内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「人間はさまざまな関係の結び目だ。関係だけが人間にとって重要なのだ」― サン=テグジュペリ『戦う操縦士』より

2024-06-10 14:10:41 | 読游摘録

 「稀代」とか「当代無比」とか称される読書家でもある作家や批評家などの書評集成や読書日記などを読むと、名ガイドに導かれての名所の周遊や秘跡の探訪にも似た愉しみを味わえる。他方、どうやったらこんなにたくさんの本が読めるのか、しかもそれらの本について見事な書評や味わい深いエッセイなどが次から次へと書けるのかと、讃嘆の念とともに深く溜息をつくほかない。
 それらの読書家たちの渉猟する領域は広大だから、彼らの読んだ本のなかに私も読んだことがある本があったとしてもそれはまったく驚くにあたらないが、自分にとって大切な著作家が彼らにとってもそうであったことを書評や読書日記等を通じて知るのは嬉しい発見である。
 須賀敦子もそうした卓絶した読書家のひとりだったが、彼女にとって大切な著作家のなかに、シモーヌ・ヴェイユ、サン=テグジュペリ、ユルスナール、森鴎外などの名が見出されるのはことのほか私を喜ばせる。
 『遠い朝の本たち』(筑摩書房、一九九八年)に収録された「星と地球のあいだで」(初出「国語通信」筑摩書房、一九九二年十月号)はサン=テグジュペリのことがテーマになっている。
 大学を出た年(一九五一年)の夏、須賀は自分の行くべき方向を決めかねてそのために体調を崩してしまう。何人かの友人の誘いで信州の山の町に出かける。その旅荷のなかには『夜間飛行』と『戦う操縦士』が入っていた。その『戦う操縦士』がこのエッセイを書いている四十一年後にもまだ須賀の手元に残っている。

黄ばんだ紙切れがはさまった一二七ページには、あのときの友人たちに捧げたいようなサンテックスの文章に、青えんぴつで鉤カッコがついている。
「人間は絆の塊りだ。人間には絆ばかりが重要なのだ」
 あの夏、私は生まれてはじめて、血がつながっているからでない、友人という人種に属するひとたちの絆にかこまれて、あたらしい生き方にむかって出発したように思う。

 引用されている文の原文は、 « L’homme n’est qu’un nœud de relations. Les relations comptent seules pour l’homme. » である。上掲の訳が須賀自身によるのか他の人の訳なのかいま確かめるすべがないが、nœud を「塊り」と訳すのはどうかと思う。むしろ「結び目」のほうがよいと思う。実際、光文社古典新訳文庫版(二〇一八年)の鈴木雅生訳は、「人間はさまざまな関係の結び目だ。関係だけが人間にとって重要なのだ」となっている。
 「塊り」はそれ自体で独立している個体も指すが、ここでそれは当てはまらない。ひとりひとりの人間はそれぞれに独立した個体ではなく、さまざまな関係の結び目として生成発展し、身を挺して人を守り、人から守られ、共に戦い、また傷つき苦しみもする。
 『戦う操縦士』のこの一文は、メルロ=ポンティが『知覚の現象学』の最後に引用している一文でもある。しかし、『知覚の現象学』では、この一文に先立って、その数頁前の一節が多くの中略を含みつつ次のように引用されている。

« Ton fils est pris dans l’incendie, tu le sauveras... Tu vendrais, s’il est un obstacle, ton épaule contre un coup d’épaule. Tu loges dans ton acte même. Ton acte, c’est toi... Tu t’échanges... Ta signification se montre, éblouissante. C’est ton devoir, c’est ta haine, c’est ton amour, c’est ta fidélité, c’est ton invention... L’homme n’est qu’un nœud de relations, les relations comptent seules pour l’homme. »

「自分の息子が火災に巻きこまれたらどうする? もちろん助けようとするだろう… 行く手を阻む障害物があれば、自分の肩を誰かに売り渡してでも、肩で体当たりをするはずだ。自分というものは、肉体ではなく行為そのもののなかに存在している。己の行為こそが自分なのだ… 何かと交換に自分を差し出すのだ… 自分という存在の意味が燦然と輝く。その意味とは、義務であり、憎しみであり、愛であり、誠実さであり、発明である… 人間はさまざまな関係の結び目だ。関係だけが人間にとって重要なのだ。」(鈴木雅生訳、メルロ=ポンティの引用の仕方にあわせて一部改変)

