六つのポワンヴィルギュル(セミコロン)で区切られた七つの文で構成された十四行に渡る文章の残りの四つ文は以下の通りです。この四文は、質料形相論的図式および先験論的構図の批判として一まとまりをなしています。
Ici encore il faut se détacher du schème hylémorphique ; il n’y a pas une sensation qui serait une matière constituant un donné a posteriori pour les formes a priori de la sensibilité ; les formes a priori sont une première résolution par découverte d’axiomatique des tensions résultant de l’affrontement des unités tropistiques primitives ; les formes a priori de la sensibilité ne sont ni des a priori ni des a posteriori obtenus par abstraction, mais les structures d’une axiomatique qui apparaît dans une opération d’individuation.
アリストテレスに淵源する質料形相論は、あからさまにそれが主張されていない場合でも、いやむしろその場合の方が、西洋哲学史の思考の枠組みを深いところで規定して来ました。最初に所与として与えられた質料は、それ自体は不定形なもので、それ自身には何らの自己形成力もなく、そこに形相が与えられてはじめて或る形が生まれる。この形相の方は、それ自体不変なものとして、質料とは独立に自存する。大雑把に言えば、こういう考え方です。
この考え方の枠組みに囚われているかぎり、存在の生成について、つまり個体化過程について、その物理レベルでの起源から現代技術社会に生起している個体化過程をめぐる諸問題まで、総合的かつ徹底的に考えることはできない。こうシモンドンは考えているのです。その考えが上掲の引用箇所にも典型的な仕方で表現されています。ここでは、質料形相論とともに、カントの先験論もまた批判の対象となっていることがわかります。
生命の世界を織り成しつつある諸形態を生成の相の下に全体として捉えるためには、それを妨げる主たる原因である質料形相主義と先験主義を放棄しなくてはなりません。現に生成しつつある個体の形は、その形の決定因としての形相を先験的なものとして想定することによっても、経験的所与から先験的形式を抽出することによっても捉えることはできないからです。
生命世界をつねに構成しつつある諸形態の形成過程全体を把握するための思考は、それでは、どこから始まるのでしょうか。それは、極性を有した生命の世界に発生した諸要素間の葛藤の結果として生じた緊張状態に一定の解決を与えるものとして、生命世界の諸形態を捉えることからです。このような出発点から開かれるパースペクィヴに立つとき、感覚の先験的な諸形式と見なされてきたものは、実は、個体化作用の中で現れて来る一つの「公理系」の諸構造だということになります。