内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

大人が創り出した反空間、そして異空間位相学の提唱

2015-10-21 05:04:35 | 読游摘録

         

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 一昨日から読んでいるフーコーのテキストの昨日の続きを読んでみよう。

Ces contre-espaces, à vrai dire, ce n’est pas la seule invention des enfants ; je crois, tout simplement, parce que les enfants n’inventent jamais rien ; ce sont les hommes, au contraire, qui ont inventé les enfants, qui leur ont chuchoté leurs merveilleux secrets ; et ensuite, ces hommes, ces adultes s’étonnent, lorsque ces enfants, à leur tour, les leur cornent aux oreilles. La société adulte a organisé elle-même, et bien avant les enfants, ses propres contre-espaces, ses utopies situées, ces lieux réels hors de tous les lieux. Par exemple, il y a les jardins, les cimetières, il y a les asiles, il y a les maisons closes, il y a les prisons, il y a les villages du Club Méditerranée, et bien d’autres.

 少し補足も織り込みながら意訳すれば、以下のようになるだろうか。
 私たちが生きている日常世界の中に作り出された異空間、あるいは反空間は、子どもたちだけの手にかかるものではない。むしろ、子どもたちは、実のところ、何を創造したわけでもない、と言わなくてはならない。つまり、それは「ごっこ」に留まる。大人たちの日常的空間に対峙し得るだけの持続的な堅固さを子どもたちの想像空間は有っていない。
 子どもたちを〈子どもたち〉として自分たちから区別したのは〈大人たち〉であり、後者が前者の耳元で驚くべき秘密を囁いたのが事の始まりだ。ところが、後になって、大人たちは、子どもたちが奇想天外な話を自分たちの耳元で繰り返すのを聞いて驚くことになる。
 子どもたちが想像空間を創出するずっと以前に、大人社会は、それ固有の反空間、位置づけられたユートピア、すべての場所の外なる現実的な場所を設えていた。例えば、それは、庭であり、墓地であり、収容所であり、売春宿であり、刑務所であり、地中海クラブ村等々である。
 しかし、ここまで読んで来ると、「ユートピア」という言葉の使い方に違和感を覚えるであろう。その違和感は二重である。一つは、現実にどこかに特定できる場所が「どこにもない場所」を語源的に意味する « utopie » と呼ばれているからであり、一つは、この語が現実にはありえない「理想郷」を意味することが多いからである。
 もちろんフーコーはそのことを自覚しており、それゆえ、 « hétérotopie » という自らの造語を « utopie » に置き換え、私たちが生きている日常的空間に異を唱える虚構的「異空間」を考察対象とする「異空間位相学」(« hétérotopologie »)を提唱する。

Eh bien ! Je rêve d’une science - je dis bien une science - qui aurait pour objet ces espaces différents, ces autres lieux, ces contestations mythiques et réelles de l’espace où nous vivons. Cette science étudierait non pas les utopies, puisqu’il faut réserver ce nom à ce qui n’a vraiment aucun lieu, mais les hétérotopies, les espaces absolument autres ; et forcément, la science en question s’appellerait, s’appellera, elle s’appelle déjà « l’hétérotopologie ».

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


絶対的に異なる場所-反空間、あるいは子どもたちのユートピア

2015-10-20 05:57:16 | 読游摘録

   

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 昨日紹介したミッシェル・フーコーの講演原稿 « Les Utopies réelles ou Lieux et autres lieux» の続きを読んでみよう。

Il est bien probable que chaque groupe humain, quel qu’il soit, découpe, dans l’espace qu’il occupe, où il vit réellement, où il travaille, des lieux utopiques, et, dans le temps où il s’affaire, des moments uchroniques.

 おそらく、どのような人間集団であれ、その集団がそこを占め、そこに現実的に生き、そこで働く空間の中に、ユートピア的な場所を切り分け、忙しく働く時間の中に、その時間に属さない虚構的時間を切り取る。

Voici ce que je veux dire. On ne vit pas dans un espace neutre et blanc ; on ne vit pas, on ne meurt pas, on n’aime pas dans le rectangle d’une feuille de papier. On vit, on meurt, on aime dans un espace quadrillé, découpé, bariolé, avec des zones claires et sombres, des différences de niveaux, des marches d’escalier, des creux, des bosses, des régions dures et d’autres friables, pénétrables, poreuses. Il y a les régions de passage, les rues, les trains, les métros ; il y a les régions ouvertes de la halte transitoire, les cafés, les cinémas, les plages, les hôtels, et puis il y a les régions fermées du repos et du chez-soi.