 学部論文から博士論文まで十数年にわたって読み返してきた大切なテキストにこうしてまた立ち戻る機会を恵まれて、人間はさまざまな読書経験の結び目でもある、と言いたくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


神への愛と神の構想不可能性という「真正な矛盾」の確実性の経験 ― シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』より

2024-06-09 14:15:22 | 哲学

 昨日の記事のなかに引用したシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』の一節は、「浄めるものとしての無神論」(L’athéisme purificateur)と題された章のはじめのほうにある。その章の冒頭の断章は、一九四七年にプロン社から刊行された初版とガリマール社の『シモーヌ・ヴェイユ全集』(全一六巻)の「雑記帳(カイエ)」全四巻の第二巻の当該箇所との間で若干の異同がある。後者を引用しよう。

Cas de contradictoires vrais. Dieu existe, Dieu n’existe pas. Où est le problème ? Nulle incertitude. Je suis tout à fait sûre qu’il y a un Dieu, en ce sens que je suis tout à fait sûre que mon amour n’est pas illusoire. Je suis tout à fait sûre qu’il n’y a pas de Dieu, en ce sens que je suis tout à fait sûre que rien de réel ne ressemble à ce que je peux concevoir quand je prononce ce nom, puisque je ne peux pas concevoir Dieu. Mais cela, que je ne puis concevoir, n’est pas une illusion — Cette impossibilité m’est donnée plus immédiatement que le sentiment de ma propre existence. 
                                Œuvres complètes, vol. VI, Cahiers, tome II, p. 126.

 下線を引いた部分がプロン社版(ティボン版)では削除されている。ヴェイユから「雑記帳」を託されたギュスタヴ・ティボンはどのような理由で上掲三箇所を削除したのか。ティボン版は「カトリック的」な主題が前面に押しだされていると言われる。言い換えれば、「反カトリック的」な言辞は削除されるか、弱められるか、改変されている。この引用の中では、神を構想することの不可能性とその確実性に関わる言辞が削除されている。
 岩波文庫版の冨原真弓訳はガリマール版に依拠して、ティボン版の削除箇所のうち、ダッシュ以下の一文のみ復元して当該断章を次のように訳している。

真正な矛盾の例。神は実在する、神は実在しない。問題はどこにあるのか。わたしは神の実存を迷わず確信する。わたしの神への愛が幻想ではないことを確信するがゆえに。私は神の実存はありえないと迷わず確信する。実在するものがなにひとつ、この名を発するときにわたしが構想するものと似ていないことを、迷わず確信するがゆえに。だが、構想できなくても幻想ではない。構想できないというこの感覚は、わたしの実存の感覚よりも無媒介的に与えられているのだ。

