内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

前期中間試験前の授業すべて修了

2022-10-21 23:59:59 | 雑感

 今日金曜日の「近代日本の歴史と社会」が中間試験前の最後の授業だった。来週は試験週間。自分の授業の試験監督以外に、ハンディキャップのある学生たちのための別室での試験監督を三回担当する。翌週は万聖節の休暇。試験答案の採点はその間にしなくてはならないが、授業の準備からはかくして二週間解放される。
 来月末が締め切りの査読が二つ、12月初めのシンポジウムの発表原稿がある。それらを休暇中に済ませてしまいたい。
 9月1日から今日までジョギングは一日休んだだけで続けており、その一日の10キロの「借金」の返済もすでに終えている。明日から休み明けまで、少しずつ「貯金」しておきたい。
 ナイキ Pegasus 39、アシックス EvoRide 3、ニューバランス Fuelcell Prism v2、ホカオネオネ Rincon 3 の4足を今月立て続けに購入した。それらを順番に履いて走るのが楽しい。それぞれに特性が違い、その違いを楽しみながら走っている。同じコースを走っていると違いがよくわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


翻訳不可能語辞典

2022-10-20 23:59:59 | 読游摘録

 ある哲学的概念あるいは哲学の歴史の中で種々の解釈の対象となってきた概念について調べるとき、まず開くのが Vocabulaire européen des philosophies, Seuil/Le Robert, édition augmentée, 2019 である。この辞典には Dictionnaire des intraduisibles というサブタイトルが付いている。翻訳不可能語辞典という挑発的にも聞こえる企画だが、一流の執筆陣による内容がきわめて豊かな辞典で、2004年に初版が刊行された直後から評判になっていた。仕事机のすぐ右脇の本棚の机とほぼ同じ高さの棚にいつも並べてあり、文字通り座右の書だ。
 先日話題にしたミメーシスもカタルシスも項目として立てられており、前者には17頁も割かれている。後者は3頁ほどだが、それでもとても興味深い記述を読むことができる。
 アリストテレスの『詩学』でのカタルシスについてのあまりにも短い記述が互いに相容れない多様な解釈を古代から現代に至るまで産出し続けていることは諸家の指摘するところで、この辞書ももちろんそのことに言及している。この辞典の記述の中で特に私が興味を惹かれたのは、カタルシスがもっている「浄化」と「排出」という二重の意味が治療と喜び(快)とを結びつけ、そこから生まれてくる様々な解釈の中で、『詩学』がフランスにおける古典演劇論に及ぼした影響とそこから生まれた感情論(情念論)についての記述である。
 この感情論(情念論)は、『詩学』のカタルシスの解釈としては逸脱としか言えないが、演劇の教化的効果という文脈で諸感情(情念)についての新論として登場する。アリストテレスの『詩学』でカタルシスに言及される文脈では、感情一般が問題になっているのではなく、特に憐れみと怖れが、そして解釈によってはそれと同様な感情が問題になっている。しかも、悲劇によって観客にもたらされるのはそれらの感情の排出ではなく、浄化である。ところが、17世紀の古典演劇論では、感情そのものの排除による心の浄化が演劇の教化的効果として論じられている。そこには人間的感情すべてを堕落とみなすキリスト教的道徳観が背景としてある。一言で言えば、「感情の浄化」から「感情からの浄化」へと転じている。
 同辞書によると、コルネイユはアリストテレスの『詩学』のカタルシス論をこのような感情排出論と誤解してそれを批判しているという。しかし、それは、コルネイユの同時代に行われていたアリストテレスの誤った解釈を攻撃しているに過ぎない。それに対して、ギリシア語が読めたラシーヌは『詩学』のカタルシス論を感情の浄化論として正しく捉えていたという。
 短い記述だが、いろいろなことを考えさせてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


十八世紀ヨーロッパにおける日本観 ― ケンペル『日本誌』をめぐって(下)

2022-10-19 09:07:12 | 講義の余白から

 昨日の記事で話題にしたケンペルの『日本誌』をめぐって、二点疑問が残っている。
 一点目は、カントが読んだ『日本誌』は何語版だったのか、ということである。『永遠平和のために』が出版されたのは1795年であるから、その十数年前に刊行されているドイツ語版を読んだことも十分ありうることだが、仏語に堪能であったカントがすでに広く出回っていた仏訳をとうの昔に読んでいたとも考えられる。カントは『日本誌』の日本観に対するドームの批判的な見解を知っていたのであろうか。知っていたとすれば、それを知った上でなお、日本の鎖国政策に対して肯定的な見解を示したのであろうか。それは、鎖国を選択した当時の東アジアの時代状況における地政学的選択としては、という条件付きでのことなのであろうか。『永遠平和のために』の中の日本への言及はほんのわずかなので、カントの日本観についてこれ以上知る手がかりが今の私にはない。
 二点目は、志筑忠雄がオランダ語版から訳したとき、ドームの鎖国批判論を耳にしていたのであろうか、ということである。荒野泰典は、『「鎖国」を見直す』の中で、志筑の『鎖国論』翻訳動機を彼の同時代の日本の状況についての危機意識にあるとしている。しかし、ケンペルの「鎖国肯定論」(荒野自身の言葉)からだけではこの危機意識は出て来ない。ケンペルの鎖国論に対して、ドームは、日本国内産業の漸次的だが不可避の衰退とそれに伴う国民の貧困化を指摘しており、それゆえ、「開国」が日本にとっても諸外国にとっても喫緊の重要課題であると結論づけている。もし、近い将来の日本の国力の衰退、国民の貧困化、さらには西欧列強による植民地化への危機意識が『鎖国論』翻訳の動機になっていたとすれば、ドームのような鎖国否定論そのものかそれに類する世界認識を志筑はどこから得たのであろうか。
 荒野は、志筑の翻訳動機について、ヨーロッパにおいて「「鎖国」に対する評価がマイナスになっている、ということを国民に知らせようとしたのだと私は思うのです。志筑は、おそらく、日本がこのままの状態に留まっていれば、ヨーロッパはいずれこの体制を否定して、もう少し自由な貿易をさせろと要求してくるに違いないということまで見越していた ―― 当時としてはほとんど唯一の人だった ―― のでしょう。それでこの翻訳をしたのだと私は思います」と私見を述べている。
 しかし、どうしてケンペルの「鎖国肯定論」が日本に現在迫りつつある危機に対する警鐘になりうるのだろうか。ケンペルがその目で見た元禄時代の国内の繁栄と安定から一世紀を経て、一方で日本国内の経済危機と社会の不安定化を目の当たりにしつつあった志筑は、他方で同時代のヨーロッパの情勢の変化も敏感に察知し、「このままでは日本は危ない」との認識に至ったのだろうか。そして、その認識が『鎖国論』翻訳へと彼を向かわせたのだとすれば、「現在の日本は、もはやケンペルが見た日本ではない。開国へ向けて、日本は変わらなくてはならない」ということを国民に知らせるには、『鎖国論』によって過去の日本と現在の日本とを対比させることが必要だと考えたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


十八世紀ヨーロッパにおける日本観 ― ケンペル『日本誌』をめぐって(上)

2022-10-18 23:59:59 | 講義の余白から

 オランダ商館付の医師として1690年に来日したドイツ人エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kämpfer, 1651-1716)が二年余りの日本滞在中の見聞と収集した資料を基にドイツ帰国後に執筆した『日本誌』は「近代日本の歴史と社会」で必ず取り上げる(『日本誌』については、このサイトに詳しい紹介が掲載されており、とても参考になります)。
 ケンペル生前には出版が叶わず、死後原稿はイギリスに渡り、まず英訳が1727年、ついでフランス語訳(Histoire naturelle, civile, et ecclésiastique de l’Empire du Japon. この仏訳は BNF の Gallica で 全文 Tome 1, Tome 2が無料で閲覧及びダウンロードできる)が1729年、オランダ語訳が1733年に刊行される。ケンペルのドイツ語原稿原文に基づいたドイツ語版が出版されるのは英訳の五十年後の1777年から1779年にかけてのことである。
 それ以前は想像の産物でしかなかった「日本」について、初めて現地での見聞と鋭い観察眼によって当時の日本の政治・社会・慣習・風物・自然などを記述した本書の英訳と仏訳は、出版当時からヨーロッパでかなり広く読まれたようで、同時代のヨーロッパの思想家たち、わけてもモンテスキュー、ディドロ、カント、ゲーテなどに影響を与えている。例えば、カントが『永遠平和のために』の中で日本や中国の鎖国政策について、当時としてはむしろ賢明な政策であったと肯定的に評価しているのはケンペルの『日本誌』の知見に基づいている。
 志筑忠雄が『日本誌』の付録論文の一つをオランダ語訳から日本語に訳して『鎖国論』として公にしたのは1801年のことであり、これが「鎖国」という言葉の起源であることは、高校の日本史の教科書にも載っている。しかし、「鎖国」という言葉が広まるのは幕末以降のことであり、「近世日本=鎖国」という図式が広く国民の「常識」となるのは、近代日本においてのことである。
 ドイツ人啓蒙思想家クリスチアン・ヴィルヘルム・ドーム(Christian Wilhelm Dohm, 1751-1820)は、自身が編集・出版した『日本誌』ドイツ語版(1777年-1779年)に基づいて、同書の中に提示されている肯定的日本論に対して批判的な論評を加えている。荒野泰典は、『「鎖国」を見直す』(岩波現代文庫、2019年)の中でこの論評の一部を引用しつつ、「ヨーロッパにおけるいわゆる「鎖国」の評価が一変してしまった」と指摘している(37頁)。
 この十八世紀後半のヨーロッパに端を発する近世日本に対する外からの否定的イメージが日本国民によって自国の「近世」という過去として同化されていくのは明治中期以降のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中間試験問題作成完了

