●戦場に架ける橋 カンチャナブリーへ 7
2007年2月15日(木曜日)
バンコクから西へ130kmの彼方にあるカンチャナブリーへの観光に出かける。
アカデミー賞を受賞した映画「戦場に架ける橋」の舞台になったところだ。サウンドトラックのクワイ川マーチは今でも心に残っている。
今回の旅行でここを一番楽しみにしていたから浮き浮きしながらバスに乗り込む。
1時間ほどバスを走らせると、沿道の風景が長閑な農園風景に変ってきた。
椰子の木やバナナの木が南国らしい。
牛が放牧されている風景や、サトウキビを満載したトラックがバンコク方面へ何台も何台も向かっていく。ボロイ車に良くあんなに沢山積載できるものだな~
砂糖キビを手作業で刈り取っている田畑も目に入ってくる。
![カンチャンブリ (14).jpg](http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/72/0000368772/88/img44c5df69zik0zj.jpeg)
トイレ休憩はガソリンスタンドを利用した。
ガソリンスタンドは異常なほど多くあるがその内の大型店は、トイレ・休憩所・コンビニが併設されている。ガソリンは23B位の数字が書かれているから日本円だと75円ぐらいかな?
3時間ほど掛かって、目的のカンチャナブリーの町に入った。
山村かなと思っていたが結構大きな町のようだ。
日本軍に捕虜にされた英国人の墓地が道路沿いに見える。まだあちこちにもあるという。
橋を見る前に、クエー川の畔にある椰子の葉で作られた戦争博物館(JEATHミュージアム)を見学する。
![カンチャンブリ (23).jpg](http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/72/0000368772/89/imgfa487319zikfzj.jpeg)
欧米人が真剣なまなざしで説明を聞いている傍らをそっと通り過ぎる。
捕虜と日本人の写真には余り誇れるものではないが・・・・
これを見て見学の欧米人が我々に冷たいまなざしを送ってくるような事はなかった。
建物のそばに、
TAKASHI NAGASE HUJIWARAとかかれた銅像が建っていたがどういう人だろうか?
調べてみたら、憲兵隊の通訳だったようだ、英国側に慕われていたのだろうか?
再建されたクワイ川鉄橋を徒歩で歩いてわたる。
欧米人も日本人も韓国人も中国人も鉄橋の狭い通路を譲り合いながら渡る。
下を流れるクワイ川も60年数年前の戦況と平和な現在を見て何を思っているだろうか?
![鉄橋.jpg](http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/72/0000368772/90/img85a88034zik7zj.jpeg)
![戦場にかける橋 (6).jpg](http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/72/0000368772/91/img8bacd603zik8zj.jpeg)
2007年2月15日(木曜日)
バンコクから西へ130kmの彼方にあるカンチャナブリーへの観光に出かける。
アカデミー賞を受賞した映画「戦場に架ける橋」の舞台になったところだ。サウンドトラックのクワイ川マーチは今でも心に残っている。
今回の旅行でここを一番楽しみにしていたから浮き浮きしながらバスに乗り込む。
1時間ほどバスを走らせると、沿道の風景が長閑な農園風景に変ってきた。
椰子の木やバナナの木が南国らしい。
牛が放牧されている風景や、サトウキビを満載したトラックがバンコク方面へ何台も何台も向かっていく。ボロイ車に良くあんなに沢山積載できるものだな~
砂糖キビを手作業で刈り取っている田畑も目に入ってくる。
![カンチャンブリ (14).jpg](http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/72/0000368772/88/img44c5df69zik0zj.jpeg)
トイレ休憩はガソリンスタンドを利用した。
ガソリンスタンドは異常なほど多くあるがその内の大型店は、トイレ・休憩所・コンビニが併設されている。ガソリンは23B位の数字が書かれているから日本円だと75円ぐらいかな?
3時間ほど掛かって、目的のカンチャナブリーの町に入った。
山村かなと思っていたが結構大きな町のようだ。
日本軍に捕虜にされた英国人の墓地が道路沿いに見える。まだあちこちにもあるという。
橋を見る前に、クエー川の畔にある椰子の葉で作られた戦争博物館(JEATHミュージアム)を見学する。
![カンチャンブリ (23).jpg](http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/72/0000368772/89/imgfa487319zikfzj.jpeg)
欧米人が真剣なまなざしで説明を聞いている傍らをそっと通り過ぎる。
捕虜と日本人の写真には余り誇れるものではないが・・・・
これを見て見学の欧米人が我々に冷たいまなざしを送ってくるような事はなかった。
建物のそばに、
TAKASHI NAGASE HUJIWARAとかかれた銅像が建っていたがどういう人だろうか?
調べてみたら、憲兵隊の通訳だったようだ、英国側に慕われていたのだろうか?
再建されたクワイ川鉄橋を徒歩で歩いてわたる。
欧米人も日本人も韓国人も中国人も鉄橋の狭い通路を譲り合いながら渡る。
下を流れるクワイ川も60年数年前の戦況と平和な現在を見て何を思っているだろうか?
![鉄橋.jpg](http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/72/0000368772/90/img85a88034zik7zj.jpeg)
![戦場にかける橋 (6).jpg](http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/72/0000368772/91/img8bacd603zik8zj.jpeg)