内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

記憶の複数性、逆光の中の少女の未来のために

2015-10-12 05:11:18 | 写真

 日曜日の昨日、前日の記事で話題にしたライン川のフランス側の川岸にある石碑に向かって、右側二百メートルほどのところにある歩行者・自転車専用の橋 Passerelle Mimran を渡って、ドイツ側に行ってみた。
 橋上も両岸も、西に傾き始めた秋の穏やかな陽射しの中、沢山の人たちが散歩を楽しんで行き交っている。

       

(写真はその上でクリックすると拡大されます)


 ドイツ側からフランス側に向かって写真を撮るにはちょうど逆光になる時間帯だ。Passerelle Mimran を下から見上げるようにして数枚の写真を撮った後、その自分の立っている位置のすぐ脇に、一枚のステンレス製のプレートが貼り付けてある高さ七十センチ、幅六十センチほどの石柱があるのに気づく。その石柱の上には、鋼鉄製の薔薇のモチーフが固定されている。その石柱の前を行き交う人たちは誰もそのプレートを気にも留めない。
 プレート正面に身をかがめて読んでみると、昨日の記事で話題にした石碑と「同じ」歴史的事実を記念したプレートだとわかる。しかも独仏両語で。
 「同じ」事実の記念だが、昨日の石碑とは微妙に、だが決定的なところで、表現が違っている。フランス側の石碑で私が強烈な印象を受けた « lâchement» に示されているような「感情的」表現が一切ない。しかし、より事実を詳しく記述している。

Quelques heures après la libération de Strasbourg par les Alliés, le 23 novembre 1944, neuf membres du groupe de résistance française « Réseau Alliance » furent extraits de leur prison par la Gestapo avant d’être assassinés sur la rive kehloise du Rhin.

 こんなプレートを写真に撮ろうなどという人は多くはないであろう。それを奇妙に思ったのかどうか、そんなものより私を撮って、と言わんばかりに、五六歳と思しき少女が液晶画面の中に突如現れた。驚いたが、思わずこちらの口元もほころんで、逆光ではあったが、彼女にフォーカスを合せてシャッターを切った。


 私が写真を撮った後、その少女の父親らしき人がプレートの記述の意味を少女にドイツ語で説明していた。
 歴史をごまかさずに後世に伝えることは、私たち大人の責務であろう。しかし、それは、苦痛に満ちた過去を憎悪とともに永遠化するためではないだろう。無邪気な少女のあどけない笑顔がいたるところに花咲くような世界の到来を願ってのことでなくてはならない。










ラインのほとりの戦争の記憶

2015-10-11 05:18:05 | 写真

 十九年前にストラスブールに暮らし始めてまだ一月も経っていない九月下旬のことだったと思う。まだ市の周辺に何があるのかもよく知らないままに、国境まで行ってみようとふと思い立ち、家族三人でバスに乗って出かけた。そのバスはライン川を越えてドイツ側の小さな街ケールまで行くのだが、その日はライン川の手前のバス停で降り、人影もない殺風景な緑地を川べりまで歩いて行った。
 一つの石碑がひっそりと木陰に立っていた。
 それは、フランス国内のレジスタンス活動中最も活発だったとされるグループ、「レゾ―・アリアンス」の諜報員たちを愛国者として讃える石碑であった。
 その石碑には、こう刻まれていた。

À la gloire des patriotes, agents du Réseau « Alliance », lâchement assassinés par la Gestapo en fuite le 23 novembre 1944, jour de la libération de Strasbourg. Leurs corps furent jetés dans le Rhin en face de ce lieu.

 彼らは、1944年11月23日、ストラスブールがドイツ軍から解放された日に、逃走中のゲシュタポによって殺害され、その遺体は、その石碑のある場所の向かいからライン川に投棄された。
 石碑には、上掲の文の下に、殺害された九名の諜報員の名前と生年月日が記され、一番下に « morts pour la France » (「フランスのために死す」)と刻まれている。
 その日、石碑の文中の « lâchement »(「卑怯にも」あるいは「卑劣にも」)という言葉が心に深く突き刺さった。それを今でも昨日のことのようによく覚えている。
 今では、この石碑の周りはきれいに整地され、視界の開けた広場になっている。石碑に向かって左手には、ヨーロッパ橋の上を独仏両国側から行き来する車が切れ目なく通過しているのが見える。右手からは、2004年に完成した、斬新かつエレガントな歩行者・自転車専用橋 Passerelle Mimran (こちらこちらを参照されたし)の上を行き交う人たちの笑い声がライン川の水面に反響しているのが聞こえて来る。
 独仏両国の現在の流通と交流を象徴する二つの橋の間で、石碑は、かつて両国を引き裂いた残虐な過去の記憶を、沈黙の内に語り続けている。

