旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

空路ジブラルタル到着・泊

2016-03-15 16:06:18 | イギリス

ヨーロッパ最南端にあるイギリス領ジブラルタル。ここへ空路で入るにはほぼイギリスから飛ぶしかない。一日四便しかない飛行機到着のうち三便までがイギリスから出ているから。※例外はモロッコのタンジールから一便。 

ロンドン・ヒースローからは12:40発の一日一便だけ 実質飛行時間は約二時間半。満席である。

フランスのブルターニュ半島を横切り、ビスケー湾上空を通り、北スペイン・バスク地方にさしかかると、雪山が見えてきた。

ジブラルタル空港へ降りる時、窓からTHE ROCKが見たいと思っていたのだが・・・小松が座った右側からでは見えなかった。

それでもしかし・・・機外に出て、おもわず「おお~!」と声をあげさせる、巨大な岩山THE ROCKである↓

 

ターミナルに入っても、とにかくTHE ROCKの存在感はすごい

入国はのんびりしているここからジブラルタルへ入ってくる日本人はほとんどいないのだろう、係官は小松に向かって「SEA MAN?(船乗りか?)」と訊いてきた。 いや、船乗りには見えないと思うんだけど・・・。

 

ターミナルの外へ出てミニバスに荷物を積む。そして、有名な滑走路の遮断機へ向かう。

ジブラルタル飛行場の滑走路は、スペイン側とTHE ROCKの間を分断するように敷かれている。なので、飛行機の離発着の際には遮断機が下りて、飛行機が横切るのである。このゲートがそこ⇒ 

 

いよいよTHE ROCKのふもとに出来たジブラルタルの街に入る 地中海と大西洋を区切るたった14㎞の海峡を見張る戦略拠点でありつづけているので、19世紀ごろまで普通一般人の住むの街ではなった。 現在みられる城壁のほとんどは1713年にイギリス領になってから建設されていったもの城壁の中には市民ではなく兵士が駐屯する特殊な街だったのである。イスラム支配時代からと思われる古い城塞も見える。 普通の街に変わってきたのは、平和が定着してきた20世紀に入ってからのことではないだろうか。

この観光用のロープウェイも1966年にスイスの技術によって建設されたもの明日も晴れていたら登ってみたいなぁ。

**城壁内のホテルにチェックインし、街歩きへでかける。南の門のすぐ外に★「トラファルガー墓地」があるこれは1805年にトラファルガー沖で行われたフランス・ナポレオンの艦隊をやぶった歴史的な海戦を指す。 ネルソン提督の乗った旗艦ヴィクトリー号でさえ57人が死亡した激戦で、多くは水葬された。埋葬されている遺体は実は二体だけだそうな。

トラファルガー海戦では、イギリス海軍の伝説の提督=ネルソンも狙撃されて亡くなった。彼の遺体は水葬されずコニャック入りの樽に詰められてジブラルタルへ寄港した。ここでブランデーで満たした特注の棺桶に入れ替えられ鉛で密閉し、故国イギリスへむかったのだった。片目片腕の提督の像がある⇒

 ネルソンの乗ったヴィクトリー号は自力で航行することが出来ないほど破損していてネプチューン号に曳航されていた。

★現役の戦艦ヴィクトリー号のあるポーツマス(イギリス)の写真日記⇒こちらからごらんください

****細長い旧市街を中心部へ歩いてゆく

●ザ・コンベントは、その名の通り元は1531に建設された修道院だった。現在は総督府となっている。

ここにはグレイ・レディと呼ばれる幽霊が出ると噂されている。 伝説⇒父の意に沿わぬ男と結婚しようとしたスペイン貴族の娘が、尼僧としてこの修道院に幽閉されていた。 ある夜、修道士に化けた男が彼女を連れ出し、港から船に乗ろうとしたが捕まってしまった。不始末を隠すために、彼女はこの館のどこかの部屋に生きたまま埋め込まれたという。