2022-10-17 23:59:59 | 講義の余白から

 今年度は二年生も三年生も平年の1,5倍の人数で、それだけ試験の採点は大変になるが、どちらの学年も概して授業をよく聴く。私の講義ではノート型パソコンの使用は自由にさせているが、今年は手書きで熱心にノートを取っている学生が少なくない。これはとてもよい傾向だ。
 パワーポイントは入念に作り込むが、それがあるから安心だとノートを取らない学生は、結局試験でいい点は取れない。肝心なことが頭に入っておらず、ポイントもよく理解できていないことが多いからだ。授業中にしっかりとノートを取りながら、私がしつこいくらいに繰り返すことをよく聴いていた学生たちはおそらく来週の試験準備もさほど必要ないであろう。
 来週の中間試験の問題作成を終えたところだ。昨年までの小論文形式は採らなかった。人数が多くて採点に時間が掛かるから、より採点しやすい形式を採用した。語彙・語句・仏訳・説明の四部に分け、配点は各部均等にした。語彙では、授業で取り上げたテキストに使われていた汎用性の高い語彙の知識を問う。語句では、授業で説明した重要語句の中から選んだ五つの語句についてそれぞれ一二行で説明することを求める。仏訳では、授業で取り上げたテキストと内容的に近い未知のテキストを仏訳させる。説明では、授業で取り上げたテキストの一つの内容について説明を求める。
 語彙と語句の復習のためには、それぞれ一枚にまとめたリストを、仏訳と説明の準備のためには、内容的に重要なテキストの抄録を作成し、Moodle にアップした。
 試験時間は一時間と短いから、よく準備してこない学生は、語彙と語句の解答に時間が掛かり、残りの二部に取り組む時間が足りなくなるであろう。よく準備してきた学生は、一・二部をさっさと片付け、残り二部の解答に必要な時間がなんとか確保できることであろう。それでも後半二部は量的にかなり多いから、最優秀の学生たちしかいい点は取れないはずである。
 今週の木曜と金曜には、それぞれの授業で、前期前半の最後のテーマについて話した後、前半の重要事項のおさらいをし、リストと抄録の使い方を説明して締めくくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


湯船という快適空間の中での読書と思索

2022-10-16 19:48:51 | 雑感

 毎日ジョギング後には必ずシャワーを浴びるし、朝ジョギングせずに大学に出講するときも必ずシャワーを浴びてから出かけるから、普段から清潔にはしている方だと思うが、風呂には週一回、日曜日にしか入らない。別に風呂が嫌いなのではなく、それどころか湯船に長時間浸かっているのは大好きなのだが、ガス代倹約のために泣く泣く我慢している。
 プールに通っていたころは、シャンプーを使ってシャワーを浴びてから帰宅していたから、自宅でシャワーを浴びることも週に一、二回程度だった。湯船に浸かることはさらに少なく、月に二、三回だった。だから、ガス代もたいしたことがなかった。
 ところが、昨年夏休み中だったか、十日間くらい毎日ジョギング後に長風呂に入っていた。二ヶ月後に来たガスの請求書を見て魂消た。隔月払いにしているのだが、前回の請求額の三倍に跳ね上がっている。愚かな話であるが、ガス給湯の風呂を使うとそれだけガスを消費するということにまったく考えが及んでいなかった。というわけで、以来、風呂は週一回日曜日と決めている。
 平均して一時間半ほど湯船に浸かっているが、ぼーっとしているわけではない。浴槽用の竹製のミニ・テーブル上にタブレットとスマートフォンを置き、電子書籍で読書したり、ネットで買い物したり、メールの返事を書いたりするし、講義の準備や研究発表の構想を練ったりもする。湯船に浸かっているうちに講義の準備があらかた終わってしまうこともあるし、研究上のいいアイデアが浮かんだりもする。ブルートゥースを使って別室から音楽が聴けるようにもなっている。
 というわけで、週一回の湯船の中の貴重なリラックスタイムはとても楽しみなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ミメーシスとカタルシス:同じ一つの現象の裏表