(写真はその上でクリックすると拡大されます) 

 


森の中の絵画的空間

2015-10-10 04:48:59 | 写真

 陽が西に傾き始めた夕刻、周りの樹々が差しかける枝々の緑・黄・赤の葉が織り成すタペストリーの合間を縫って、人一人やっと通れるほどの幅の細道を自転車で駆け抜けようとしているとき、木製の朽ちかけた橋に出くわした。人同士がようやくすれ違えるほどの幅のその橋は、流れを止めた小川の上に掛かっていた。周りに人気はなく、鳥たちの鳴き声だけが空に響いている。その橋の上から川面を見下ろすと、散り敷いた落ち葉に覆われた水面、その上方の緑の藻に覆われた水面、その水面の下に沈み込もうとしている苔むした一本の樹、その樹から複雑に絡み合いながら水上に伸び広がる細枝、それらすべてを取り囲む川べりの樹々の葉、これらすべての要素があたかも一枚の絵を構成しているようであった。そこだけ時間が止まっているような不思議な感覚に一瞬捕らわれた。

(写真はその上でクリックすると拡大されます) 

 

 


橋 ― ストラスブール街物語の必須アイテム

2015-10-09 04:40:39 | 写真

 このブログに写真をアップするようになって今日が九日目。昨日までの八日間、それ以前のまったく写真なしの文章だけの無味乾燥な記事のときと比べて、閲覧数・訪問者数ともに目に見えてアップした(素人のヘボ写真とはいえ、瞬時に訴えかける写真の威力というのはたいしたものなのですね)。
 2013年6月にブログを始めた当初は、当然の事ながら閲覧数も訪問者数もごく少数だったが、始めて数ヶ月以降先月末までの二年余り、おおよそだが、一日の閲覧数は、700から500の間、訪問者数は200から230の間で推移していた。ところが、10月に入って、写真をアップし始めると、それぞれ800と280に上昇した。いずれ飽きられるであろうから、また元の数値に落ち着くではあろうけれども。
 それはともかく、どこまでも文章で自己表現したいと私は思っている。毎日それを続けるのは、考えることに休みはないから。ただ、ときどきは、「クダラナ日記」のような馬鹿なことも書いてみたくはなる。そういえば、小学校五六年生の頃は、ショートコントのシナリオを書いて、友だちと家で練習して、クラスのお楽しみ会で披露したりもしていたことを思い出す(結構受けたんですよ)。以来、オチのある話を考えるのは嫌いではない(道、誤ったかな)。
 親族・師友・知人等で私のブログをときどき訪問してくださるご奇特な方たちが十数名いらっしゃる。ご本人たちから直接そう伺ったこともあり、各記事の「いいね」や「あしあと」、あるいはフェイスブックのコメントなどでそれを確認してもいる(皆様、いつもありがとうございます)。
 それらの方たちを除けば、どれだけの未知の方が拙ブログを定期的に訪問してくださっているのかはわからない。閲覧数と言ったって、ページを開けた瞬間に「つまらん」と思って、あるいは「間違えた」と気づいて、すぐに他のサイトに移動する場合も数多く含まれるであろうから、実際に記事を読んでくださっている方たちはといえば、どう贔屓目に見ても、せいぜい訪問者数の十分の一くらい、つまり二三十人であろうと踏んでいる。哲学カテゴリーの文章に至っては、さらにその十分の一であろう。
 私はそれでも大変ありがたく思っております。お目にかかったこともない、そしてこれからお目にかかることもないであろうそれらの方たちに、ここに心より感謝申し上げます。
 今日の一枚は、通勤途中の風景。ストラスブール市内にはリル川が街を取り囲むように流れているから、市の中心部に外からアクセするためには必ずどこかで橋を渡らなくてはならない。それらの橋は、それゆえ、街の景観の大切な構成要素をなしている。「ストラスブール街物語」になくてはならないアイテムなのである。

(写真はその上でクリックすると拡大されます)


「大工の子が神である」― パスカルと西田(8)

2015-10-09 04:37:07 | 哲学

Je vois ces effroyables espaces de l’univers qui m’enferment, et je me trouve attaché à un coin de cette vaste étendue, sans que je sache pourquoi je suis plutôt placé en ce lieu qu’en autre, ni pourquoi ce peu de temps qui m’est donné à vivre m’est assigné à ce point plutôt qu’à un autre de toute l’éternité qui m’a précédé et de toute celle qui me suit. Je ne vois que des infinités de toutes parts, qui m’enferment comme un atome et comme une ombre qui ne dure qu’un instant sans retour. (Pensées, Laf. 427 ; Br. 194)

私は、私を閉じこめている宇宙の恐ろしい空間を見る。そして自分がこの広大な広がりのなかの一隅につながれているのを見るが、なぜほかのところでなく、このところに置かれているか、また私が生きるべく与えられたこのわずかな時が、なぜ私よりも前にあった永遠のすべてと私よりも後にくる永遠のすべてのなかのほかの点でなく、この点に割り当てられたのであるかということを知らない。私はあらゆる方面に無限しか見ない。それらの無限は、私を一つの原子か、一瞬たてば再び帰ることのない影のように閉じこめているのである。(前田陽一訳)

 パスカルは無信仰な自由思想家にこう言わせているが、西田がパスカルの「無限の球」に言及しながら、しかし、自己の哲学の立場からそのメタファーに変更を加えているところに、上の断章の一節に示された無限に対する恐怖とはまったく異なった世界像が提示されている。

絶対矛盾的自己同一の世界はパスカルの云ふ如き周辺なき無限の球にも比すべきものではあるが、それは唯到る所が中心となる云ふのでなく、一定の中心を有つて居る、否一定の方向を有つて居るのである。而して作られたものから作るものへと動いて行く(絶対現在の自己限定として)。(「実践哲学序論」『西田幾多郎全集』第九巻、137頁)

 無限の空間において、いたるところが中心であり、しかもその周辺はない球が意味するのは、その無限空間の任意の点が中心になりうるが、その中心をある一つの中心として限定する周辺がないのであるから、いかなる点も他の諸点に対して区別されうる中心ではありえないということである。今ここに在ることに何らの理由も見いだせないことは、「無限の球」のメタファーが含まれた断章と同じような宇宙像を示している箇所としてしばしば引かれる上の断章の一節に見られるような恐怖を引き起こす。
 ところが、西田は、絶対矛盾的自己同一の世界について、パスカルの「周辺なき無限の球」に比すべきものと言っておきながら、それは一定の中心を有っていると主張する。ここでは、もちろんのこと、西田のパスカル解釈の当否が問題なのではない。それは論ずるに値しない。問題は、なぜ、西田は、絶対矛盾的自己同一の世界、つまり歴史的生命の世界は、一定の中心、さらには一定の方向を有っていると主張するのか、ということである。
 「実践哲学序論」で、西田が頻繁に言及し援用しているのは、キルケゴールである。上の引用箇所の直後でも、『キリスト教の修練』を援用している。人はなぜキリスト教における神と人との関係に躓くのかという問題が同書で論じられている箇所に言及しつつ、その問題に対して、西田は、己の哲学的言語空間の中にそれを引き込んだ上で以下のように答える。

然るにキリスト教の信仰では我側にある大工ヨセフの子、ヤコブの兄弟である此個人が神人であると云ふのである。それには同時存在の局面が属して居るのである。これ程パラドックス的なことはない。故に人は此信仰に躓く。神人は矛盾の符合であると云ふ。併し我側に居る大工の子が神である、このパラドックスが私は我々の行為の根本的原理であると思ふのである。絶対矛盾的自己同一の個物的多として、我々の自己と絶対との関係は、大工の子が神であると云ふことでなければならない。個人が自己矛盾的に神であると云ふことである。(同頁)

 世界におけるそれぞれの瞬間と場所とが、「一瞬たてば再び帰ることのない影」などではなく、かけがえのないことがらの到来する時と場所として、真理の〈始まり〉でありうること、そのことは、永遠の真理の現実世界への反映の一つとしてではなく、類的一般者の単なる一例にすぎないのでもなく、端的にその時その場所でそう望まれたがゆえに、その時その場所で真理の時が始まるからであること、そうでなければ、「この人」において、他の何ものにも拠らない意志が発動することはなく、したがって真の行為が成立することもないこと、これらのことを西田はここで主張しているのである。
 この意味で、世界は一定の中心を有ち、一定の方向に向かって展開する。作られたもののうちに作るものが生まれ、世界が世界自身をある一点からある方向へと変えていく。























