国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

要約問題(科学論)

2021-02-02 19:30:00 | 国語

 通信添削の教材のていで書いてある。
 私の現代文の師匠は田村秀行先生なのだが、特にこの文章は田村先生の影響が大きく、この文章の依頼者に「本当に田村先生のお弟子さんなんですねえ」と言われた。

 念のために言っておくが田村秀行先生は小生を覚えていないと思う。
 「千駄ヶ谷校舎で一番前で受講していたデブです」これで思い出してもらえなければ、多くの生徒の一人にすぎない。しかし、私は田村秀行先生に私の解答を2回授業で使用していただいたことがある。一回は論述問題で模範解答として(田村師よりいい解答例として)板書された。すると400人が私の解答をノートに書き始めたのである。もし、その経験がなかったら、私は国語屋をしていなかっただろう。
 予備校講師になってからは一度もお会いできなかったので、直接、弟子アピールはできなかった。古文の恩師である土屋博映先生とは一度、飲食をともにできたけれど。
 あ。そういえば大学で上位合格者の奨学金をもらったときにシングルモルトのウィスキーを買って田村先生のところに持っていったなあ。それが口を直接きいた最後かもしれない。いや、予備校講師になる前に一度、予備校講師になることについて相談にいったような気がしないでもない。いや、いったね。

 さて、以下の文章が書かれたのは随分と昔だが、内容は古びていない。そこが怖い文章だ。なお、中略の部分は国語屋稼業によるものである。

【設問】
 次の文章は長谷川眞理子氏の『ラップトップ(注 携帯用のコンピューターのこと)を抱えた「石器人」』である。後の問に答えなさい(数字は段落番号で解説者が付けた)。
・・・・・・・引用開始・・・・・・・
①99年に起きた東海村ウラン濃縮燃料加工施設における臨界事故は信じられない事故だった。安全確保のためのマニュアルが長い間にわたって少しずつ簡略化されていたのでいたのである。( 中 略 )こんな管理では、いつか大きな事故が起こってもおかしくはない。東京電力は4月15日に原発17基をすべて停止させ、安全確認と補修点検の作業に追われている。
②本年2月1日には、アメリカのスペースシャトル・コロンビアが大気圏突入の際に分解し、7人の宇宙飛行士が亡くなった。事故の最終報告書によれば、( 中 略 )断熱材の破損が関係していたらしい。疑問はあったが改善の名案はなく、これまでうまくいったということから、NASAはその危険性を問題にしなかったらしい。
③リスクの認識に何か問題があるようだ。車が行き交う道路を渡ろうとするときにどのくらいの危険があるかの判断は、まだ容易である。体の動きがどんなものか、それを自分でどれほど制御できるか想像がつく。判断を誤ったときにどんな災難が降りかかるかも、想像がつく。そして、それは皆、自分一人で行うことだ。
④しかし、十分危険だが微量の放射能の存在は、人間の感覚器官には関知されない。巨大な打ち上げ装置から宇宙に射出されるような乗り物に生じうる事故も、通常の意味での直感的把握を超えている。理論的なリスクの査定はできても、感覚的には実感できない。しかも、原子力発電所も、NASAも、一人一人は巨大な作業のほんの一部を担っているだけであって、自分自身の判断のミスがどれほど最終産物の危険に「貢献」するのかは。これまた実感できない。
⑤昔から「ギャンブラーの誤謬」と呼ばれているものがある。ルーレットで赤、赤と続くと、次も赤であるような気がする。赤、赤、赤、赤だと、次は黒であるような気がしてくる、という誤りだ。赤が出るか黒が出るかは、過去の記録にかかわりなく毎回5割である。東海村の施設もNASAも、危ないが訳のわからないものは、ここ数回安全であれば、次も安全であるとみなし、真の危険も顧みなかった。これも、一種のギャンブラーの誤謬であろう。
⑥人間にとって、確率的な事象を正確に把握し、判断を下すよりも、数回の経験をもとに因果関係を類推して、この次も過去と似たようなことが起こると考えた方が、進化史上では、ずっと適応的だったに違いない。たまにそれで間違えたときの損失は、今よりもずっと小規模だったろう。見も知らぬ他人の犯した誤りが自分に跳ね返ってくることも、まれだったろう。
⑦今日の状況はまったく異なる。航空機の事故を始めとするさまざまな機器の事故において、その多くが、機械そのものではなく、ヒューマンエラーによるものだと指摘されて久しい。それでも、この教訓はあまり生かされていないようだ。それは、驚くべき技術を手にし、これらの科学技術が日々進んでいくのを見ている人類が、自分自身の脳の働きも同様にリアルタイムで進んでいると錯覚し、ヒューマンエラーは、たまたま気を抜いたときに起こることだと過小評価しているからではないだろうか。
⑧しかし、人類は、少なくともおよそこの5万年にわたって、その基本的な脳の働き方において少しも変わっていないのである。物質文明の発展にだまされてはいけない。物質文明、技術文明は確かに進歩してきたが、それは、言語を使った学習と教育、記録による伝達によってどんどん蓄積されてきたからであって、一人ひとりの人間の脳が、毎世代、石器時代よりも進化して賢くなることによって進歩してきたのではない。
⑨それが論より証拠には、人類史における伝統的な生計活動である狩猟と採集で現在も暮らしをたてている地域で生まれた人々でも、子どものころから教育すれば、パイロットにも脳外科医にもなる。一方、技術文明の恩恵を十二分に受けて暮らしている私たちのうち、コンピューターや飛行機を自分でつくれる人が何人いるだろうか? 私が飛行機に乗り、コンピューターをあやつって、100年前の人々にはできなかったような仕事をしても、それは、私自身の脳が100年前の人々より優れているからではないのである。
⑩およそ5万年までにできあがった、非常に可塑性に富む人類の脳が、一致団結して知恵を蓄積してきた結果、こんな技術や社会ができた。しかし、この技術的蓄積と生活改変は、あまりにも急速に起こったため、人類は、自らの脳が自信をもって処理できる以上の情報を氾濫させ、数々の巨大施設を築き上げてしまった。私たちは、理性によって原子力やロケットを利用するすべを開発したが、からだや感覚はそんなものにはついていけないのである。
⑪未知への人間の挑戦と、その結果獲得した技術は素晴らしい。しかし、私たちは、ラップトップをかかえた石器人でもあるのだと、もう一度謙虚に認識する必要があるだろう。
・・・・・・・引用終了・・・・・・・


