旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ドゥブロブニク到着

2015-11-04 20:54:56 | クロアチア
《手造の旅》クロアチアとアドリア海10日 六日目午後。スプリトでゆっくり昼食をとってから海岸線をドゥブロブニクへ向かうボスニア・ヘルツェゴビナから流れ出してくるネレトヴァ川の河口付近は肥沃な水郷となっていている
日本の温州ミカンとおなじものをうっている売店に止って一袋買ってくれたドライバーさん展望台でみんなでいただきます。すんごく甘い!三十個ほどあったのがあっというまになくなりました

★ボスニア領はネウムという町ですこしだけ海まで領土を張り出しているここはかつてのオスマントルコ領。ドゥブロブニク共和国が、ヴェネチアと国境を接するのを嫌い、オスマントルコに譲った土地なのである。お金も税金も違うので、ここだけ物価が安く、観光バスはみんなここにストップする。日本、韓国、台湾、多いんですね
午後六時ちかく暮れてゆくアドリア海 午後七時少し前にドゥブロブニクの城壁が見えてきた今回のホテルはピレ門すぐ外にあるヒルトン・インペリアル。ここにゆっくり三泊するのが今回《手造の旅》のひとつのめだま荷物をおいて、さっそく旧市街城壁内へ散歩に出かけた。

明日も晴れますように
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スプリト旧市街を歩く

2015-11-04 11:24:00 | クロアチア

スプリト旧市街ど真ん中のヴェステブロ・パレスホテル。朝、部屋のまどから男性合唱がきこえてきた。覗いてみると、ダルマツィア海岸でみられる合唱隊が、われわれのゲストのためにうたってくれていたのだった。ディオクレティアヌスの墓だった教会の塔がすぐそばに見える ガイドさんに導かれて城壁すぐそばのマーケットへ。近くから手作りのラヴェンダー製品をうっている ●この旧市街が3世紀末にディオクレティアヌスの宮殿だったころの正門がこれ。四つのニッシェ(壁の凹み部分)には、ローマ帝国を分割支配した四人の皇帝の像があったと推察されている。


この門の上部には5世紀に教会がつくられ、なんと今でもそれは使用し続けられているのだそうだ。これがその窓部分。ロマネスクの小さな窓がその時代らしい※正午ごろに行ってみたくて再訪したが閉まっていた


この門の前には9世紀の司教グルグール(グレゴール・ニンスキ)の像がある> ※この像についての話をこちらに書きました  この道はローマ時代にはメインストリートとして馬車が行きかうひろさがあり、一段高くなった歩道が両側にあった。銀行を覗くと、当時の歩道部分が一段高くなっているの見えた


キリスト教徒を迫害した●ディオクレティアヌスの墓は、皮肉にも後年キリスト教の聖人を祀った教会にされた。しかし、建物そのものの構造は再利用されている⇒ 近くにたくさんあったギリシャの神々の神殿はひとつだけが残っている添乗はオリジナルだろう下におかれた洗礼盤は後年に元の祭壇の石を使ってつくられた


ディオクレティアヌス帝の宮殿地下にはもともとこんな太い梁があった 全体でこのような四角く効率的な宮殿だった


●しばらく自由に散策してもらってからホテルへ戻り、バスでドライバーさんが選んでくれたレストランへ行く今日の午後はドゥブロブニクへ走るだけ。ゆっくり時間を気にせずたのしみました


 

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