 なぜガリマール版の本文をそのまま全部訳さず、一部のみ復元したのか、その理由は示されていないのでわからない。
 以下、冨原訳についての私の小さな疑義を列挙する。しかし、それは、細部を論ってこの優れた労作を貶めたいからではなく、疑義にできるだけ正確な表現を与えることを通じて、この断章でヴェイユが言いたいことに迫りたいからである。
  まず、一切の不確実性を強く否定している表現である « Nulle incertitude »(いかなる不確実性もない)を訳さなかったのはなぜか。
 この表現のあと、ヴェイユは « je suis tout à fait sûre » という表現を立て続けに四回使う。冨原訳は四回中三回「迷わず確信する」と訳し、一回だけ「確信する」とだけ訳している。
 それは措くとして、「確信」という訳語は適切だろうか。この語の一般的な用法として、例えば、「勝利を確信する」「やつが犯人だと確信する」などと言うとき、「まだそのことが現実には最終的に確定していないが、自分としてはもはやそれを疑いえないほど信じている」ということを意味する。
 しかし、ヴェイユが « je suis tout à fait sûre » と繰り返すとき、それは、まだ最終的に実現されていないことについての単なる主観的な確信の表明ではなく、疑う余地も迷う余地もなく、論証というプロセスも経ることのない直接的な「確かさ」の経験の言明ではないだろうか。だからこそ、「真正な矛盾」は « Nulle incertitude » だとまずきっぱりと記したのではなかったか。
 「神への愛」は、神の実在がまず確信されてから生まれるのではない、それは神の実在の「結果」でもない、真なる愛はそれ自体において疑う余地のない確実性の経験なのだ、とヴェイユは言いたかったのではないだろうか。
 他方、わたしが自力によって構想可能なすべては神ではない。神はわたしによって構想されうるいかなるものとも似ていない。 « Réel » は「実在するもの」だろうか。これは日本語に訳するときに仕方のない面もあるが、「在」という漢字に私は引っかかってしまう。「在る」かどうかではなく、「現‐実」であるかどうかがここでの問題だと思うからである。
 « Cela, que je ne puis concevoir, n’est pas une illusion » を「構想できなくても幻想ではない」と訳すのは適切であろうか。むしろ、「わたしは構想できないという、そのことは、幻想ではない」と訳すべきではないだろうか。つまり、神の構想不可能性は疑う余地がない、という確実性の「わたし」における経験をこの一文で表現しているのではないであろうか。
 ダッシュ以下の最後の一文 « Cette impossibilité m’est donnée plus immédiatement que le sentiment de ma propre existence » は、「構想できないというこの感覚は、わたしの実存の感覚よりも無媒介的に与えられているのだ」と訳されている。しかし、「構想できないという感覚」の「感覚」に対応する語は原文にはない。それは当然のことで、この « impossibilité » は、感覚・感性・感情の媒介に依ることなく、原事実として直接(無媒介的に)わたしに与えられているからである。
 神への愛と神の構想不可能性という「真正な矛盾」は同じ一つの確実性「インマヌエル」の両面であるということをこの断章は凝縮された対偶的表現を中心にして示していると私には思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


運河の片隅で午睡に微睡む白鳥の雛鳥たちは何羽いるでしょうか?

2024-06-08 17:32:43 | 雑感

 今日の午後、ジョギング中に、自宅近くを流れるマルヌ・ライン運河の水門の片隅で一塊になって午睡に微睡でいる白鳥の雛鳥たちを見かけました。二週間前にやはり自宅近くの北墓地脇の車道で見かけた二羽の雛鳥たちとは別の家族です(それについてはこちらの記事を御覧ください)。ただ、大きさからして同時期に生まれたのでしょう。水面とほぼ同じ高さの小さな長方形の石段の上にお互いにくっつきあうようにして寝ているので、ちょっと見ただけは何羽いるのかわかりません。さて、いったい何羽いるでしょうか? 添付した写真だけではわからないかも知れません。こちらに動画をアップしておきました。

 


近隣の複数の教会で同時に鳴り始めた鐘のように

2024-06-08 12:53:56 | 読游摘録

 教育・研究にとって重要だと判断した書籍と個人的な関心から味読したい書籍とは、紙版と電子書籍版の両方を購入することがここ数年多くなった。
 必要に迫られて部分的に参照するだけのときは電子書籍版を主に用いる。それは読書とは言えないと思うが、本の使い方の一つではある。こういう「便利な」利用法は、著者に対して失礼だと思うことはあるが、紙版だけで仕事をしていた頃に比べれば、検索・参照・引用箇所特定にかかる時間を圧倒的に節約できるようになったのがありがたい。
 他方、他の本で引用されていた一節を確認するために引用元の書籍の紙版の頁をめくっていると、思わぬ「余得」に恵まれることがある。調べる必要があった箇所とは別の頁で、あるいは、それをきっかけとして、別の本のなかで、心に触れてくる言葉、一文、一節などに出遭えることがある。しばしばあるとさえ言える。
 そのような出遭いや発見は愉しい。ただ、そういうことが続けざまに起こると、ちょっと危ない陶酔的な混乱状態に陥る。今、そうである。
 『須賀敦子全集』第八巻の松山巌の解説のなかにシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』からの引用がいくつかある。その中の一つが、「神についてどんな体験もしたことがないふたりの人の中で、神を否認する人の方がおそらく、神のいっそう近くにいる。/触れることがないという点を別として、にせの神は、あらゆる点で真の神に似ているのだが、それはいつでも真の神に近づく妨げになる。」(田辺保訳)
 原文は以下の通り。

 Entre deux hommes qui n’ont pas l’expérience de Dieu, celui qui le nie en est peut-être le plus près. 
 Le faux Dieu qui ressemble en tout au vrai, excepté qu’on ne le touche pas, empêche à jamais d’accéder au vrai.

