内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

古代社会におけるメディアとしての童謡

2021-07-11 12:00:00 | 哲学

 『日本書紀』によると、六七一年、天智天皇(大王)が亡命百済人に倭国の冠位を与え、彼らを各種官職に登用したとき、次のような童謡(わざうた)がおこったという(天智一〇年正月是月条)。

橘は 己が枝枝 生れれども 玉に貫く時 同じ緒に貫く

 橘は、橘の実のこと。異国産の木で、渡来人を喩えている。「玉に貫く」とは、橘の実を緒に貫いて、玉にすること。『万葉集』に、「わが庭の花橘は散り過ぎて玉に貫くべく実になりにけり」(大伴家持 巻第八・一四八九)その他の例あり。
 歌意は、「橘の身はめいめいの枝になっているが、玉に貫く時は一緒であるように、才芸身分はそれぞれに違っているが、皆一緒に栄爵を賜った」。生まれや身分・才能が異なっている者を共に叙爵し、臣列にひとしく並べた天智の政治をひそかに咎め、やがて起こる壬申の乱を諷したものといわれる(岩波文庫版『日本書紀(五)』補注巻第二十八・一九)。
 同じく岩波文庫版『日本書紀(四)』によると、このような童謡(わざうた)は、舒明・皇極・斉明・天智紀の巻末にあらわれることが多い。時事を諷したものが多く、政治的目的などのために児童に歌わせ流行させたものであるという(一七一頁注四)。
 事実このとおりであるとすれば、童謡は、日本古代社会において、ある政治的意図をもったイメージ拡散の手段として利用され、いわばメディア(情報媒体)として機能していたということになる。しかし、同注によれば、漢書・後漢書に同様の例が見られる。おそらく、その例に倣い、当時民間に流布していた歌謡を童謡に仕立て上げ、それを『日本書紀』の歴史叙述の政治的文脈の中に埋め込んだと見るほうがより蓋然性が高いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


すぐには読めないけれど気になる本を性懲りもなく買い続ける悪癖に効用がないわけではない

2021-07-10 10:39:57 | 読游摘録

 その本が属する分野、取り扱っているテーマ、視角の開き方、問題の設定の仕方、採用されている方法などに関心はあっても、実際にはそこまでは手が出せない、そもそも読む時間が取れないからと素通りしようとして、でも、やっぱり気になってしまい、ちょっと覗くだけでもいいからと、つい買ってしまう本のなんと多いことか。
 紙の本であれば、それらの本は積読ということになるが、ここ数年、紙の本に対する私的購入選定基準は相当に厳しくなり、その 嵩はかなり減少した。これには収納場所の限界という理由もある。ところが、電子書籍にはこの物理的スペースという問題が発生しない。それだけ購入を躊躇わせるハードルが下がる。特に、紙の本そのものへの所有欲は小さく、書かれてある内容に興味があり、それがわかればよいという場合、買わないように自分を説得するのに苦労する。そんな自己説得で時間を無駄にしているくらいなら、とっとと買っちまえ、という結果になる。
 買ったときにちょっと覗いただけだった本が何年も経ってから意外なところで役に立ったことも過去に何度もあったから、それらの本がけっして無駄になるわけではない。これは嘘でもないし、強弁でもない。でも、買ったことさえ忘れてしまうこともなくはなく、何年も経ってから、「あれっ、この本持ってたんだぁ」と苦笑することもある。そういうことが年々増えてきていることも認める。
 最近そんな買い方をした電子書籍の中に以下の三冊の講談社学術文庫が含まれている。五百旗頭真『日米戦争と戦後日本』、下斗米伸夫『日本冷戦史 1945-1956』、清宮四郎『憲法と国家の理論』(編・解説:樋口陽一)。いずれも優れた内容の本であることは確かで、じっくり読むべきなのだが、すぐには読めない、でも、およそ何が書いてあるかは覚えておこうと、昨日と今日、全体を走り読みし、ところどころ集中して読んだ。それだけでも私としては得るものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