滔々たるライン川の流れのほとりにて

2015-10-08 04:05:20 | 写真

 昨日午後四時頃、今日の修士の演習の準備を終えた後、自宅から自転車で15分ほどのところにあるロベルソーの森(Forêt de la Robertsau、この森のストラスブール市による案内はこちら)に写真を撮りに出かける。
 ライン側沿いに南北方向に縦長に広がる約500ヘクタールの森の中には、樹齢百年以上の木がいたるところに鬱蒼と茂っている。主要な自転車・歩行者専用道路は舗装されているが、それらの道路から毛細血管のように樹々の間を縫うように小道が広がっている。気の向くままにそれらの道を走っていると、森の奥で小川や沼に出くわしたり、思わぬ景色が突然開けたり、飽きることがない。森の中をどこからでもよいから東の方へと向う小道に逸れて進めば、やがてライン川のほとりに出る。
 今日の一枚は、ライン川の土手からのドイツ側に向かった眺望。ライン川は満々と水を湛えて静かに北へと流れていく。写真では雲に隠れて見えないが、よく晴れた日には、シュヴァルツヴァルトの稜線が彼方に綺麗に見える。

(写真はその上でクリックすると拡大されます) 

 


技術的身体の制作による世界の創造 ― パスカルと西田(7)

2015-10-08 03:58:47 | 哲学

 「具体的世界は作られたものから作るものへと創造的に動き行くのである」と西田が言うとき、それは、世界は本来的に創造的飛躍を含んでいるということである。それまでそこにはなかったものの到来を無限に受け入れるのが具体的世界であり、歴史的世界であると西田は考える。
 その飛躍を具体的にもたらすものが「技術的身体」であり、この身体の「制作」によって、世界に新たな形がもたらされる。生物的世界を物理的化学的世界に還元することはできない。後者によって、前者の現実的な多様性は説明できない。物理的化学的世界においては「作られたもの」でしかない身体が、「作るもの」として、それまでの物理的化学的世界にはなかった形を「制作」するとき、その制作的世界が歴史的生命の世界に他ならない。言い換えれば、この「制作」によってはじめて、物理的化学的身体は「歴史的身体」になる。
 世界を円のメタファーによって西田が考えていたとき、たとえ中心がいたるところにあり、円周がどこにもない無限で無数の円を考えたとしても、そのすべての中心点は同一の非時間的な平面上に含まれている。そこから出ることはできない。「永遠の今」を表象することはできても、その自己限定から生まれる時間が表象できない。言い換えれば、円においてはすべてが既に与えられている。
 円のメタファーと鏡のそれとが西田においては密接に結びついており、「映す」「包む」等の動詞がそれに連動して頻用されることもそれと無関係ではない。そこに創造の契機は内包されていない。鏡は、「映す」ことはできても、「作る」ことはできない。
 「歴史的空間は平面的ではなくして球面的でなければならない」と西田が言うとき、具体的歴史的世界は、「作られたもの」の平面から飛躍する無数の方向性を持ったベクトルを孕んでいなくてはならないと考えてのことである。時間を内包し、無数の方向に無限に広がっていく球面のメタファーは、ある平面上の無数の点である「作られたもの」がその平面から飛躍して「作るもの」となる創造の契機を含んだ世界像に対応している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


虹と雨と赤ワイン

2015-10-07 00:32:54 | 写真

 この季節になると、7時のプール開門時にはまだ夜明け前で、空は薄暗い。泳いでいるうちに夜が明ける。昨日朝は、東の空がオレンジ色に輝き、西空に虹がかかる中を、それらを見ながら背泳ぎで往復を繰り返す。
 午前10時半過ぎ、自宅を出ようとしていたときには、薄日も射していて、この分ならなんとかもつだろうと、天気予報では雨だったにもかかわらず、自転車でキャンパスに向かった。
 しかし、昼からの演習中、雨音に驚かされ、窓外に目を転ずる。こちらの楽天的な「賭け」は外れ、雨脚はかなり強い。このままだと雨の中を自転車で帰宅しなくてはならないと少し憂鬱になる。
 幸いなことに、演習が終わる頃には雨脚も弱まり、防水加工されたコートのフードをかぶり、自転車で無事帰宅。ズボンは雨に濡れてしまったが、室内に干しただけでも二三時間で乾く程度。
 今日もカメラを持って大学まで行ったのだが、行き帰りには一枚も撮らず仕舞い。
 自宅のベランダから雨に濡れる緑葉の光沢と滴る水滴を撮ろうと試みたが、どれも不満な写り。
 そんなわけで、今日の一枚は、夕食時に飲んだワイン。むしろ今日の一本と言うべきか。

