滞在四日目の朝、ニコシアを離れる前に、週二回の朝市を訪れる。早朝のさわやかな青空の下、城壁のすぐそばに生鮮品の市場がひらいている
キプロス名産の「コロカシ」と呼ばれるおいしいじゃがいもが積み上げられている↴
市場の風景はどこも似ているが、モスクの尖塔がむこうに見えるのがニコシアらしい。きのうバスからこれが見えた時に「1570年にトルコ軍が最初にニコシアの城壁を突破した場所を記念してつくられたバイラクタルモスクです」と解説されていたっけ。 ギリシャ系・南ニコシアのど真ん中にあっても壊されずに手入れされている⇒
手づくりのオリーブソーセージはキプロスではよく赤ワインにつける⇒ 新鮮でおいしいイチジクはすぐに食べよう⇒
** ニコシアから西へ、トロードス山系へむかう。最高峰二千メートルほどの山脈。ここにビザンチン時代からトルコ支配時代をも生き延びて残る礼拝堂や修道院がいくつもあって、世界遺産にも指定されている。
最初はアシヌウ教会へこういう場所はいつでも「ネットのタイムテーブルで開いている時間に訪れる」というわけにはいかない。今日も手前五キロほどのところにある村にいる管理人さんを途中でのせて現地へ向かった。 11世紀末から12世紀はじめにかけてつくられたロマネスクのアプス(後陣) 何度も修復をしているが、オリジナルと思われる小さな窓かつてはここに薄いアラアバスター石がガラスのかわりに入っていたのかもしれない。 横から見ると、百年後に増設されたというナルテクス(前室)部分がよくわかる。屋根は16世紀以降に保護のために付け加えられた。簡素な外観だが中はいちめんのフレスコ画でおおわれているこのてのフレスコ画で描かれる主題はどこも似ているが、この教会の縁起を描いた部分がおもしろい。 創立者のニキフォロス・マギストロス・イスヒロス(イスキリオス)というビザンチン時代の高官が、聖母マリアと通じてキリストにこの教会を捧げている図である↴ この人物は1105年に娘のイエヒラを亡くした事をきっかけに修道士になりニコラスと名をかえた。それ以前に自分が創立に援助したこの修道院に移り住み、十年後に亡くなったのだそうだ。
ニキフォロスの後ろに立つ女性は娘のイエヒラか、妻と説明してあるものもあった。
ニキフォロスは12世紀の人だが、今見えているフレスコ画が描かれたのは14世紀。古いものとそっくりに描きなおしたと考えれている。しっくいの下には多分オリジナル12世紀はじめの絵が隠されているのではないだろうか。別の剥がれた壁の下から古いフレスコ画がのぞいている部分があったから。
今はこの礼拝堂がぽつんと残されているだけだが、かつてはまわりに修道院の建物があっただろうと想像される。
ビザンチン時代の高官が残したこういう教会は、イスタンブルに残るコーラ教会が思い出される⇒こちらに小松が書いたものがあります
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聖ニコラス教会
ここもまた後年にかけられた屋根が印象的なので、通称「スラーギ(屋根の)教会」と呼ばれている
屋根がかけられる以前の丸いドームが間から少しみえる オリジナルの窓の飾り石 内部にはアシヌウと同時期14世紀のフレスコ画があるが、やはり12世紀ごろのものに上塗りしていて、一部はとりのぞいて12世紀のものが見られる。
*****山並みを抜けて走っていく時、遠くに1974年の慰霊十字架がみえた
キッコス修道院
標高1300メートルに位置する。現在でもここには十数人だが修道士がおり、修道院として活動している。キプロスでも大きく権威ある修道院である。
★伝説:1092年、ビザンチンの高官マヌエル・ブトミティスが道に迷い、イザヤという修道士に道を尋ねた。 しかし無言の行を行っていた修道士はなにも答えない。怒ったマヌエルはイザヤをとらえるが、その後体調が悪くなってしまう。あげくに、イザヤに助けられてしまって改心。当時の皇帝アレクシウス・コムネノスのところへもつれてゆき、修道士イザヤは皇帝の娘の病も無事治癒させる。 お礼に何がよいかと問われ、十二使徒のひとりであるルカが描いた聖母子の絵を所望して、それをこのキッコス修道院にもたらした。
この話を描いた連作フレスコ画が回廊に描かれている。そのひとつが、これ⇒ 1365年、1541年、1751年、1813年と四回も大火にみまわれたが、聖ルカが描いたという聖母子の絵は、今も聖堂のイコノスタシスに飾られている。※常に布がかけられているので見る事は出来ない
他にも1997年に起きた南北の悲劇の際に涙を流したといわれる聖母子の絵がある(こちらは公開)。
同じ正教徒のロシア人もかならず訪れる場所ということで、お土産物もたくさん。タイムのはちみつは最高級、と言われて試してみると、たしかに美味しかったので購入⇒ バラの香りを上流濃縮したローズ・ウォーター⇒ 甘いコマンダリア・ワイン⇒ ポルトガルのポルトワインに似ている。「コマンダリア」とは、「コマンダー(司令官)」のワインという意味で、つまりはヨハネ騎士団の領有する土地でつくられたことからそう呼ばれる。
***つづいて、トロードスの山にあるホテルと村をいくつか訪問します