発表の隠し味、それそのものも美味しくいただけます

2021-07-09 12:46:26 | 読游摘録

 今日は、来週末の発表の準備の一環として、発表の中では引用しないが、いわば隠し味として発表の際に念頭に置く書物から摘録しておく。

 三浦佑之『改訂版 神話と歴史叙述』(講談社学術文庫 2020年)。
 「歴史そのものを成り立たせる根拠として、神がみの世界は描かれねばならなかったのである。神話とは、〈今〉を根拠づけるところの、その起源を明らかにするものであった。」
 「古代律令国家において〈法〉と〈史〉とはつねに対になる存在として認識され、その撰録・編纂の事業は並列的に行われてきた。」
 「神話的な起源というのは過ぎ去ってしまうものではなく、つねに繰り返し再現され想起されることで〈今〉に向き合っているのだから、両者を繋ぐための説明としての直線的な時間は必要ないと言ったほうがよい。」
 「無時間的な世界では国家は機能しない。それゆえに、歴史(史書)への企てが国家の成立とともにはじめられることになったというは必然である。」
 「家族史の流れとしては、男系も女系もありえた時代があり、それが六世紀以降になると次第に男系へと傾斜することになり、律令制度の導入が列島の男系優位を決定づけることになった。その男系の中心に位置する天皇家でさえ、男系の血筋を主張しながら女帝を擁立するのには、政争を理由とした中継ぎというだけではすまない、女性の能力の顕在化を認めなければならないはずである。」

 佐藤信編『古代史講義 【宮都篇】』(ちくま新書 2020年)、第三講「大津宮―志賀の都の実像」(古市晃)。
 「近江遷都は多くの反対があったにもかかわらず、なぜ断行されたのであろうか。その原因はさまざまに考えられているが、直接の原因がこの時期の国際情勢の緊迫にあったことは確実であろう。」
 「朝鮮半島情勢の激動の中で、唐の脅威は倭の支配層に切実な課題として認識されていたはずである。」
 「遷都が外敵からの防御という、緊急の課題に対応することを目的としたことは否定できない。」
 「六六五年(天智四)には、百済から難を逃れてきた人びとであろうか、男女四〇〇人が近江の神崎郡に配置され田地を支給されている(『日本書紀』同年二月是月条)。百済の人びとの持つ先進の技術が地域開発にあてられたのであろう。近江はもともと渡来人の多い土地でもあった。近江また大津と朝廷との結びつきは、遷都以前から確実に強まっていたことを考えておく必要がある。」

 義江明子『女帝の古代王権史』(ちくま新書 2021年)。
 「君主号としての「天皇」号は、正妻格のただ一人のキサキ=「皇后」、王族一般とは区別された天皇の御子=「皇子/皇女」の地位・称号の成立と一体で、天武朝後半にその実質を備えていき、飛鳥浄御原令で制度的に確立したのである。」
 「天武の後継者は、天武に並ぶ人格的力量をもち、かつ、個人に依存しない官司機構を確立するという課題を担うことになる。その課題を果たしたのが、持統だった。」
 「天武も、万葉歌で、「大君は神にしませば」と詠われた。しかし、天武が獲得した「神性」(万葉歌一六七番など)は、卓越した軍事指導者としての人格と結びついた、いわば一代限りのものだった。持統はそれを、神話にもとづく天皇の神的権威として普遍化・体系化し、君主の正当性のバックボーンにまで引き上げたのである。」

 武澤秀一『持統天皇と男系継承の起源―古代王朝の謎を解く』(ちくま新書 2021年)。
 「天孫降臨神話と聞くと、それは遥か遠い昔からの伝承と思っているかたも多いことでしょう。しかし、それは違います。持統天皇が即位する前後に徐々に醸成されていった、極めて政治色のつよい神話なのです。」
 「天孫降臨神話は〈祖母―(息子)―孫〉による〈タテ系列〉の代替わりを明示します。これに並行して、現実の代替わりを兄弟間継承の〈ヨコ並び〉から〈タテ系列〉へと、すっかり変えてしまいました。この大転換の核心となり、自らあたらしいスタートラインに立ち、第一走者となったのが持統天皇だったのです。」
 「天孫降臨神話の“劇場化"を想わせる一連の演劇的パフォーマンスをとおして、持統天皇は着々と自らの神的権威を高めてゆきます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


