旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

パリそれぞれ行動の日

2015-06-25 01:39:30 | フランス
パリに来たことがある人はけっこう多いから、《手造の旅》では一工夫しなくてはならない。
十二名の参加メンバーだが、最終的に四つのコースに分かれることになった。

小松が同行するコースは、アンバリッドとクリュニー中世美術館、パンテオンを訪れる。
★アンヴァリッドはもともとルイ14世が戦争で負傷した兵士たちを看護し生活させる施設として建設させたもの。アンヴァリッドは英語のINVALID=傷病者を表す、そのままの単語である。あの時代にこういった施設を大々的に建設したルイ14世は、ある意味戦争というものをよく理解していたのだろう。
最盛期は五千人以上の人々がここで世話されていたそうだ。現在でも一部は軍関係の養老病院として使われている。
以前に何度も来ていたアンヴァリッドだが、今回偶然現在も病院・看護棟となっている建物の前を通って「ああ、ここがそうだったのか」と理解した


10時に開館のはずだがまだ開かない。どうやら今日は第二次大戦の功労者に勲章を授与する式典が行われているらしい。
堀の向こうに華麗な騎馬姿の大統領の警護兵が見えて、車いすで軍服を来た姿の人がいきかっている

開館時間を十分以上過ぎて、別の入り口が開くということになって誘導され、やっと入場。

まずは、ナポレオンの墓を見学

そう、ここはなんといってもナポレオンが埋葬されている事で有名。フランスの軍関係では最上位に位置づけられる教会が併設されているのである。

イギリス軍によって大西洋のど真ん中セント・ヘレナ島に幽閉されたナポレオンは六年後の1821年に亡くなった。
遺体がフランスへ戻されたのは、王政復古時代ルイ・フィリップ王がイギリスと交渉して実現した。王が派遣してセント・ヘレナの墓が開かれるシーンが刻まれている


巨大な赤大理石の棺の周囲は

生前のナポレオンの功績が分野ごとに記されている。下は古代ローマのユスティニアヌス法典に代わり、ナポレオン法典を導入した事を示す↴


**併設する軍事博物館へ

ここは膨大なフランスの軍事史を展示している。三階ではド・ゴール将軍とイギリスのチャーチルの特別展をやっていた

フランス革命の発端となったバスチーユ監獄の模型

第一次大戦の戦車

夏休みに入りたくさん家族連れがきている。このナポレオン帽子がくばられているようだ


前庭の大砲のひとつに下関砲台で長州から奪ったものが展示されているとのお話しだったが、どうやら移動させられてしまったようだ。残念

***
地下鉄でサン・ミッシェルへ移動

お昼はカフェでファルシをさっと、いただきます

★クリュニー中世博物館は、ローマ遺跡の上に建てられた中世以来の修道院の建物を利用している。


ここで絶対の見ものは「一角獣と貴婦人」のタピスリー。
※これについては、別のところに書きます


大英博物館で見かけたのと同じテイストをもった昔のチェス駒


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近くの★パンテオンへ

つい先月、新たにパンテオンに埋葬された第二次大戦中のレジスタンス四人のポートレートが飾られている↴


左から二人目がジュヌヴィエーブ・ド・ゴールとあったので、しらべてみると、あのド・ゴール大統領の姪にあたる人だった。彼女はドイツ占領下のフランスでレジスタンスの情報員として活動し、捕えられて強制収容所送りとなったが、生還した。
先月の式典の様子をwebのニュースから引用します

かつて「フーコーの振り子」が実験され、最近も再現されていたクーポラを見上げると

壁にはシャヴァンヌが描いたフランス史のエピソード。これはルイ九世が母に教えられている場面。シャルトル大聖堂のステンドグラスにもソロモンとしてその金髪碧眼姿が描かれていたっけ
地下には我々日本人でも聞き覚えのある著名人の墓がたくさんある。

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午後四時前、ホテルへ戻る前に「パリははじめて」と申されるお二人を、ちょっとだけルーブルへご案内。
定番のヶ所と共に、小松がお見せしたい品もひとつ。
この魚のパテナは、古代キリスト教の祭事に使われたものとおもわれる緑色の皿に、中世の貴石をはめこんだ装飾がほどこされている。


夕食は徒歩すぐの海鮮老舗店にて
デザートのババにびっくり


明日は夜八時半の便で帰国の途へ

コメント
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