 岩波文庫版の冨原真弓訳は同箇所を次のように訳している。
 「神の臨在を体験していないふたりの人間のうち、神を否認する人間のほうがおそらく神に近いところにいる。/偽りの神は、接触がかなわないという一点をのぞき、万事において真の神に似ているが、われわれが真の神に近づくのをどこまでも妨げる。」
 冨原訳中の「臨在」に対応する語は原文にはない。おそらく「神の体験」をインマヌエル(ヘブライ語で「神われらと共にいます」の意)と取っての訳だと思われる。
 この一節を読んで、私はジャン=リュック/ナンシーの『脱閉域 キリスト教の脱構築1』(現代企画室、2009年)の次の一節を思い合わせた。
 「キリスト教的な保証とは、いわゆる宗教的な信仰=信条〔croyance〕のカテゴリ-とは完全に対極にあるカテゴリーにおいてのみ起こりうる。この信〔foi〕のカテゴリーは、不在性に対する忠実さであり、あらゆる保証が不在なところでこの忠実さに確信を抱くことである。この意味で、慰めを与えるような、あるいは贖いをもたらすようないかなる保証も断固として拒絶する神なき者[無神論者 athée]は、逆説的あるいは奇妙な仕方においてであるが、「信者」よりも信の近くにいる。」(七一頁)。

L’assurance chrétienne ne peut avoir lieu qu’au prix d’une catégorie complètement opposée à celle de la croyance religieuse : la catégorie de la « foi », qui est la fidélité à une absence et la certitude de cette fidélité en l’absence de toute assurance. En ce sens, l’athée qui refuse fermement toute assurance consolatrice ou rédemptrice est paradoxalement ou étrangement plus proche de la fois que le « croyant ».

La Déclosion, Galilée, 2005, p. 56.

 この一節、先月刊行された『滝沢克己の現在』(新教出版社)に寄せた拙論「哲学との一つの真正な出会い方」のなかで引用している。この直前の箇所でナンシーがその一節に言及しているマイスター・エックハルトの説教52「三つの内なる貧しさについて」からも引用している。
 今、頭の中で、いや、体中で、これらの文章が近隣の複数の教会で同時に鳴り始めた鐘のように重なり合って響いている。それが一過性の陶酔的な混乱に終わるのか、そこから何かが生まれてくるのか、まだわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


近況報告を強いられることの苦痛

2024-06-07 15:18:07 | 雑感

 近況を知らせてほしいというメールをある人から年に一度か二度もらう。かねて親しくしていた人だが、いろいろあって今は疎遠になっている。メールをもらうたびに憂鬱になる。近況を知らせるメールを書く気になれないのだ。だから一言の返事さえしないこともある。これは日頃の私の習慣に反する。普段は、返事は速く、相手の求めにもちゃんと応じようとする。
 だが、その人には近況など知らせたくないのだ。こちらから知らせたいことなどなにもない。それに、こちらの近況を聞くまえに、まず自分の近況を知らせるのが順序というものではないのか。自分のことはほとんど語ろうとせず、なぜこちらの近況だけを欲するのか。そのことにも腹が立つ。
 誰にでも送れる当たり障りのない簡単な近況報告ならば三分もあれば書ける。その人が求めているのはそんなものではないことはわかっている。だが、その求めに応じるような近況報告を書くことは私には苦痛でしかない。なぜなら、それはあたかも、自分が嫌いな自分の顔を鏡に映して写生せよ、それもできるだけ細部まで丁寧に時間をかけて、と要求されているようなものだからである。求めた本人はそんなつもりはないと言うだろう。だが、求められた方にとってはそうなのだ。
 ごく具体的なことについて問われたり、頼まれたりすれば、それらには直ちに応答し、できることはしよう。ことのついでに一言近況を添えてもいい。だが、近況を知らせることそのことを求めるのはどうかやめてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