九月からの授業の準備をぼちぼち始める(三)― 日本人の宗教意識の近代における変容

2021-07-08 10:06:02 | 講義の余白から

 「近代日本の歴史と社会」の授業では、この三年間、それ以前の通史的概説を一切やめ、「歴史とはなにか」「近代とはなにか」「近代化とはどういうことか」「日本における近代化の特異性はどこにあるか」「社会とはなにか」「個人とはなにか」「主体とはなにか」というテーマ的なアプローチを行ってきた。
 西洋近代における〈歴史〉概念と〈近代〉概念について、フランス近現代の代表的な史家たちの言説のいくつかを紹介、検討することを通年の授業全体の導入とし、日本と西洋との十六世紀半ばのファースト・コンタクトと十九世紀半ばのセカンド・コンタクトとを対比することを問題設定の起点として、江戸時代全体を視野に入れつつ、幕末・維新から太平洋戦争の終わりまでの近代化のプロセスの特異性を、いくつかの論点に絞りつつも多面的に浮かび上がらせることを試みてきた。来年度も同様なテーマ的アプローチを継続するが、取り上げる論点をいくつか入れ替え、また重点の置き方も変えようと思う。
 今年度前期も「廃仏毀釈」を日本の近代化の特異点の一つとして取り上げ、安丸良夫の『神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈』(岩波新書 1979年)の一部を授業でも読んだが、来年度は、「日本人の宗教意識の近代における変容」というテーマの下、具体的な事例もいくつか挙げつつ、もう少し詳しく廃仏毀釈運動の諸様相を見てみようと思う。そのために授業で使うのに格好の一書が先月刊行された。畑中章宏の『廃仏毀釈 ―寺院・仏像破壊の真実』(ちくま新書)である。まだざっと流し読みしただけだが、丁寧に各地の実例を挙げながら、廃仏毀釈にまつわる誤った短絡的かつ一面的なイメージを払拭し、急速な近代化のなかで生起した民衆の意識の変化に迫っている良書だと思われる。
 上掲の安丸良夫の本にももちろん言及するが、阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書 1996年)、磯前順『近代日本の宗教言説とその系譜』(岩波書店 2003年)、礫川全次『日本人は本当に無宗教なのか』(平凡社新書 2019年)、島薗進『国家神道と日本人』(岩波新書 2010年)、前田英樹『日本人の信仰心』(筑摩選書 2010年)などにも触れることになるだろう。そして、仏像の美の近代における再発見の瑞々しい不朽の記念碑として、和辻哲郎の『古寺巡礼』の初版(1919年 ちくま学芸文庫 2012年)の一節を紹介することにもなるだろう。
 前期を通じて取り上げるに値するテーマであると思うが、授業内容にできるだけ多面性を与えなくてはならないので、三回計六時間を充てるにとどめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


九月からの授業の準備をぼちぼち始める(二)― うわさ・風評・フェイク・ニュース

2021-07-07 10:48:53 | 講義の余白から

 メディア・リテラシーの前期の授業は、佐藤卓己『現代メディア史 新版』をメインテキストとして、メディアに対する理論的アプローチを重視する。同著者の『メディア論の名著30』(ちくま新書 2020年)によって広く文献を紹介しつつ、理論的な骨格を強化するために石田英敬の『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書 2016年)も参照する。この授業は、フランス語で行われるが、日本語上級レベルのテキストを読ませるという目的もある。量は読めないが、参照箇所を絞って丁寧に読み、そこから問題を展開させていきたい。その展開の起点をしっかり構築するために、『大人のためメディア論講義』の「はじめに」で言及されている洞窟先史学者マルク・アゼマ(Marc Azéma, 1967 -)の La Préhistoire du cinéma. Origine paléolithique de la narration graphique et du cinématographique, Éditions Errance, 2011 を授業の導入に使う。
 前期後半には、「うわさ・風評・フェイク・ニュース」というテーマを導入する。松田美佐『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』(中公新書 2014年)と佐藤卓己『流言のメディア史』(岩波新書 2019年)からの抜粋を授業で読む。テーマそのものの展開のためには、この二書でも言及されている次の二つの仏語文献 Edgar Morin, La rumeur d’Orléans, Éditions du Seuil, 1969Jean-Noël Kapferer, Rumeurs. Le plus vieux média du monde, Éditions du Seuil, « Points Essais », 2009, (1re édition, 1987) も参照する(両書とも邦訳がある。『オルレアンのうわさ』みすず書房、第二版新版 1997年。『うわさ もっとも古いメディア』法政大学出版局、1988年)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