となりには16世紀からの礼拝堂がある⇒

★ジブラルタルの紋章は、スペイン・イベリア半島をあらわす赤い城の下に下げられた鍵⇒ジブラルタルは確かに鍵の様なかたちをしている。カギの様に重要な場所である。

★ジブラルタル議会議員は十七名。独自に立法することが出来る自治領。1960年代に各国の植民地が独立していったときにもイギリス領にとどまる理由のひとつになった。

★カソリック教会⇒イスラム時代にモスクのあった場所に建てられた教会。現在の建物は1811年のもの、塔は1820年に付設され、時計がとりつけられたのは1874年。さらにファサードも1931年の改修時に新しくされた。ひとつの教会が「いつ」出来たのか、簡単には言えない。

★聖三位一体教会(英国国教会)⇒1825年に建築がはじまったが、その年の台風で立ち上がった壁が倒れた。土台が軟弱なのが判明し補強、予定よりも厚い壁に変更、難工事となる。 1828年の黄熱病流行・工事の中断、1832年一応完成したが屋根の不具合が発覚、修理。同年、有名な総督ジョージ・ドンが最初の埋葬者となるも、まだ教会として聖別されてない。 正式に教会となったのは1838年である。外観がちょっとイスラム的なのはデザイン面だけ。

***まだまだ見どころはあるが、夕食にしましょうジブラルタル独自のお金であるジブラルタル・ポンドもはじめて手に入れた⇒※これについてはまた別に書きます。

明日も晴れますように!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウィンザー、朝の散歩

2016-03-15 09:08:12 | イギリス

 

ウィンザー城の「ロングウォーク」を歩いてみたいと、ずっと思っていた。

****

朝、七時に階下へ降りる朝食の場所はウィンザーのハイストリートに面しているこの時は少し曇っていたが、散歩にでる八時にはきれいに晴れてきた。

空港が近いので巨大な飛行機が数分おきに頭上を飛ぶ。この青いお腹の機体はBA英国航空 ハイストリートは、14世紀にはすでにあって、小さな村の古い建物がたくさん残されている。

印象的な傾いた家が目につく↓

●「マーケット・クロス・ハウス」

看板に1718と書かれているが、建てられたのは1592年だそうだ。※1634年と書いた地元ガイドさんもあり、このあたり仔細は不明。 もとはちゃんと建っていたのに1718年に改修をした時から傾き始めた。理由は建材に適さない生の樫の木を使って改築たため。 さらに●この家にはウィンザー城とつながった隠しトンネルがあるそうだ。17世紀「陽気な王様」として知られたチャールズ二世が、愛人のネル・グィインと会うのに使ったとか。オレンジの売り子だったネル・グィンは最初城下の一角に住まわされていたたくさんの愛人のひとりだったが、後には堂々と寵姫争いをした。

●青いポスト

イギリスのポストは赤いものと思っていたら、こんな青いポストにでくわした。よく見るとNOT IN USEいまは使われていない様子。調べてみると1930年から1938年の短い間だけ使われた「航空便」用のポストだった。 その後すぐに飛行郵便が普及したので、蒼いポストを置く意味がなくなったが、記念に残されて現在に至る。

左奥には古い井戸も見える。

●二人のビール業者の店

この家のいちばん古い記録は1709年で、第五代オーバン公の所有になるロンドンからの馬車が停車する場所だったそうだ。当時唯一ちゃんと宿泊できる宿をかねたパブだった。

今でも普通に営業している。届けられた食材が無防備に入口に配達されていた⇒

ここからすぐに●ロング・ウォークに入ることができる1670年に前出のチャールズ二世によってつくられた2.5マイルの長さの散歩道。適度な坂道になっている。振り返るとウィンザー城が映える

犬を散歩する人、ジョギングする人、行進する兵士。さまざまな人が交差する公園

それにしても、イギリスの犬たちは幸せだ。ちゃんと教育されているから出来るのだが、繋がれず楽しそうに走り回っている。

一時間の散歩を終え、ゆっくり準備をして朝十時に空港へ行くミニバスが迎えにきた

今日は、一日一便しかない12:40発のジブラルタル行き英国航空に乗る。日本からは同日に乗り継いでジブラルタルへ入ることが出来ないので、ウィンザーに一泊したのだが、充分にその価値があった。

ウィンザー、またゆっくり滞在したい(^・^)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする