのであろうか。私はそのような孔子を、かきたいと思った。社会と思想と、その人の生きざまと、その姿を具体的にとらえたいと思った。ただ私は研究者であるから、それがそのまま一部の精神史であり、思想史であることを意図した。そのため孔子の周辺のことや、思想の系譜についても、注意を怠らなかったつもりである。

 文革中、孔子は孔丘とよびすてにされ、奴隷制度の擁護者として非難された。文革が終わり、孔子は再評価を受け、名誉を回復した。
 しかし、文革終熄後まだ十年もたたぬうちに、再び天安門事件が起こる。89年6月4日未明、戦車なども出動する武力鎮圧によって、学生や市民数百名が死亡した。
 その年、白川静は、「狂字論」という文章を書いた。中国における狂の精神史を通観することを試みたものである。

孔子は最も狂者を愛した人である。「狂者は進みて取る」ものであり、「直なる者」である。邪悪なるものと闘うためには、一種の異常さを必要とするので、狂気こそが変革の原動力でありうる。そしてそれは、精神史的にも、たしかに実証しうることである。中国においては、その精神史的な出発のところに、孔子の姿がある。そのことは『孔子伝』にもいくらかふれておいたが、『孔子伝』では及びえなかったその精神史的な展開を、そこでたどろうとした。あらゆる分野で、ノモス的なものに対抗しうるものは、この「狂」のほかにはないように思う。