九月からの授業の準備をぼちぼち始める(一)― 『葉隠』の武士道

2021-07-06 23:59:59 | 講義の余白から

 九月からの新学年の授業の準備ノートの作成を始めた。まずは毎年更新する参考文献表から手を付けた。
 日本語のみで行う「日本文明・文化」で取り上げるテーマは毎年少しずつ変えるので、それに応じて参考文献も変わる。来年度初めて導入するテーマは「武士道」。これは修士の読解テキストとして新渡戸稲造の『武士道』を選んだことと関連している。「武士道」という言葉は、それこそこの新渡戸の名著のおかげで欧米でもとてもよく知られているが、それだけに歴史的な武士の実像についての誤解もうんざりするほど多く、いかがわしい出版物やでたらめな言説も数かぎりなく、学生たちもそれに影響されていることが多い。少しでもそれを修正できればと思う。とはいえ、本格的にこのテーマを取り上げれば、一年かけても足りない。そのために参照すべき文献も少なく見積もっても数十冊になる。それはとても無理な話だ。
 そこで、『葉隠』のみを取り上げることにした。そのために購入したのが、講談社学術文庫版(2017年)とちくま学芸文庫版(2017年)。どちらの版も全三巻で、詳細な注と現代語訳が付いている。異なった底本を採用しており、個々の文言についての解釈を異にするだけでなく、現代語訳の方針も異なる。学術文庫版は全三巻で総頁二千二百頁を超えており、学芸文庫版も千七百頁を超えている。ざっと読むだけでもこの一夏では足りない。授業でもごく一部に触れることしかできないが、『葉隠』のテキストに即して、そこに示された武士道の思想に少しでも迫りたい。参考文献は、小池喜明『葉隠 武士と「奉公」』(講談社学術文庫 1999年)、相楽亨『武士道』(講談社学術文庫 2010年)、三島由紀夫『葉隠入門』(新潮文庫 1983年)のみとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


東京生まれのないものねだり ― これから死ぬまでに一度は住んでみたい街

2021-07-05 03:36:54 | 雑感

 小学生の頃、東京生まれ、東京育ち、というのがひどく不満だった。生まれ育った世田谷が嫌いだったわけではない。ただ、父方の祖父母とは同居、母方の祖父母は代々木、親族のほとんども皆東京のどこかに住んでいて、夏休みになっても遊びに行くところがない。従兄弟姉妹たちや父の会社の同僚の家族と海にでかけたりはしたけれど、それはそれで楽しかったけれど、そういうことじゃないんだよなぁ。夏休み明け、クラスメートたちが田舎での出来事を楽しそうに話しているのがほんとうに羨ましかった。両親どちらとも東京出身なのだから、致し方のないことだとわかっていても、それを何か不当なことのように思っていた。後年、『おもいでぽろぽろ』をはじめて観たとき、小学校五年生のタエ子の気持ちにはいたく共感したものだ。
 じゃあ、田舎に住みたいのですか、と聞かれれば、ちょっと返答に窮する。田舎暮らしの大変さをほんとうは何もわかっていないから。でも、住んでみたいのはどんなところですか、と聞かれれば、イメージがないわけではない。山と川と海の近くに住みたい。しかも都市生活の利便性を適度に供えた中小都市がいい。やたらに贅沢な要求だ。これらの条件をすべて満たしている場所を知っているわけでもない。それに、山川海といったって、いろいろだし。
 今住んでいるストラスブールにはリル川が流れている。自宅がある地区はその支流に囲まれている。ここ数年、目に見えて水質が浄化している。これは市の政策と市民運動の賜物だ。街の中心部の川べりの遊歩道から見上げる「下から目線」の景観はとても美しい。縁あってこんな綺麗な街に住めて幸せだと思う。ライン川も直線距離にしたら2キロほどだ。フランス側のヴォージュ山脈は見えないけれど、ライン川の向こう側にはシュヴァルツヴァルトの山並みが見える。しかし、海からは遠い。とても遠い。北方のイギリス海峡も南方の地中海も500キロの彼方だ。
 海が見える場所でないと生きていけないというほど海に恋い焦がれているわけではないけれど、定年後、死ぬ前に一度でいいから、海の近くの街の海の見える場所に住んでみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