地下駐車場に置いてあった自転車を盗まれてしまいました

2024-06-06 23:59:59 | 雑感

 自転車を盗まれてしまいました。
 先週土曜日、注文してあった本を街の中心部にある本屋に取りに自転車で行こうと思い、その自転車が置いてある地下駐車場に降りていくと、驚いたことに、私のアパルトマン専用のガレージの電動式シャッター下方が数十センチ開いているのです。前回自転車をガレージにしまったときには、数センチの隙間を残してシャッターをほぼ閉めました。
 なぜ隙間を残したかというと、昨年、そのガレージの直上のアパルトマンで水漏れ事故が発生し、そのせいでガレージが水浸しになってしまったことがあり、以来、シャッターを少し開けておくことで、万が一の浸水のときに庫内に水が溜らないようにするためです。
 それが仇になりました。何者かが地下駐車場に侵入し、そのシャッター下の隙間に手を入れて、強引にシャッターを引き上げたのでしょう(幸い、シャッターは破損していませんでした)。おそらく這うようにして庫内に入り、自転車を横倒しにして引っ張り出したのだと思われます。
 盗まれた自転車は六年前に買ったもので、大学への通勤と普段の買い物が主な用途の街乗り用のごく普通の自転車でした。ここ一年ほどはろくに手入れもしておらず、特に愛着があったわけでもないのですが、車もバイクも持たない私にとっては徒歩と公共交通機関以外の唯一の移動手段なので、自転車がないとやはり不便なのです。
 仕方がありません。新たに購入することにしました。しかし、新車となると、街乗り用のごくシンプルなモデルでも日本円にして数万円します。そこで、中古自転車を購入することにしました。市内にある中古自転車販売専門店をネットで検索して、一番評判の高いところで買うことにしました。自宅からは路面電車で十五分ほどかかり、近所とはとても言えないのですが、とにかく行ってみることにしました。それが今週火曜日でした。
 小さな店舗に所狭しと中古自転車が並んでいます。中古といっても、もともとは品質のよい自転車がほとんどで、しかもブレーキ・パッドその他消耗品はすべて新品に交換してあり、結果、値段もそれなりにします。
 同じ価格帯のタイプを異にしたいくつかの自転車のうちのどれにするかで少し迷いましたが、前輪ブレーキがバイクのようにドラム式になっているのにしました。フレームの剛性は高く、前輪部にはショックアブソーバーが装備されています。二十四段変速です(そんなにいらないのですが)。スポーティーな街乗りタイプといったところでしょうか。日本円にして五万円ほどです。日本の一般価格のことはよく知りませんが、かなり高額だと思われることでしょう。でも、これでその店で一番安いほうだったのです。
 店主はとても感じのいい人で、盗難保険の保証内容について丁寧に説明してくれました。それもこの店での購入を決めた理由の一つです。
 まったく予定外の痛い出費には違いありません。盗難に対して油断するなという警告料だと自分を無理やり納得させることにします(それにしては高すぎますが)。ガレージのシャッターも完全に閉めきるようにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ノマドになれない定住性根無し草、あるいは川の淀みに漂う浮き草

2024-06-05 17:17:37 | 雑感

 ストラスブール大の現在のポストに赴任してからちょうど十年になる。その十年間ずっと同じアパルトマンに住んでいる。それ以前にパリで八年間やはり同じ住居に住んでいたが、居住期間としてはそれをもう二年も上回っていることにさっき気がついた。
 生まれ育った世田谷区を除けば、ストラスブールが一番長く住んでいる街になった。哲学部博士課程の学生だった一九九六年から二〇〇〇年までも含めると、滞仏二十八年の半分をストラスブールで暮らしているということにもなる。
 一処に一旦落ち着けば、住まいや地区に多少の不満があってもあまり動きたがらないほうで、その意味でフランス語の sédentaire に該当する性向だと思う。一所不住の nomade とは対極的だ。今の住まいにまったく不満がないとは言えないが、全体として満足度は高いし、膨大な本の量を考えると、引っ越しを想像する気にさえなれない。お金もかかるし。
 では、この地にしっかり根をおろして暮らしているかというと、全然そう思えない。いつまで経っても déraciné(根無し草)だとつくづく思う。
 Sédentaire で déraciné って、矛盾しているように思われる。前者を定住の意にとれば、この二つの漢字が示しているように、定まった住まいがある、あるいは、一定の場所に長く生活する、ということであり、安定感がある(もっともこの語の否定的な意味は「出不精」「家にこもっている」だが)。他方、根無し草はいつも浮動していて落ち着かないイメージがある。住まいがどこかなのかも定かでない感じがする。
 ノマドになれない定住性根無し草というこの相反する性質が私においていかに矛盾的自己同一性を形成しているのか。この問いに一つのイメージで答えるとすれば、川の流れのいずこかにできた淀みに漂っている浮き草である。川の流れに身を任せるのでもなく、流れに逆らって己の意志で川上を目指すのでもない。ただただ頼りなげに揺れながら同じ場所に浮いているだけである。しかも、遅かれ早かれ泡沫のごとくに消えていくことを一方で恐れ慄きながら、どこかでそれを待ち望んでもいる。どこまでも矛盾である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『須賀敦子全集』第八巻所収の年譜と未定稿について

