●世界遺産・古都アユタヤ観光 5
2007年2月14日(水曜日)
1991年世界遺産に登録されたアユタヤはバンコクから北へ、バスで1:30分ほどの
チャオプラヤ川とその支流に囲まれた中洲にあり、14世紀半ばごろから400年ほどインドシナ半島の中心都市として栄えたところである。
我々の乗ったバスは、朝のラッシュも一段落かと思われる街中を抜け高速道路を郊外へと走る。
3~40分走った頃から車窓の風景が長閑さを見せてきた。やしの木やバナナの木が目立つようになってきた。
そんな風景を楽しんでいる間に、いにしえに山田長政が活躍した舞台、旧日本人街跡地へ到着した。
石碑があるのみだが、チャオプラヤ川に面した港町、長崎の出島のような存在だったのかもしれない。丁度大きな引き舟が上流に登っていくところだったが、御朱印船もこのように日本から航海してきたのか?
再びバスで、アユタヤ遺跡群へ向かっていたら道路端を、像が数匹観光客を乗せて散策だ!
我がグループのかわい子ちゃんが「かわいい~ かわいい~」・・と歓声を上げた。
ガイドのJOHさんが乗りましょうか?と同意を求めてきた。
急遽みんなで像乗りを楽しむ。
遺跡群の中を王様になった気分で20分ほど巡る。500B(1500円ほど)だった。
アユタヤの遺跡群はいにしえの栄華をミャンマーの侵攻で破壊された広大な宮殿跡や寺院跡でだが、
余りにも悲惨な破壊に暫し呆然とする。
高さ44mの仏塔があったといわれるワット・プラ・マハタートも今は、巨大な菩提樹の根に取り込まれてしまった微笑をたたえた仏像の頭部、苔むしたレンガ積みの仏塔、頭部を落とされた仏像などが荒涼とした中に佇んでいるだけである。
3人の王の遺骨を納めた、セイロン様式の仏塔が残っているワット・プラ・シー・サンペットを写真に収めて、最後に13mの黄金に輝く大仏像に手を合わせてアユタヤ遺跡群を後にする。
昼食は山田長政に因んでいるのか?
山田屋というレストランで中華料理を賞味する。
2007年2月14日(水曜日)
1991年世界遺産に登録されたアユタヤはバンコクから北へ、バスで1:30分ほどの
チャオプラヤ川とその支流に囲まれた中洲にあり、14世紀半ばごろから400年ほどインドシナ半島の中心都市として栄えたところである。
我々の乗ったバスは、朝のラッシュも一段落かと思われる街中を抜け高速道路を郊外へと走る。
3~40分走った頃から車窓の風景が長閑さを見せてきた。やしの木やバナナの木が目立つようになってきた。
そんな風景を楽しんでいる間に、いにしえに山田長政が活躍した舞台、旧日本人街跡地へ到着した。
石碑があるのみだが、チャオプラヤ川に面した港町、長崎の出島のような存在だったのかもしれない。丁度大きな引き舟が上流に登っていくところだったが、御朱印船もこのように日本から航海してきたのか?
再びバスで、アユタヤ遺跡群へ向かっていたら道路端を、像が数匹観光客を乗せて散策だ!
我がグループのかわい子ちゃんが「かわいい~ かわいい~」・・と歓声を上げた。
ガイドのJOHさんが乗りましょうか?と同意を求めてきた。
急遽みんなで像乗りを楽しむ。
遺跡群の中を王様になった気分で20分ほど巡る。500B(1500円ほど)だった。
アユタヤの遺跡群はいにしえの栄華をミャンマーの侵攻で破壊された広大な宮殿跡や寺院跡でだが、
余りにも悲惨な破壊に暫し呆然とする。
高さ44mの仏塔があったといわれるワット・プラ・マハタートも今は、巨大な菩提樹の根に取り込まれてしまった微笑をたたえた仏像の頭部、苔むしたレンガ積みの仏塔、頭部を落とされた仏像などが荒涼とした中に佇んでいるだけである。
3人の王の遺骨を納めた、セイロン様式の仏塔が残っているワット・プラ・シー・サンペットを写真に収めて、最後に13mの黄金に輝く大仏像に手を合わせてアユタヤ遺跡群を後にする。
昼食は山田長政に因んでいるのか?
山田屋というレストランで中華料理を賞味する。