昼下がりのワインの誘惑、深夜のカントとの対話、そして森の中の早朝ジョギングの未体験ゾーン

2021-07-04 11:08:34 | 雑感

 昨日土曜の午後、ちょっと遅めの昼食を取りながら、白ワインを一本空けてしまった。それでもあまり酔わない。酒が強いのも困りものだよねぇ、と白々しく独りごちてみたくもなる。
 夕方になった。昼しっかり食べたから、夕食はもういらない。ワインは飲みたい。でも、昼に一本飲んでしまった。困った。なぜなら、一日に赤白を問わずボトル一本というのが自らに課している規則だからである。しかし、誘惑はときにその規則をも破らせるほどに強いのが世の常である。で、昼は昼、夜は夜、白は白、赤は赤、ということ(って、どういうこと?)にして、赤ワインをボトル半分ほど飲んでしまった。禁断の美酒である。昨夏からボルドーの赤は現地のお気に入りの生産者から直接送ってもらうようにしている。まずハズレがなく、価格も良心的だ。常時二十から三十本のストックがある。
 さすがに酔いがまわり、よく覚えていないのだが、おそらく七時前に就寝してしまった。十時半頃、目が覚める。酔いもすっかり醒め、頭もすっきりしている。寝床でぐずぐずしているのはもったいない。起き出して、何を思ったか、カントの『純粋理性批判』のアラン・ルノー訳の序文を読み始める。小一時間ほどカントと対話する。その後、それとはなんの脈絡もなく、アンリ・ピレンヌの『中世都市 社会経済史的試論』(講談社学術文庫 2018年)の監修者序文と訳者あとがき、『ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ』(同文庫 2020年)の訳者あとがきと解説を読んだ後、両著の仏語原文を少し読む。午前二時を回った。眠くない。どうしよう。このまま眠らず、早朝ジョギングに出かけることにする。
 午前四時十五分、ジョギングに出発。不思議と体がいつになく軽い。どれだけ走り続けられるか試してみることにする。いつものコースを辿って森に入る。ライン川の土手に着くまでに五十分ほど走り続けたが、まだいけそうだ。また森に戻り、出発からちょうど一時間経ったらウォーキングに切り替えようと思ったが、一時間経ってもまだいけそうなので、次の目標地点まではとにかく走ってみようと決める。途中、子鹿に出遭う。遊歩道の30メートルくらい先に立っている。こちらを数秒見つめた後、茂みに隠れてしまった。目標地点についた。そこまで約二十分。まだいける。そこから先は森の中の川沿いの土の道が多くなる。舗装路に比べて明らかに足首への負担が少ない。自ずとピッチが少し上がる。ここまできたら二時間は走れるだろう。結局、森の中を走り通し、森を出たところで二時間になり、歩きに切り替える。まあジョギングといっても、ほんとうにゆっくりで、二時間かけて走ったのは18,5キロ。ただ、曲がりなりにもこんなに長く走ったのは生まれてはじめてである。水泳で二時間続けて泳いだことは過去に何度もあったが、走ったことはなかった。結構走れるものなのだなあと自分でも驚いている。
 家に帰り着いたときには、総走歩行距離が21キロ近くになっており、消費カロリーは1263kcal。今日のワインは格別に美味しいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