 一言で言えば、私たちが生きている空間は、中性的・無機的で何もまだ記入されていない空間ではなく、多元的に分節化されている空間だということである。

Or, parmi tous ces lieux qui se distinguent les uns des autres, il y en a qui sont absolument différents : des lieux qui s’opposent à tous les autres, qui sont destinés en quelque sorte à les effacer, à les neutraliser ou à les purifier. Ce sont en quelque sorte des contre-espaces. Ces contre-espaces, ces utopies localisées, les enfants les connaissent parfaitement.

 ところが、私たちの生活空間を構成しているこれらの相互に区別される諸種の場所の間にあって、それらとは絶対的に区別される場所がある。それは、その他すべての場所に対立する場所であり、あるい意味で、それらの場所を消し去り、中和し、純化するための場所である。いわば反空間とも言えよう。この場所的に限定された諸種のユートピア、子どもたちはこれらをよく知っている。

Bien sûr, c’est le fond du jardin, bien sûr, c’est le grenier, ou mieux encore la tente d’Indiens dressée au milieu du grenier, ou encore, c’est, le jeudi après-midi, le grand lit des parents. C’est sur ce grand lit qu’on découvre l’océan, puisqu’on peut y nager entre les couvertures ; et puis ce grand lit, c’est aussi le ciel, puisqu’on peut bondir sur les ressorts ; c’est la forêt, puisqu’on s’y cache ; c’est la nuit, puisqu’on y devient fantôme entre les draps ; c’est le plaisir, enfin, puisque, à la rentrée des parents, on va être puni.

 子どもたちがよく知っているそれらの場所とは、例えば、庭の奥であり、屋根裏部屋であり、そこに張られたインデアンのテントである。あるいはまた、両親が不在の日の彼らのダブルベッドである。そのベッドの上で、子どもたちは、掛け布団の間を泳ぎ、大海原を発見する。はたまた、そのベッドの上で飛び跳ねれば、そこは空だ。身を隠せば、森だ。シーツの間に入り込んでお化けになれば、そこは夜だ。これはもう、(禁断の)快楽だ。なぜって、両親が帰ってくれば、お仕置きだからである。





















ミッシェル・フーコー「現実的ユートピア、あるいは〈場所〉と他の場所」

2015-10-19 10:42:33 | 読游摘録

   

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 Le Cercle de La Pléiade に入会(無料)すると、新刊案内の季刊小冊子 La lettre de La Pléiade が無料で送られてくれる(ネット上で入会手続きすれば、こちらからダウンロードすることもできる)。来月11月の新刊は、ミッシェル・フーコー選集二巻である。その主要部分は、現在でも容易に入手できるフーコーの主著群で占められるいるが、第二巻には、小論文、前書き、講演筆記等も収められていて、それらの中には、Dits et écrits (1954-1988) には収録されていない文章も含まれている。

 そのような文章の一つとして、1966年12月7日に France culture で放送された講演原稿がある。そのタイトルは、« Les Utopies réelles ou Lieux et autres lieux »。この講演原稿は、フーコーの死後、« Les Hétérotopies » のタイトルで出版され、今日では、Les hétérotopies - Le corps utopique (Éditions Lignes, 2009) という64頁の小著として簡単に入手できるし(こちらを参照されたし)、ネット上でも、 « Les hétérotopies » は、こちらで PDF版が読めるし、ダウンロードもできる。
 この講演原稿の抜粋が上記の小冊子の一頁を占めているのだが、その脚注に、«elle est reproduite dans la Pléiade sous son titre véritable et dans une transcription nouvelle et intégrale » とあるから、今回 Pléiade 版に収められた講演原稿は、新たに音源から起こした完全版ということなのだろう。この講演の音源そのものは、こちらで聴くことができる。実に力強く、明瞭な発声である。
 音源と上記の PDF版には若干の違いがあるが、抜粋の出だしと音源のそれとは一致している。まず、いわゆるユートピアの諸特徴を挙げ、それらは結局のところ、諸種のユートピアの有つ「甘美さ・心地よさ」(la douceur)であるとし、それに対して、あらゆる社会には、地図の上ではっきりと特定可能で、時間的にも日常の時間性の中で限定・計測可能な、現実的な「ユートピア」が存在するとフーコーは主張する。