問 筆者の進化史に対する見方をふまえ、現代人と科学技術文明との関係をどうとらえるべきと主張しているのかをまとめよ(二〇〇字以内)




【生徒からの質問】
 要約を解答する時は、時間制限をした方が良いですか。
【質問へのお答え】
 時間制限をすべきかどうかですが、両方をやるのがいいと思います。つまり、まず、時間制限をして解き、その後に時間無制限で完全版の解答を作成してみましょう。そして、答えがどれほどよくなったかを自分で確認するとよくなると思います。添削は主に完全版で行いますが、時間制限版も一緒に出してもかまいません。

【解答への道筋】
 まず、設問の条件を確認してみよう。
[1] 著者の進化史に対する見方
[2]現代人
[3] 科学技術文明
[4] [2]と[3]の関係をどうとらえるべきと主張しているか
 これらの条件をチェックしながら本文を読んでいこう。
 次に題名を確認しておこう。題名は多くの場合、本文の主題を表しているからだ。

  ラップトップを抱えた「石器人」

 この題名と設問の条件が対応していることに気づけると、実は解答作成が楽になる。進化史上の「石器人」がラップトップという科学技術を扱っているのが現代人であるということを表しているわけだ。その上で本文を読んでいこう。
 すると、次のような大きな構造があり、先の条件の番号と対応させると次のようになる。

  進化史上([1])5万年進化していないのが現代の人類([2])である(石器人)
       対 立
  科学技術文明は発達している([3])
        
  謙虚に認識する必要がある([4])

