今日も、生物レベルでの個体化の特徴を物質レベルでのそれと対比しながら論じている箇所を読んでいきます。
まず、シモンドンがイタリックで強調している次の一文を見てください。
L’individu vivant est système d’individuation, système individuant et système s’individuant (p. 8).
生きている個体は、個体化するシステムでありかつ自己個体化するシステムだというのです。
これがどういうことなのかを説明するために、シモンドンは、「共鳴(あるいは共振)」(« résonance »)という概念を導入します。
以下、シモンドンの文章をほぼそのまま訳しているところは、敬体つまり「です・ます」体ではなく、常体を使って区別します。
生命体のシステムのなかには、内的共鳴(共振)と自己関係の情報への「変換」(« traduction »)とがある。物理の領域では、内的共鳴(共振)は、「自己個体化」(原文ではここだけイタリック)しつつある個体の限界を特徴づけるのに対して、生物の領域では、内的共鳴(共振)は、個体としての個体全体の基準となる。
こうシモンドンは言ってるのですが、これだけではちょっとよくわかりませんね。もう少しシモンドンの文章を辿ってみてから、また考えてみましょう。
生命の世界では、内的共鳴(共振)は、個体システムの内部にもあり、個体が自分の環境との間に形成するシステムの中だけではない。有機体の内的構造は、ただ単に完結した活動の結果として、内部領域と外部領域との間の境目において作用する「転調(あるいは変調)」(« modulation »)の結果として、(結晶化の構造ように)形成されるのではない。物理的個体は、常に「偏心的」(« excentré »)、つまり中心軸から遠ざかっており、常に自己自身に対して周縁に位置し、自己領域の縁でのみ活性的であり、真の内部性は有していない。それに対して、生命体は、真の内部性を有している。なぜなら、個体化がその内部で実現されるからである。生命体においてはその内部も構成するものであるのに対して、物理的個体においてはその縁でしか構成化が働いていない。
シモンドンの言いたいことが少し見えてきましたね(えっ、どこがって?)。まだ続きがあるのですが、ここで私なりにシモンドンの考えを噛み砕いてみましょう。ただし、こちらの歯が砕けてしまわないように気をつけながら。
物理的個体が個体として識別されるのは、その環境との関係においてのみであって、その際、その個体の内部は問題になりません。この意味で、物理的個体の個体化は、その環境と区別される境界域においてのみ観察されうることです。言い換えると、物理的レベルでの個体化とは、とどのつまり、外部から観察可能な、個体とその環境との差異化に尽きるということです。ところが、生命体は個体化している自己を自らその環境から区別しています。言い換えると、生命体は、その外部環境と区別される内部環境を有っていて、少し先取りしていうと、その内部環境と外部環境との間には情報形成・交換過程が成り立っており、それによって相互的に可変的な関係にあります。
さて、あと一息で一段落読み終わりますから、もう少し頑張りましょう。
物理的個体についても、その外形の内部ということは言えるわけですが、発生論的には、かつてそこは内部であったとしか言えません。どういうことかというと、個体化過程が進行している段階では、そのときその個体化が進行している場所をその周囲と区別して、それを個体化の内部と言うこともできますが、その個体化が完了してしまえば、もうそこには個体化過程そのものがないわけですから、その内部もなくなるということです。
ところが、恒常的個体化過程にほかならない生命体は、自己を構成しているすべての要素とつねに同時的に存在します。つまり、それらの要素が相互的コミュニケーションをつねに現在のこととして保っているかぎりにおいて、生命体は生命体でありうるということです。生命体は、その内部において情報生成・伝達システムの結び目であるかぎりにおいて生きているのです。
しかし、それだけではありません。生命体は、それ自体の内部が情報生成・伝達システムとして自己生成過程にあるだけではなく、まさにそのようなシステムとして維持されるために外部のシステムと恒常的に情報交換を行っています。この意味で、生命体とは、システム内システムです。そうであるかぎりにおいて、生命体は生命体として維持されるのです。
今日のお話の要点を、ちょっと大胆な仕方で、一言にまとめてみましょう。
生命の本質は、異なった次元にあるもの相互の「媒介」(« médiation » )にある。
それではまた明日。御機嫌よう。