Il y a donc des pays sans lieu et des histoires sans chronologie ; des cités, des planètes, des continents, des univers dont il serait bien impossible de relever la trace sur aucune carte ni dans aucun ciel, tout simplement parce qu’ils n’appartiennent à aucun espace. Sans doute ces cités, ces continents, ces planètes sont-ils nés, comme on dit, « dans la tête des hommes », ou à vrai dire, dans l’interstice de leurs mots, dans l’épaisseur de leurs récits, ou encore dans le lieu sans lieu de leur rêve, dans le vide de leurs cœurs. Bref, c’est la douceur des utopies. Pourtant, je crois qu’il y a — et ceci dans toute société — des utopies qui ont un lieu précis et réel, un lieu qu’on peut situer sur une carte ; des utopies qui ont un temps déterminé, un temps qu’on peut fixer et mesurer selon le calendrier de tous les jours.

 

 

 
























人生の黄昏時の寂寥感 ― ブラームス『クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115』

2015-10-18 04:25:58 | 私の好きな曲

 秋になると聴きたくなる曲がある。その旋律が、深まりゆく秋の景色の色合いとよく調和し、風景の中で自ずと響き出すかような曲。私にとって、それは、ブラームスのクラリネット五重奏曲。
 一八九一年、ブラームス五十八歳の時の作品で、晩年の代表作の一つに数えられる。同ジャンル中の名曲としてよく知られている。作曲されたのは、その年の夏、お気に入りの避暑地、オーストラリアのバート・イシュルでのこと。
 この作品の後に、ブラームス最晩年の四つのピアノ曲集、すなわち、『幻想曲集』(作品116)、『三つの間奏曲』(作品117)、『小品』(作品118)、『四つの小品』(作品119)が続く。これらの作品にも、私は深い愛着がある。
 ブラームスのクラリネット五重奏曲は、モーツアルトの傑作クラリネット五重奏曲とよくカップリングされる。後者については、ヨーヨー・マが、あるテレビ・インタビューの中で、喜びの時にも悲しみの時にも演奏することができる普遍性を持った名曲中の名曲として讃えていたのを覚えている。
 それに対して、ブラームスの名曲(奇しくも、モーツアルトがクラリネット協奏曲を書き、その数ヶ月後に亡くなる一七九一年からちょうど百年後に作曲された)は、人生の黄昏時の深い寂寥感を湛えている。
 初めて聴いたのがいつのことだったか、もうよく覚えていないが、ウィーン室内合奏団(クラリネットはアルフレート・プリンツ)の演奏(一九八〇年録音)だった。モーツアルトの方が目当てで買ったCD(DENONの「ザ・クラシック1300シリーズ」全50枚のうちの一枚)で、ブラームスの曲の方には何の予備知識もなかった。モーツアルトの曲の後に少し間を置いて始まった第一楽章の出だしを聴いた瞬間にもう、その哀切極まりないメロディーの虜になってしまっていた。
 毎年、この季節になると、その同じCDを取り出す。この記事も、それを聴きながら書いた。

同曲の音源はネット上でも数多あるが、往年の名演奏として今も支持者が多いレオポルト・ウラッハ(クラリネット)、 ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 の演奏(1952年録音)の第一楽章がこちらで聴ける。  

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オランジュリー公園秋模様

2015-10-17 18:32:15 | 写真

 幼稚園から高校までは、今日から全国的に万聖節の二週間の休みに入った(大学は、十月最後の週から十一月一日までの一週間だけ)。火曜日からずっと続いている灰色の空の下、気温は六七度止まり。体感的には何かもっと底冷えがする。
 自宅から自転車で数分のところにあるオランジュリー公園は、ストラスブールで最も大きく美しい公園である。平日は、それほど人は多くないが、週末は、かなりの人出で賑わう。しかし、今日土曜日は、万聖節の休暇の初日、しかもこんな天気であるから、いつもに比べて、人も少なく、静かだった。
 そんな公園を自転車で走り回りながら撮った写真から八葉(写真はその上でクリックすると拡大されます)。