2022-10-15 23:59:59 | 哲学

 修士の学生の一人が日仏合同チームでの研究テーマの候補としてミメーシスとカタルシスをそれぞれ別の問題として取り上げていたので、アリストテレスの『詩学』では両者が悲劇の定義において不可分であることを手短に示すつもりで、Carole Talon-Hugon, L’esthétique, 5e édition, PUF, 2018 から次の一段落(p. 24-25)を授業中に引用した。

L’analyse d’Aristote n’ignore pas la réception de l’œuvre et fait une place à la notion de plaisir. Plaisir pris à l’imitation elle-même d’abord (à la fois dans sa production et dans sa contemplation). Plaisir plus complexe de ressentir des affects sur le mode de la feinte, et de s’en purifier par là même : « En suscitant la pitié et la frayeur, (la tragédie) réalise une épuration (catharsis) de ce genre d’émotion » (1449 b). Dans le Politique, à propos de la musique cette fois, Aristote écrit que, « après avoir eu recours à ces chants qui mettent l’âme hors d’elle-même (les gens en proie à ces émotions comme la peur, la pitié ou l’enthousiasme) recouvrent leur calme […] et pour tous se produit une sorte de “purgation” et un soulagement mêlé de plaisir » (1341 b). Ces deux seuls passages où il est question de catharsis dans l’œuvre d’Aristote sont, on le voit, brefs et énigmatiques. Il est néanmoins possible de dire que c’est la mimêsis constitutive de la tragédie qui réalise cette libération des affects. La tragédie établit entre le spectateur et l’événement pathétique la distance de la fiction. Catharsis et mimêsis sont le recto et le verso d’un même phénomène : c’est la fiction qui fonde la libération. Éprouver des passions dans la distance fictionnelle à l’égard de ce qui la fait naître, c’est les éprouver de manière non ordinaire, de façon quintessenciée. Et c’est de la transmutation même de l’affect ordinaire que naît le plaisir tragique.

 この一節からだけでも多くの問題を引き出すことができるが、ちょっとやそっとのことで取り組めるような問題群ではない。実際、アリストテレスにおけるミメーシスとカタルシスの関係をめぐって、古代・中世・近世・近代を通じて、そして現代に至るまで、実に多様でしばしば互いに相容れない解釈が積み重ねられてきており、その長い解釈の歴史に一瞥を与えただけも戦慄を覚えてしまう(詳細は、光文社古典新訳文庫版『詩学』の訳者である三浦洋氏による懇切丁寧な解説を参照されたし)。
 悲劇において、ミメーシスが虚構する現実からの隔たりが憐れみと恐れという激しい感情をそれとして純化された状態で経験することを可能にし、悲劇がミメーシスであるからこそそこで経験された感情からの解放(浄化)も可能になり、その解放は観劇者に歓びをもたらす。
 つまり、アリストテレスの定義する悲劇においては、ミメーシスがなければカタルシスはありえない。このミメーシスを「模倣 imitation」と訳すことが多くの誤解のもとになってきた。そこで仏訳者の中には représentation と訳す人たちもいる。日本語訳は手元に二つしかないが、三浦氏は「模倣」と訳し、岩波文庫版は「再現」を採用している。カタルシスはどちらも「浄化」を採用している。
 専門的な議論には無論立ち入ることはできず、修士の演習で学生たちの参考に供する程度のことしかできないが、手元にある五つのフランス語訳にそれぞれ付された注解や解説を手がかりにして、ミメーシスとカタルシスとの関係について自分の考えを整理しておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