(写真はその上でクリックすると拡大されます)

 


平面から球面へ、西田哲学最後の一転回点 ― パスカルと西田(6)

2015-10-07 00:27:11 | 哲学

 9月29日の記事で、1931年に『哲学研究』に発表され、1932年に『無の自覚的限定』に収録された論文「永遠の今の自己限定」の中の次の一節を引用した。

真に無にして自己自身を限定するものといふのは、自由なる人といふべきものであらう。絶対の無によって限定するものは、自己の中に無限の弁証法的運動を包む円の如きものと考へることができる。自由なる人といふのは自己自身の中に時を包む円環的限定といふことができる。パスカルは神を周辺なくして到る所に中心を有つ無限大の球 une sphère infinie dont le centre est partout, la circonférence nulle part に喩へて居るが、絶対無の自覚的限定といふのは周辺なくして到る所が中心となる無限大の円と考へることができる(パスカルの如く球と考へるのが適当かも知れないが私は今簡単に円と考へて置く)。(『西田幾多郎全集』第五巻、2002年、148頁)

 この箇所を引用した上で、「意識が西田においてしばしば鏡に喩えられるのは偶然ではない。それは映す「面」なのである。球から円への置き換えは、だから、西田が言っているように単に話を簡単にするためはでない。西田の哲学的言語空間にパスカルのメタファーを導入するための、いわば必然的な手続きなのである」と述べた。
 少なくとも、場所の論理の延長線上でその後の西田哲学を視野に収めようとするとき、この球から円への置き換えは、一つの必然的な要請であると私は考える。実際、西田は、自説を説明するために、しばしば円を描く。この円のメタファーの優位性は、各論文集末の「図式的説明」の中においてだけでなく、その講義に出席した学生たちの証言からも裏付けられる。
 ところが、1939年8月に『思想』に発表された論文「経験科学」において、歴史的空間が問題にされるとき、まったく逆方向への転換、つまり、平面から球面への転換が議論の要所において提起される。

具体的世界は作られたものから作るものへと創造的に動き行くのである。物理的世界も此に基礎附けられるのである。歴史的空間は平面的ではなくして球面的でなければならない。時を内に消すものではなくして時を包むものでなければならない。(『西田幾多郎全集』第八巻、2003年、463頁)

 そして、その数行後に、こう繰り返している。

何処までも過去未来を包むと考へられる歴史的空間は、右に云つた如く、云はば球面的でなければならない(パスカルの周辺なく到る所中心となる無限の球といふ如く)。此故に歴史的空間は意識的でなければならない。(同頁)

 ここにみられる「平面」から「球面」への転換は、西田において、何を意味するのか。この転換は、現実世界のメタファーとしての円から球への転換とみなしてよいのか。それは、言い換えれば、平面から立体への、二次元から三次元への、さらには時間性を第四元とする四次元空間への転換とみなしてよいのか。これらの問への答えを西田のテキストそのものから引き出すことによって、最後期西田哲学をそれ以前の段階から区別している論点を明確に規定してみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大学宮殿中庭秋模様

2015-10-06 05:22:11 | 写真

 大学への自転車での行き帰り、大学宮殿(Palais universitaire)の背後の中庭を横切る。その中庭を取り囲むように、十九世紀最後の約三十年間アルザス・ロレーヌ地方がドイツ領だった時代に建設された大学の重厚な建物が立ち並ぶ。

 昨日、午前中の会議を終えて、昼過ぎに自宅に戻る途中、少しずつ秋の気配を色濃くし始めたその中庭を通り過ぎようとしていたとき、曇りがちの空から薄日が差し込む。自転車を止め、赤く色づき始めた楓の葉を見上げ、緑葉から紅葉への移り行きを捉えようと、リュックからカメラを取り出す。露出とシャッタースピードの組み合わせをあれこれ変えながら、ピント合わせはマニュアルで、何枚か撮った中から今日の一枚を選んだ。

(写真はその上でクリックすると拡大されます)