今日は、来週末の発表の準備の一環として、発表の中では引用しないが、いわば隠し味として発表の際に念頭に置く書物から摘録しておく。
三浦佑之『改訂版 神話と歴史叙述』(講談社学術文庫 2020年)。
「歴史そのものを成り立たせる根拠として、神がみの世界は描かれねばならなかったのである。神話とは、〈今〉を根拠づけるところの、その起源を明らかにするものであった。」
「古代律令国家において〈法〉と〈史〉とはつねに対になる存在として認識され、その撰録・編纂の事業は並列的に行われてきた。」
「神話的な起源というのは過ぎ去ってしまうものではなく、つねに繰り返し再現され想起されることで〈今〉に向き合っているのだから、両者を繋ぐための説明としての直線的な時間は必要ないと言ったほうがよい。」
「無時間的な世界では国家は機能しない。それゆえに、歴史(史書)への企てが国家の成立とともにはじめられることになったというは必然である。」
「家族史の流れとしては、男系も女系もありえた時代があり、それが六世紀以降になると次第に男系へと傾斜することになり、律令制度の導入が列島の男系優位を決定づけることになった。その男系の中心に位置する天皇家でさえ、男系の血筋を主張しながら女帝を擁立するのには、政争を理由とした中継ぎというだけではすまない、女性の能力の顕在化を認めなければならないはずである。」
佐藤信編『古代史講義 【宮都篇】』(ちくま新書 2020年)、第三講「大津宮―志賀の都の実像」(古市晃)。
「近江遷都は多くの反対があったにもかかわらず、なぜ断行されたのであろうか。その原因はさまざまに考えられているが、直接の原因がこの時期の国際情勢の緊迫にあったことは確実であろう。」
「朝鮮半島情勢の激動の中で、唐の脅威は倭の支配層に切実な課題として認識されていたはずである。」
「遷都が外敵からの防御という、緊急の課題に対応することを目的としたことは否定できない。」
「六六五年(天智四)には、百済から難を逃れてきた人びとであろうか、男女四〇〇人が近江の神崎郡に配置され田地を支給されている(『日本書紀』同年二月是月条)。百済の人びとの持つ先進の技術が地域開発にあてられたのであろう。近江はもともと渡来人の多い土地でもあった。近江また大津と朝廷との結びつきは、遷都以前から確実に強まっていたことを考えておく必要がある。」
義江明子『女帝の古代王権史』(ちくま新書 2021年)。
「君主号としての「天皇」号は、正妻格のただ一人のキサキ=「皇后」、王族一般とは区別された天皇の御子=「皇子/皇女」の地位・称号の成立と一体で、天武朝後半にその実質を備えていき、飛鳥浄御原令で制度的に確立したのである。」
「天武の後継者は、天武に並ぶ人格的力量をもち、かつ、個人に依存しない官司機構を確立するという課題を担うことになる。その課題を果たしたのが、持統だった。」
「天武も、万葉歌で、「大君は神にしませば」と詠われた。しかし、天武が獲得した「神性」(万葉歌一六七番など)は、卓越した軍事指導者としての人格と結びついた、いわば一代限りのものだった。持統はそれを、神話にもとづく天皇の神的権威として普遍化・体系化し、君主の正当性のバックボーンにまで引き上げたのである。」
武澤秀一『持統天皇と男系継承の起源―古代王朝の謎を解く』(ちくま新書 2021年)。
「天孫降臨神話と聞くと、それは遥か遠い昔からの伝承と思っているかたも多いことでしょう。しかし、それは違います。持統天皇が即位する前後に徐々に醸成されていった、極めて政治色のつよい神話なのです。」
「天孫降臨神話は〈祖母―(息子)―孫〉による〈タテ系列〉の代替わりを明示します。これに並行して、現実の代替わりを兄弟間継承の〈ヨコ並び〉から〈タテ系列〉へと、すっかり変えてしまいました。この大転換の核心となり、自らあたらしいスタートラインに立ち、第一走者となったのが持統天皇だったのです。」
「天孫降臨神話の“劇場化"を想わせる一連の演劇的パフォーマンスをとおして、持統天皇は着々と自らの神的権威を高めてゆきます。」