 ちなみに「必要がある」という表現は多くの場合、主張に使われる。
 さて、大きな構造をつかんだら説明を加えていこう。説明と言うのは、情報を増やすことでわかりやすくすることで、一橋大学のようにかなり字数を減らしていく要約問題の場合は、短くつかんでから説明をしていく方が効率のいいことが多い。
 今回の設問で私が気をつけたのは、対立した構造をどう説明するかである。私は「個 対 複数」で処理した。というのは、科学技術文明の発達で本文第⑩段落に「人間の脳は一致団結して知恵を蓄積してきた結果」とある。「一致団結」というのは、同じ時代の人々全員という意味だろうし、「蓄積」というのは過去の人々全員ということだろう。つまり、「複数」の人類である。それに対し、文章に何度も「単数」の言いかえがなされている。「自分・自分一人・自分自身・一人ひとりの人間」などの部分だ。「ギャンブラーの誤謬」もここに入る。私の解答例ではこれらを「個人」とまとめてみた。「複数」の人間たちによって出来た科学技術文明を石器人である現代の「個人」が扱いきれなくなっているという流れである。また、「事故」の話が設問の条件にはないので述べるべきか否かを考えたが、「謙虚に認識する必要がある」の「謙虚」の部分の理由になるので、解答に入れることにした。最後に条件[4]「関係をどうとらえるべきと主張」の「関係」の説明にも苦労したが、「接する」ということばを使用することで「関係」のニュアンスを出した。
 ※ここで「個 対 複数」とする視点や『「関係」のニュアンス』を「接する」と表記したあたりが「語性」(語彙ではなく)を重視する田村秀行師の弟子ですねと担当者に言われた所以であろう。

【解答例】
人間は言語の利用を通じ一致団結して知恵を蓄積して、科学技術文明を進歩させたが、人類自体が進化したと考えるのは錯覚で、進化史的に人間の脳の働き方は石器時代から進化していない。その結果、個人の実感や経験では急速に発達した科学技術に対応できなくなり、ヒューマンエラーによる大規模な事故を起こしている。その事実を謙虚に受け止め、人間の生物的な限界を自覚し、科学技術と接していくべきである。

※ 「生物的な限界」…⑩段落「からだや感覚」の言い換えである。



【生徒解答例】
人間は一致団結して知恵を蓄積した結果、素晴らしい科学技術文明を手にした。一方人間の脳の働き方は5万年程前から現在に至るまで少しも変わっておらず、人間は従来はギャンブラーの誤謬に基づき行動し、それは進化史上適応的だったが、今日の科学技術文明の下ではその損失は計り知ることができない。現代人は科学技術文明を開発したが、体や感覚はついて行かないのだ。

●人間は一致団結して知恵を蓄積した結果、素晴らしい科学技術文明を手にした。

 この出だしに問題はない。

●一方人間の脳の働き方は5万年程前から現在に至るまで少しも変わっておらず、人間は従来はギャンブラーの誤謬に基づき行動し、それは進化史上適応的だったが、今日の科学技術文明の下ではその損失は計り知ることができない。

 まず、一文が長い。全体とのバランスが悪いときは読みにくいと判断して気をつけよう。
 次に「人間は従来は」の部分のように同じ助詞を近くに使用しないように気をつけよう。「従来、人間は」でいいだろう。
 「ギャンブラーの誤謬」は一般的な言い方ではなく、本文でも一段落を使って説明しているものなので、使用するのは避けたほうがいい。避けるべき語句かどうかは、本文での説明の量や、注で判断するといいだろう。今回の文章では「石器人」はよさそうだが、「ラップトップ」は注にあるので避けるというような調子である。
 「進化史上」は確かに使いたい表現だが、「ギャンブラーの誤謬」について使っているので分かりにくくなっている。私の解答例では「対応できなくなり」の部分で「今までは対応できた=進化史上適応的だった」を表現している。
 さらに「現在に至るまで少しも変わっておらず、人間は従来はギャンブラーの誤謬に基づき行動し」の部分は同じ話題なのでまとめたほうがいいだろう。今回は先ほどの理由で「ギャンブラーの誤謬」を落とす。

●現代人は科学技術文明を開発したが、体や感覚はついて行かないのだ。

 前の文を短くした内容だが、裏を返せば同じ話をしたということになるので、望ましくないということになる。作者の主張である「謙虚に認識する」という話を書くべきだろう。また、冒頭の「一致団結して知恵を蓄積した」が活かされていないことも良くない。先ほどの「個」と「複数」の対立の説明をよく理解してほしい。


※本文中に引用した文章がありますが、教育目的でなされています。




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