《手造の旅》クロアチアとアドリア海三日目 午後 トリュフの里でゆっくりしすぎて予定より一時間も遅い到着になった。お待たせしましたガイドさん ポレチュはこの海岸線にはよく見られる突き出した半島に出来た古代からの街である 半島の入口に築かれた城壁の城門塔のひとつがこの「五角の塔」ここから旧市街ははじまる。シーズンオフの夕暮れ間近、日曜日で地元の人も少ない ヴェネチア支配時代の邸宅
この町いちばんの見どころ★エウフラシウス聖堂は、路地をまがると突きあたりに見えた
門をくぐると、古代風にアトリウムそして内部へ入ると古代の香りのする空間がひろがった正面に6世紀と伝わる黄金のモザイク画が輝いているアドリア海を挟んでイタリア領ラヴェンナにあるたくさんのモザイクと同時期に製作されたもの。様式も非常に似ているので、同じ作者によるものとさえ思われる。
最初の聖堂はローマ皇帝ヴァレンス時代の四世紀とされる。殉教した最初のポレチュ司教マウルスの墓の上に建設された。正面左手から三人目に描かれた白衣で殉教の冠を持つ人物がそれ⇒聖堂の名前になっているエウフラシウスはその左に立つ。この教会をつくらせた主教である。さらにいちばん左の司教クラウディウスと共に、このモザイクを制作していた時目の前に本人がいた筈だ。他の聖人や天使やキリストと比べて実に生き生きと描写されているのはそのためだろう。少し色を強調させて見ると、さらにその違いがはっきり見えてくる。いちばん右の聖人マウルスののっぺり現実感のない顔に対して、左の二人は顔の色や頭髪の具合まで描き分けられている。
★よく注意してみると、二人の間に小さな子供が描かれているのが見える。これはエウフラシウスの息子で同じく司教に叙せられていたのが表記によってわかる。 このモザイク画全体の中に、もうひとり子供が描かれているのだが、それは、このマリアがいとことのエリザベツを訪問する場面うしろの白いカーテンを上げて「なぁにしてんのかな?この二人」と不思議そうな表情の召使の女の子。とりすました子供司教と対照的な表現になっているのが、モザイク製作者の力量を感じさせる↓
天蓋があってちょっと見づらい。天蓋モザイクは1277年のものだそうだが、柱は六世紀だという。いつからこのようなかたちになったのだろう アドリア海沿岸は時折大地震におそわれてきた。1440年には南の壁が壊れたので、新しくされている。そのため窓のかたちがゴシックになっている この柱の上にあるストゥッコ装飾も片側にはもう存在しない
床は4世紀のオリジナルか?ヴァレンス帝の顔が刻まれたコインが発見されたことが時代を特定する決めてだったそうだ。
日の暮れかかったアトリウムに出るこの中は洗礼堂になっている⇒洗礼してキリスト教徒になってからでないと聖堂内に入れなかったから外にあるのだ。 振り返るとファサードにもモザイク画があるが中途半端ガイドさんによるとこれは復元で、つくりはじめたもののあまり評判がよくなくて中断したままなのだそうだ。
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聖堂を出てポレチュの旧市街の道はもう暮れている 12世紀の「二人の聖人の家」⇒ 木製のバルコニーのある「ロマネスクハウス」→ 半島の一番奥にある民家はどれも歴史的な建物になっている
古代に三つあった神殿の廃墟がのこされていた半島の先端
今晩はここから一時間ほど走ったイストラ半島の南端、プーラの街に宿泊する。