 

       


隣家の猫

2015-10-17 08:49:10 | 写真

 風景や植物など、動かない対象は、光の加減など刻々に変化する条件の考慮を除けば、慌てることなく、一回に何枚でも写真に撮ることができる。ところが、動物たちとなるとそうはいかない。
 書斎の窓の正面の樹々には、様々な小鳥たちが実を噤みにやって来るのだが、とにかく片時もじっとしていてくれないし、来たと気づいてカメラを取り出すようではもう遅い。かといってベランダでずっと待機して撮ってやろうというほどの熱意も時間もない。
 先日プール近くの歩道で、仔栗鼠が目の前を横切って行くのに出会った。そろそろ昨年のように我が書斎の前にも姿を見せてくれることだろう。樹々の葉が繁茂している間はそれに隠れて栗鼠たちの姿が見えない。葉と葉の僅かな隙間から見えるめまぐるしく動く小さな影や、風とは違う枝の揺れ方で、栗鼠たちが枝から枝へと渡って行ったのだと気づくことはあるが、写真には撮り難い。枯れ葉が落ち、枝が露わになっていくこれからの季節の間に、なんとか写真に収めてみたい。とにかくすばしっこく、じっとしていることはないから、簡単ではないだろうけれど。
 昨日、鳥たちに食べられて穴の空いた林檎がぶら下がっている枝をベランダに出て間近で見ていたら、その真下、垣根の下に蹲っている一匹の猫に気づいた。どうやら隣家の猫のようである。こっちに背中を向けている。舌を鳴らしてこちらを振り向かせ、何枚か撮ったが、それが鬱陶しいと思ったのだろう、垣根の下のいつもの通り路らしいところを通って、のそのそと帰って行ってしまった。


   

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無常観、あるいは英雄的ニヒリズム

2015-10-16 04:37:35 | 講義の余白から

 今年度前期の修士の一二年合同演習では、丸山眞男の『日本の思想』の最初の章「日本の思想」を読んでいる。同書中一番長く、かつ内容的に難しい。同書について、むしろ最後の章から逆に読み上げていった方が理解しやすく、挫折しにくい、とよく言われる。それを承知の上で、一ページ目から読み始めた。
 この演習は、来年二月の法政大学の哲学科の学生たちとの合同演習の準備と口頭発表能力訓練という二重の目的を持っているので、原則として日本語で行なう。難しくて立ち入った説明が必要なところはフランス語を使うときもあるが、一回二時間の演習中、八割から九割は日本語である。私だけではなく、出席している六名の学生たちも、発言は原則として日本語でなければならない。
 二年生の三人は、この八月まで一年間日本の大学に留学していたから、一年生と比べると聴解能力は格段に上だし、かなりよく喋れる学生もいる。しかし、それにしても「日本の思想」の読解には難儀している。ましてや一年生にとっては、ただテキストを読んで理解するだけでも大変なのに、日本語で議論しなければならないのであるから、この演習はとても負担が大きい。
 当初の予定では、毎回必ず全員にテキストの内容説明させる予定だったのだが、内容理解以前に、語彙・構文が難物で、一週間で二頁準備してくるだけでも他の勉強ができなくなるほど大変だと学生側から悲鳴が上がったので、こちらも譲歩して、一回に読む量は半分にして、内容の理解を深めるための議論を中心にすることにした。
 議論とは言っても、最初の数回は私の説明が中心だったのだが、昨日は、先週読んだ「逆説と反語の機能転換」について、あらかじめ日本語で意見をA4一枚に自由に書かせて提出させ、それをもとに議論した。六人それぞれ、なかなかおもしろい意見を出してくれて、私の方もそれに応じて自由に論じ、出席者全員にとってかなり手応えのある演習であった。
 その中でも、一年生の一人が、まだ日本語発表能力は覚束ないのだが、自分の考えてきたことを発表するためによく準備してきていた。日本における無常観の固有性を仏教の無常観と区別することで際立たせ、そこに無常なこの世からの解脱や救済の探求ではなく、生の全側面をそのまま受け入れて生きていく積極性を認め、それがニーチェの言う英雄的なニヒリズムに似ていると指摘した。つまり、ヨーロッパ起源の反語が日本人の庶民的な感覚との順応性のためにその本来の機能を失ってしまうという否定的な側面から問題を見るのではなく、無常感から無常観への深化のなかに積極的な思想性を読み取ろうと試みていたのである。
 それを受けて、私の方では、そのような積極性の可能性の条件については、日本人の自然観を考察することでより深い理解が得られるであろうと応じた。学生たち、とくに一年生たちにもわかるように、できるだけ易しい言葉を選び、具体例も挙げながら、ゆっくりと同じ問題を繰り返し考察し直すことは、私にとってもよき「演習」である。

