国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

追悼 鈴木銀一郎氏

2021-01-11 18:24:21 | その他・雑文

日本ボードゲーム界の父とまで呼ばれる鈴木銀一郎氏が逝去されていた。1月6日とのことだったが今朝知った。

●当ブログでは「仕事やら趣味(SLG&手品)やらについて、徒然に語る。」と書いてあるのだが、SLGについてはほとんど書いていない。というのはSLGをプレイしなくなって、もう10年以上(20年以上?)経つからである。ちなみにここでのSLGはボードシミュレーションウォーゲームのことだと思って欲しい。しかし、ここでは鈴木銀一郎作品について語るのはあえて書かない。『砂漠の狐』『バルジ大作戦』『史上最大の作戦』『日本機動部隊』『マレー電撃戦』『ロンメルアフリカ軍団』などについて語りだしたら止まらないからだ。カードゲーム、小説などでも同様である。

●それにしてもSLGという言葉を久しぶりに使ったのが鈴木銀一郎氏が亡くなったことを知ったことが原因だとは思わなかった。

●ここでは直接会ったときのエピソードを一つだけ記しておくことにする。

●私は大学3年の頃、玩具メーカーに就職しようと思っていた。箔をつけるためにゲームの一つぐらいデザインしておいた方が良いと思い(なんでそういう発想になるかはわからない)、ゲームをデザインし始めていた。タイトルは『世界の掟』で高梨俊一氏の『ルール・ザ・ワールド』のカードゲーム化のつもりであった。

戦隊を作り装備や必殺技を覚えてラスボスと戦うんだが他のプレイヤーと競ったり、他のプレイヤーを邪魔したりするという複数人数参加型のゲームである。

マップカード、ヒーローカード、必殺技カード、怪人カード、アクシデントカードなどがあったはず。今は昔で思い出せない。

中々、遊び心のあるゲームで、必殺技に「必殺!裁縫箱(明智 抄さんの始末人シリーズが元ネタ)」、アクシデントカードに「好きでした・・・。」「修行に出る!」(戦隊のメンバーがいなくなってしまうアクシデントが起きる)などがあった。必殺技カードを出すときはプレイヤーは必ず技名を言うことという罰ゲームのような面も取り入れていた。

ワープロで作った(当時はPCは一般的なものではなかった)カードで悪友と学食で軽くテストプレイをして、システムが動くのを確認したのちに翔企画へ持ち込んだのだった。

まずは社員の方(たぶん、中黒靖氏だと思う)にルールブックを読まれ、笑ってほしいところで笑ってもらい好感触だった(と思う)。その後、社員の方(バイトなのかもしれない)が「大佐」(鈴木銀一郎氏への愛称)を呼ばれた。

緊張しながら、読んでいただく。

「やはり大佐はすごい」と思ったのは鈴木銀一郎氏がルールブックを一読し、カードを眺めて言った言葉である。

「これ勝負がつかない引き分けが多いでしょ。複数でのテストプレイもしていないね」、言い回しは違ったかもしれないが一瞬で見抜かれたのである。「一人でも複数プレイのテストプレイはできるのだから、きとんとやろう」という趣旨のことを言われた。

その後、すでにヒーローもののカードゲームの企画が進んでいることを告げられ、経済系のゲームが欲しいということを頼まれたのである。一応、『市場構築者』というゲーム(ざっくりと言うと麻雀に相手を攻撃するカードをつけたもの)というゲームを作ろうとしていたが、玩具メーカーへの就職を止め、大学院への進学を決めたので、準備を進めることになり、『市場構築者』は完成できなかった。

ルールブックを一読しカードを眺めただけでゲーム展開が見抜ける人。

私が初めて達人、名人という具体的に存在するということを知ったのはこの時であった。

その後、直接は会うことはなく、それどころか、カードゲーム、SLGからも離れてしまったので、小説を読む程度でしか鈴木銀一郎の名にふれることはなかったが、あるルール、システムの存在によって、どういう結果を生むかということを具体的に(抽象的には経済学)実感させてくれた、捨象の大事さを理解したのは大佐の影響であり、いまだにその意味で影響下にある。

合掌。


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