文法的には間違っていないのに適切ではない一文の添削過程を説明すると

2022-10-14 23:59:59 | 日本語について

 このブログを九年あまり続けていますが、あるテーマについて連載することもあれば、その日その日の雑感を書きつけるだけのこともあります。連載の場合、短くても数回、長ければ数週間、同じテーマについて書き続けることになりますから、あらかじめ準備もできるし、すでに連載のための素材が揃っている場合もあります。その日の思いを徒然なるままに綴る場合は、あらかじめ準備することは当然できません。記事を書く段になって、何を書こうかと思案することになります。あるいは、何かほかのことをしているときに、ふとテーマが浮かぶこともあります。ジョギングしているときにもそれはあります。
 もう一つのケースは、あらかじめ準備してあったテーマのかわりに、たまたまその日に起こった出来事あるいはちょっと気づいたことについてどうしても書きのこしておきたくなり、テーマを変更する場合です。今日の記事はこの第三のケースに該当します。ちなみに、予定されていた記事のタイトルは「ミメーシスとカタルシス、あるいは一つの美的体験」でした。
 さて、本日のお題に入りましょう。

「今日は私がJDMの動向を発表しています。」

 先程帰宅してメールボックスを開けてみると、来週月曜日の授業で口頭発表する学生の一人から発表原稿が届いていました。その冒頭の一文が上掲の文です。この学生は、日本語のできがあまりよくなく、しかもそのことがよく自覚できていません。ですから何度も同じ間違いを繰り返します。二週間前に最初に彼が送ってきた文章は、ほんとうに理解不能だったので、「直しようがないから全部書き直してください」と突っ返しました。それで今日送られてきたテキストの冒頭の一文が上に掲げた文です。
 この一文をもって六〇〇字ほどのその文章は始まります。まあ、言いたいことはわかります。本人が文章の改善に努めたこともわかります。
 それはそれとして、この文が文法的には間違っていないのに発表の冒頭の一文としてどうして適切さを欠いているかを、このような文を書いてしまった本人にわかるように説明するのは、そんなに容易なことではありません。
 もし私がこの一文をどう添削するかを教室で学生たちに説明するとしたら、以下のような手順になることでしょう。
 ただし、「しています」が不適切であること、「を」よりも「について」がより適切であることの理由の説明は比較的容易なので、それらは省略します。
 「今日は」はいいとして、「私が」はちょっとへんでしょう。なぜ変なのでしょうか。書いた本人のレベルに合わせてその理由をどう説明したらいいでしょうか。これは「が」と「は」の違いという実にやっかいな問題の具体例のひとつです。日本語上級者でもこの点でまったくミスがない人は非常に少ないのです。
 上掲の文を、「今日は、私は[…]について発表します」と添削したとします。
 これでも「は」の繰り返しが引っかかります。しかし、問題は、一文内に「は」を繰り返すことそのことにはありません。問題点をより明確にするために、「今日は」と「私は」のどちらかだけを残してみましょう。
 まず、「今日は」を残すとすると、「今日ではない別の日には、他のテーマについて話した、あるいは今後話すであろう」という情報が内包されます。実際、学生たちはあと三回別のテーマについて発表することになっているので、「今日は」という限定は妥当です。
 「私は」だけを残すとどうなるでしょう。「他の人は違う話題を話した、あるいは、これから話すだろうけれど、私に関して言えば」という情報が内包されることになります。しかし、それぞれ異なったテーマについて話すことはすでにみんなが知っていることですから、このような限定は不要です。もちろん、この点について強調したい場合は「私は」を使うことは妥当です。特に、私は他の人と違った話題を選んだのだと強調したければ「私は」を使うのは適切です。
 しかし、口頭発表の冒頭において「私は」とは言わないことのほうが実例としては多いのは、それぞれ異なったテーマについて発表することが前提されているから、「私は」と言ってわざわざ自分を際立たせる必要がないからです。これは、自己紹介するときに日本人はわざわざ「私は」とは言わないことが圧倒的に多いのはなぜなのかという問題と同じ問題です。
 いきなりこの問題の解答を示す前に、上掲の元の一文だけを見て、それが妥当な一文であるような場面を想像してみましょう。
 ある会議中に上司が会議室に入ってきたとします。その上司が、「どうして君が発表しているのかね。A君が担当するはずじゃなかったかね」と聞いたとします。それに対して、今日A君が急病で欠席し、それで彼と同じプロジェクトで一緒に仕事をしていた私が急遽彼の代わりに発表していると答えるような場面では、上掲の一文は適切な一文となります。逆に、このような場面で「私は」は不適切です。上司の問いに答えたことにならなくなるからです。
 このような場面を想像しつつ、それと口頭発表の場面とを比較して、発話行為の状況として両者の間にどのような違いがあるかを考えてみると、口頭発表の冒頭の一文には「が」が不適切であることについてかなり明瞭な説明が可能になってきます。
 ここまでの考察を前提として、口頭発表の冒頭でなぜ「私は」と言わないのかを再度考えさせます。それは上に述べたように、自己紹介の場面との共通点が解答の鍵になります。その解答を一言でまとめると、「話し手(書き手)と聞き手(読み手)とにすでに共有されている、あるいはそう話し手に判断された情報は原則として省略されるから」となります。
 ところが、さらによく観察してみると、この解答も厳密さを欠いていることがわかります。なぜなら、話し手(書き手)には「省略」という意識もないからです。言語行為は話者間ですでに共有されている自明な情報を前提として成り立っており、日本語の場合、この自明性は場面の構成要素としてその場面への参加者たちに暗黙のうちに共有されていて文の構成要素としては現れません。だから、順番に発表することがすでにその場面で参加者たちに自明であるとき、話す当人は「私は」とは言わないのです。
 ここまでの説明から導かれる結論として、上掲の一文は、「今日は[…]について発表します」と添削されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アルス(ars)とテクネー(technê)、そして技術とアート(art)

