以前の福沢諭吉『学問之自立』の雑訳である。以下のように解くと良いと思ふ。。
学習の方法
●近代文語文が出題される大学受験者
読解問題 福沢諭吉『学問之独立』(一橋大学過去問より)問題をいきなり解く。
読解問題 福沢諭吉『学問之自立』(一橋大学過去問より)雑訳を読む。
読解問題 福沢諭吉『学問之独立』(一橋大学過去問より)解答編を読み、確認する。
●現代文受験者 本文記憶の練習及び同類、対比箇所を見抜く鍛錬として
読解問題 福沢諭吉『学問之自立』(一橋大学過去問より)雑訳を読んだ後に全文のイメージを持つ。
読解問題 福沢諭吉『学問之独立』(一橋大学過去問より)問題をイメージを活用して解く。
読解問題 福沢諭吉『学問之独立』(一橋大学過去問より)解答編で確認する。
●小論文受験者
読解問題 福沢諭吉『学問之自立』(一橋大学過去問より)雑訳を読んで、福沢諭吉の『学問之自立』を具体例として活用できるようにしておく
学問も政治も、その目的を聞いてみると、どちらもの社会の幸福を増進しようとするもの以外にないのではあるが(雖ども=いへども・・・たとえ~としても・ではあるが)、学問は政治ではなく、学者は政治家に異なっている。そもそも(蓋し=けだし・・・思うに・たぶん)その異なる理由は(所以=ゆゑん・・・理由)何であろうか。学者の行っている事は社会の今日の実態に遠くて、政治家の働きは日常の社会の出来事の中心に該当するからである。之をたとえてみると、一国はちょうど(猶=なほ・・・あたかも~のようだ・そのうえ・さえ)一人の身体のようであって、学者と政治家と互いに協力してにこれを守り、政治家は病気のときには治療に力を注ぎ、学者は日常の健康に注意する方法を授ける者のようなものである。世界が始まってから今に至るまで、智徳が両方とも不完全な人間社会は、一人の身体何れの部分か必ず調子のおかしい部分がある。治療を行っている政治家が非常に忙しいのは、昔から知っているであろう(固より=もとより・・・昔から)。それなのに学者が普段から養生の方法をさとして社会に警告することがあるので、あるときはその害を未然に防ぎ、あるときはたとえ害が発生したとしても(仮令=たとひ~とも・・・たとえ~としても)、大きな損害にならずに解決することをあるだろう。つまり、直接でなく間接的な働きであって、学問の力も同様に大きいと云えるだろう。
先日、(注)時事新報の社説にも云ったように、我が国の開国の初めに攘夷論がさかんな時に当たりても、洋学者流が普段から西洋諸国の事情を説明して、まるで日本人に開国に対応した方法を授けているのでなければ、我が日本は鎖国攘夷病にたおれたかもと考えなくてはいけない。(一)学問の効力、其の洪(こう)大(だい)なることこのようであるとしても、その学者にその場で今日の時事を担当させようとするも、時には実際の役に立たないことは、世界古今の例に少なくない。予防専門の医師にして実際の病の治療に活動的でないのと同様の道理であるのだろう。そうすると、学問と政治とは完全にこれを分離して相互に混同するのをさせないことは、社会全面の適当で、その双方の当事者のためにも幸福であろう。西洋諸国でも、行政の人が文学の介入して世の害を発生させ、有名な大学者(=碩学(せきがく))が政治の世界に上って人に笑われた前例もある。また、我が封建時代の諸藩において、老儒先生を藩の重役に登用して何の用も為さず、かえって藩土のために不都合を起して、その先生も遂に身を喪(ほろぼ)したもの少なくない。結局(=畢竟)、予防のための摂生法と解決のための治療法と混ぜた罪と言うのが適当であろう。
学問と政治と分離することは、国の為に果たして大切なるものであるとすると、私は、今の日本の政治から今の日本の学問を分離させることを祈る者である。即ち(注)文部省及び工部省直轄の学校を、それらの省より離別することである。そもそも(=抑も)明治維新の初めはあらゆることが皆創業に関わり、このことは官が支配するべき事、それは私(し)に属するべきものと、明白に分離することを論じる者さえいなくて、新規の事業は一切政府に負わせ、工業・商業の細事にいたるまでも政府から手を出すの有様であるので、学校も政府に属しなくてはいけないとするのはむろんのことで、つまり、文部・工部にも学校を設立した由来であっても、今は十六年間の政治は、徐々に整頓するの時期にあたって、内外の事情を照し合せ、欧米文明国の事実を参考すると、我日本国において、政府が直接的に学校を開設して生徒を集め、行政の官で直接的これを支配して、その官省の役人である学者がこれを教えるとは、外国の例にもはなはだ稀(まれ)にして、(二)今日の時勢にはいささか不都合であるようだ。
もともと学問の事であるので、行政官の学校で学ぶのも、また私学の学問所で学ぶのも同様であるはずに似ているけれども、政治社会の実際においてそうではないことがある。思うに(蓋し=けだし・・・思うに)国の政治は、前にも云ったように、今日の人事に当たって臨機応変の処分あるべきもので、たとえば飢饉のときには救済の対応をして、外患には軍事力を用意し、紙幣が下落すれば金銀貨を集め、貿易の盛衰の状況を見て関税の税率を上下する等、世俗の人々がこれを評すると駆け引きが煩雑なものであるので、もしも(=若しも)国の学校を行政の部内に入れるときは、その学問の傾向もまた(=も亦)、自然とこの駆け引きのために左右されることがないということを予測できない。駆け引きは日夜の臨機応変で政略では最も大切な部分であるので、政治家の常に怠ってはいけないことであるけれども、学問は一日一夜に対応した学問ではなく、簡単に変更してはできないのである。
もちろん(固より=もとより)今の文部省の学制であったとしても、決して政治に関係するわけではない。その学校のカリキュラムのようなものに私が見るところでは大きな異論はない。徳育を重んじ智育を貴び(=たっとび)、学ぶことがらは、大概皆、西洋文明の要素に基づいて、体育健康の法に至るまで問題がないのは、美なりと言うことができると言うが、残念ながら(・・・如何せん=いかんせん)、 この(=此)美である学制を施行する者が、行政官の役人であるだけではなく、直接、生徒に接して教授する者も同様に役人であり、かつ学校教場の細かい事務と一般の学風とはカリキュラムの中に記さなくてはいけないではないので、その学風、その精神の生じる源は、目の前の行政上の問題を扱わざるをえない。しかし、その行政であるものは、全体の性質にとして長い期間持続するはずがないのである。また、持続してうまくいかないものであるので政治の方針が変化するのに従って学校の学風や清人も同様に変化せざるを得ない。(三)学問の本質に背くものと言うのが適当であろう。
――福沢諭吉『学問之独立』
(注) 時事新報の社説・・・一八八三年1月十一日社説「牛場卓蔵君朝鮮に行く」を指している。 (注) 文部省及び工部省直轄の学校・・・この文章が書かれた一八八三年当時、文部省直轄の大学として東京大学が、工部省直轄の大学として工部大学校があった。
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