獄死した三木清の死亡確認ため豊多摩刑務所に行った少年の話

2021-07-03 09:38:52 | 読游摘録

 歴史人口学者の速水融の自叙伝『歴史人口学事始め―記録と記憶の九〇年』(ちくま新書 二〇二〇年)に、当時一六歳になる直前の著者が豊多摩刑務所に三木清の死亡確認のために伯父から頼まれてでかけたときのことを語っている一節がある。
 伯父とは農業経済学者の東畑精一のことで、その妹喜美子は三木清の妻だった。それにしても当時まだ中学生だった著者になぜ死亡確認のために刑務所まで行かせたのだろう。その理由については何も記されていない。死亡確認といっても、遺体との対面確認が許されたわけではなく、対応した事務官が著者に死亡を伝えただけである。一九四五年九月二七日、三木の獄死の翌日のことである。このとき受け取った回答が伯父に報告され、伯父は方々へ電話し、遺体の引き取り、葬儀の実行、マスコミへの発表などを行った。
 三木の逮捕に至る経緯をざっと述べておく。一九四五年二月、ゾルゲ事件で捕まっていた高倉テルが警視庁で尋問中に脱走した。三木の埼玉の疎開先を訪れ、一夜寝食を共にした。寒い季節なので、逃走を続ける高倉に三木は自分のコートを与えた。高倉は次の友人宅を訪ねようとしていた途中で逮捕される。取り調べで、高倉の着ていたコートに三木のネームが入っていたことから、三木が治安維持法違反者の高倉を匿ったことがわかる。それで、三木もまた天下の悪法治安維持法によって逮捕され、七ヶ月後、敗戦から四十日余りたった九月二十六日、拘置所の劣悪な環境の中で獄死する。
 三木獄死事件との直接の関わりを語った後、著者はこの事件に関する自分の意見を述べている。その中でこう記している。

 寒空の下、人にコートを与えるというきわめて人間的な行為が、危険人物の保護・援助とみなされ、三木は治安維持法違反で逮捕されたのだ。治安維持法を拡張解釈すれば、コートを与えるという善意さえも命取りになるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


iPhone の画面にひびが入った

2021-07-02 11:19:36 | 雑感

 物持ちはいい方だと思う。どんな物でも丁寧・慎重に扱うことを心掛けている。
 スマートフォンももちろんそのような扱いの対象である。しかし、一つこだわりがある。それは傷がつかないように保護するプロテクト商品は一切使わないということである。ケチなのではない。なんか嫌いなのである。それで、iPhone6S Plus も購入したときのままの状態でずっと使ってきた。もう丸五年以上になる。それでもほとんど傷もなければ、汚れてもいない。画面に薄く引っかき傷のような線が短く入っているだけであった。画面は日に何度も磨く。日に一回は全体をアルコール消毒する。
 それでも、昨年あたりから、いい加減新機種に買い換えようかと思い始めた。が、いつも結局思いとどまった。
 ところが、一昨日、早朝ジョギングから帰ってきて、ジョギング用の薄型リュックに入れてあったスマホを取り出して見て愕然とした。画面の右上から左下にかけて、対角線上にひびが入っているではないか。なぜだ。落としたわけでもない、強い衝撃を与えたわけでもない。ジョギング中、リュックの中で揺すられていただけのはずだ。
 少し冷静になって考えてみた。おそらく同じリュックの別のポケットに入れてあった自宅の鍵のせいだ。硬い金属製の鍵とナイロンの薄い仕切りだけでスマホの画面が向き合っていたのだ。迂闊だった。過去に数十センチの高さから硬いタイルの上に落としたことが何度かあったのだが、それでもまったく傷もつかなかった。しかし、画面は鋭角状の硬質なものが当たると弱いのだ。ひびのちょうど中央に何かそのようなものが当たった傷がはっきりと見える。複数ある鍵のどれのどこが当たったのかはわからない。鍵を別の場所に入れるか、画面を反対向きにしておけば防げたことだ。
 機能に損傷はない。このまま使い続けることもできそうだ。しかし、それは嫌なのである。どうするか。これを機会に最新機種に買い換えようかとかなり気持ちが動き、ネット上で価格を調べた。機種にもよるが7万から10万円ほどの出費になる。私にとって、スマホはそれだけ出して買うほどのものではない。
 画面だけ取り替えてもらうことにして、大学近くの修理業者に持ち込んだ。七千円ほどだった。すっかり新品同様になった画面を見て満足する。保護フィルムがサービスとして含まれている。それを断っても料金は同じなので、今回はそのきれいに貼られた保護フィルムを素直に受入れた。もうしばらくお付き合いを続ける。