 

   

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冬の予告編

2015-10-15 03:35:57 | 雑感

 先週までは澄んだ青空が広がる穏やかな秋日和が続いていたが、昨日から急に気温が下がり、灰色の雲に覆われた空からはときどき小雨も降って来る。まるでストラスブールの寒い冬の予告編のような天気。日中の気温は、6、7度で推移している。今日の日の出は7時48分。朝のプールの開門時にはまだ空は暗く、気温も3、4度。風はないが、日中でも、自転車で十五分も走っていると、手袋なしでは手が悴んでしまいそう。街行く人たちの装いも秋から冬への移り行きを急き立てられているかの様。もちろん冬の到来にはまだ間があるし、天気予報によれば、来週はまた少し気温も上昇するとのこと。今日のような曇天下では、すべてが薄く靄がかかったように見える。そんな街の景色が私はけっして嫌いではない。美しいイルミネーションで街が輝くノエルの季節が来る前の、中秋から初冬にかけてのこの一月半ほどの、暗さと寒さなかに静かに沈んでゆくこの街の「素顔」が私は好きだ。


   

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城館の中の小さな図書室

2015-10-14 04:47:32 | 写真

 1997年から2000年まで家族三人で住んでいたアパートは、現在の住居と同じ地区にあり、今でも外見は当時とほとんど変わっていない。現在の住居が同地区の南西隅にあるのに対して、そのアパートはずっと東寄り、ライン川から直線距離にして400メートルほどのところに位置している。
 昨年七月にストラスブールに再び引っ越してきてから、住宅地区であるそちらの方まで足を延ばす用は普段はなく、昨年九月に一度散歩の折に旧アパートの前を通ったことがあっただけだった。そのときは、懐かしさのあまり、しばしその場に佇み、当時を回想せずにはいられなかった。三階建の最上階だったその住居の東北東向きの窓からは、晴れた日にはシュヴァルツヴァルトの山並みを見渡すことができた。
 先月、自転車を買ってから、買い物に行けるスーパーの選択肢が増え、その一つには、旧アパートの脇が通り路になる。その買い物コースの行き帰りに、ちょっと足を延ばしてよく行くようになったのがプルタレス城公園。この公園については、昨年9月28日29日の記事で紹介した。

   

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 この公園は、旧アパートからは自転車で10分程度と近かったし、当時三歳の娘が通い始めた日本語補習校が城館内の一室を図書室として借りていたので、娘を自転車のチャイルドシートに乗せてよく通った。日本語の絵本のコレクションはかなり充実していた。今ではレセプションやパーティーなどの会場として主に使われているようだが、外見は当時とほとんど変わっていない。その脇の、おそらくは、元厩舎・納屋であった建物は、ちょっとお洒落なホテル・レストランとして改装されて営業している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


橋の下、水上を滑空する一羽の白鳥

2015-10-13 03:58:39 | 写真

 普段通勤のとき、その左脇を通過するか、右岸と左岸を行き来するときに利用する歩行者・自転車専用の橋がある。自転車同士がようやくすれ違えるほどの幅で、路面が木製の小さな橋である。欧州議会から街の中心部に向かってリル川に沿って下って行くとき最初に出会う橋である。その橋を大学の帰りに写真に撮ろうとしていたら、川上からエンジンの爆音が聞こえてくる。すると、何羽かのカモメたちが橋の下をこちらに向かって矢のように通過し、その後を一羽の白鳥が、まるで後続のモーターボートを先導するかのように、水面を滑空してきた。橋の全景を写真に収めようとしていたから、突然登場した白鳥にズームでフォーカスを合わせる余裕もなく、慌ててシャッター・ボタンを押しただけ。ピントも合っていないし、中央の点景にしかなっていないけれども、偶然にも捉えられた白鳥の「勇姿」。

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