2024-06-04 23:59:59 | 読游摘録

 須賀敦子の全作品とその他の遺された文章を全部読みたいと思い、河出文庫版『須賀敦子全集』(全八巻、二〇〇七年)を日本のアマゾンで購入した。五月三〇日に発注、昨日三日に国際宅配便DHLで届いた。
 作品を読み始める前に、第八巻の二百頁に及ぶ膨大詳細な年譜を眺めた。集め得た証言や資料はすべての時代について均一ではないが、数々の興味深いエピソードがそれぞれの時代の歴史的な出来事や須賀の生涯にとって特に重要な出来事と織り合わされており、さらに年譜に登場する事項や人名などの理解の一助のための脚注が懇切丁寧に多くの頁に付されていて、それらすべてから立ち上がってくる須賀の生涯、その生きた時代と世界の「空気」に思わず引き込まれた。
 イタリアからの帰国後須賀が長く住んだ街が私の生まれ育った土地からほど遠からぬことや、年譜作成のための重要な協力者の一人が留学前に私がフランス語のことでお世話になった方だったことなども、より一層私の興味を掻き立てた。
 丸谷才一と池澤夏樹とともに本全集編集委員であり、第八巻の編者である松山巌がこれだけの労力と時間をかけてこの年譜を作成したのは、須賀自身の「研究すべき文学者が、いつ、どこで生まれ、どのような時代を過ごしたのか、注意すべきである」(同巻「解説」六六四〇頁)という考えを尊重してのことでもあろうが、それにしても年譜にここまで尽力するのはきわめて稀なことではなかろうか。
 同巻には、遺稿「アルザスの曲がりくねった道」の創作ノートと未定稿も収録されている。未定稿は四百字詰め原稿用紙にして四十枚強である。もし完成されたならばかなりの大作になっただろうと推測される書き出しである。
 その書き出しを読んでいて次の一節に行き当たった。

どういう連想のいたずらだったのだろう、息のはずむ思いで帰りの地下鉄に乗っていたわたしのなかに、四半世紀まえ、友人たちとたずねた(というよりは、通過した、というほうに近いのだが)アルザスの風景が、ぼんやりと浮きあがった。丘の斜面を被うぶどう畑のなかの、だれにも会わない曲がりくねった道を、わたしは歩いていた。あの道をもういちど歩いてみたい。あのとき、わたしは、長いヨーロッパでの生活に区切りをつけて、まもなく陸の国境をもたない遠い島国に帰ろうとしていた。手入れのゆきとどいたぶどう畑を、ただ美しいと思うだけで通りすぎたあの道を、もういちど歩いたら、あのときには見えなかった大切なもの見つけられるかもしれない。

 この一節を読んで、かつて何度も車で訪れたワイン街道のことをなつかしく思い出した。思い立てばいつでも日帰りでいけるところに住んでいるのだから、今度訪れるときは、車が走るワイン街道から逸れて、曲がりくねった道を歩いてみたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あなたはどこで生きていますか ― 須賀敦子『ユルスナールの靴』に触れて