2022-10-13 18:41:40 | 講義の余白から

 ラテン語の「アルス ars」が近現代語の「アート art」の直接的な語源であることはみな知っている。ラテン語のアルスは、広い意味での技あるいは技法、及びその実行に必要な知識、そしてそれを使って何かを実現あるいは実行すること及びその結果を指す。文芸や学芸もアルスであるし、弁論術もアルスの一つであり、医術もまさにアルスの一つである。他方、靴職人の技も肉屋の包丁さばきもアルスである。ギリシア語のテクネーもほぼ同様な意味領域をカヴァーしている。
 このアルスがいつアートになるのか。あるいは、いつアートはアルスから独立したのか。いや、そもそも両者の分離は可能なのか。むしろ、アルスとアートの関係をこそ問うべきではないのか。中世までのアルスが近代の技術に取って代わられたとき、その技術とアートとの間にどのような変化が起こったのか。両者はまったく別物になってしまったのか。
 修士の学生の一人がこれらの問いを日仏合同チームでのテーマとして提案する発表を昨日日本語でしてくれた。わずか三分あまりの発表であったが内容的にも日本語としても見事な出来であった。喝采を送る。


フランスにおける哲学的エスノセントリズム、あるいは〈他なるもの〉への無関心について

2022-10-12 23:59:59 | 哲学

 哲学部で哲学を学んでから日本学科に登録するケースがパリのイナルコでは過去に何例かあったし、現在も修士課程に在学している学生の中にもいると聞いている。ストラスブールでも哲学の修士課程を修了してから日本学科に登録した学生が一人おり、現在学部三年生である。その学生から先日、来年春にストラスブール大学哲学部で日本哲学についての研究集会を開こうと博士課程の学生の一人と一緒に企画中なのだが、何らかの形で参加してくれるかとの依頼があった。私でも何か若手たちの役に立てるのならばと二つ返事で承諾した。
 ただ、テーマがかなり挑戦的、というよりもほとんど挑発的で、実現するかどうかはまだわからない。というのも、フランスの哲学研究における日本哲学に対する surdité (難聴)を問題にしようというからである。つまり、なぜフランスの哲学研究者たちは日本の哲学にかくも無関心なのか、という問題である。「日本人の友」が何人もいるフランス人哲学研究者でも、本気で日本の哲学に関心をもっている人は数えるほどしかいない、いや、数える必要もないくらいに少ない。
 この「哲学的エスノセントリズム」とも名づけるべきフランスに著しい傾向はフランス哲学の宿痾である。ほぼ治療不可能である。そこにきて、フランス哲学をありがたがっている日本人研究者が彼らを煽てなどすれば、これはもう手の施しようがない。確実に死に至る病である。いうまでもないが、本人たちにはまったくその自覚がない。
 日本研究者たちがほとんど哲学に関心を示そうとしないのとこれは好一対である。どちらの場合も、ほんとうには〈他なるもの〉に関心がないという点で同じなのだ。その声に対して謙虚にかつ真剣に耳を傾けようという気がない。
 この二つの無関心の絶壁に挟まれた谷底を「暗きより暗き道」へと何も照らすものものなく歩いていくことは絶望的に困難である。