2024-06-03 21:31:00 | 読游摘録

 須賀敦子の『ユルスナールの靴』(河出書房新社、1996年)を読んでいて以下の一節に出会い、我が意を得た思いがした。

近世になって国家の概念が大陸とそこに暮らす人々の心をずたずたにひきさいてしまうまでのヨーロッパは、ことばや、川の流れや森の広がりなどによって、今日よりもっと(政治的でないという意味で)、自然な分かれ方をした土地だった。どこの国の人間というよりは、どの地方のことばを話すかのほうが、たいせつだったにちがいない。(『須賀敦子全集』第3巻、河出文庫、2007年、36‐37頁)

 ストラスブールに住んでいると、この一節のなかの「川の流れや森の広がり」と「どの地方の言葉を話すか」という表現に特に感応するのは私だけではないと思う。そうなのだ。西のヴォージュ山脈と東のシュヴァルツヴァルトとの間をライン川が流れ、その流域の平地にはヨーロッパの他の地域には見られない文化圏が形成された。それはとりわけ中世に顕著だ。このことについて、2013年、このブログを始めて二月あまりのころに「思想の地形学 ― ライン川流域神秘主義」というタイトルの記事を書いた。それだけ私にとって大切なテーマだったからだ。
 マルク・ブロックにとっても重要な先達の一人であったポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュの『人文地理学原理』(Principes de géographie humaine, 1922)は、地球規模の問題が各国の政治の枠組みを揺るがし、超国家的な協働と解決策の模索が喫緊の課題である今日、もう流行らない。だが、そのことは私たちがより進歩しより豊かな世界に生きていることを必ずしも意味しない。
 人がその中で棲息する地理的条件・景観的特性・言語的環境は、その人のよりよき生にとって、その人がその下に生きている国家体制よりも、より大切でありうることを忘れないようにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


無用の用 ― 今日からブロク十二年目

2024-06-02 07:58:47 | ブログ

 昨日一日でこのブログを始めてから丸十一年になり、今日から十二年目に入ります。今日は未明から強雨、日曜は朝にと決めているジョギングもできず、この記事を書いています。
 ブログ十一年目一年間全体を振り返ってみるとき、よく考えもせず適当に書き流した記事が多かったという否定的な印象が自分のなかでは支配的です。完全に習慣化していて毎日書くのが当たり前になっていますが、それだけ惰性で書いているだけの日も多く、書くことによって思考が活性化したり、気づきがあったり、精神を集中させたりということは相対的に減ってきてしまっています。
 そんなわけで、実はこの一年、何度かやめどきについて考えたこともありました。やめたところで誰かに迷惑をかけるわけではないし、むしろブログのために毎日割いていた時間を他のことに使えるという利点もあります。同じく毎日続けているジョギングは心身の健康維持に明らかに貢献しているのに対して、ブログはいったいなんのためになっているかよくわからなくなってきました。
 最初の数年間はブログのために文章を毎日書くことが精神のバランス保持に明らかに貢献していました。精神療法的効果が如実にあったとさえ言えるほどです。授業の準備や論文作成のためにも役立ったという「実益」も少なからずありました。それに、これは私にとって最初からとても大切なことですが、ずっと読んでくださっている方々がいるということは、大げさでなく、心の支えであります。ここでそれらの方々にあらためて心より感謝申し上げます。
 では、読んでくださっている方たちのために書いているのかといえば、そこまでの思いを込めて書いているとは言えないというのが正直なところです。「お役立ち情報」的な要素はほぼ皆無な記事がほとんどですから、そういう意味での有用性もありません。
 そう、端的に言えば、このブログ、ほとんど無用なのです。ただ、これは以前から何度もこのブログでも言っていますが、少なくとも「生命反応」という意味合いはあります。一人暮らしですから、自宅で脳梗塞とか心筋梗塞とかでもし突然死ねば、数週間気づかれないままということもありえないことではありません。ブログの記事を毎日投稿していることは、その内容のいかんにかかわらず、「今日もなんとか生きています」という信号ではあるのです。
 それと、今まさにそれを感じているところなのですが、何かのためにということなしに書くという無用性こそが、ざわつく心を鎮め、折れかかっている心の痛みを緩和する鎮静効果をもたらします。無用の用、とでも言いましょうか。
 というわけで、なんのことはない、明日からもまた、まるで何ごともなかったかのように、坦々とした日々を過ごし、毎日記事を投稿していきますので、ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。