旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

グラナダの旧市街泊、王室礼拝堂も訪れる

2016-03-17 18:08:01 | スペイン

朝、ロンダを出てお昼にはグラナダに入った。旧市街のホテルにチェックインしてから、午後三時にアルハンブラでガイドさんと待ち合わせて歩き出した  キリスト教時代になってからつくられたカルロス五世宮殿⇒ アラブ時代のオリジナルと思われる木製の装飾⇒  ライオンの中庭⇒ アルハンブラの後背地のサクロモンテの丘はヨーロッパ屈指の古い街なのだそうだ⇒  アルハンブラの庭は20世紀になってから今見るような形に整備された植えられている植物も現代のアイデアだが、当然歴史考証はしているだろう。こんな食べられそうなモノも植えていたのかも⇒ ★アルハンブラの観光に関しては⇒過去の写真日記もごらんください

グラナダは背後にシェラ・ネヴァダ山脈がある。最高峰のムラセンは三千四百メートルを超える⇒市内から春スキーのゲレンデまで三十分である。  桜に似たこの花はアーモンド⇒

****グラナダ旧市街へ降りる。王室礼拝堂を見ていただきたかったので、旧市街ど真ん中のホテルを選んだ***

 復活祭が近いのでお菓子屋さんにはこんなモノも⇒ セマナ・サンタ=聖週間の行列で見かける伝統の衣装。「善行を行う時には顔を見せては価値がない」という考え方でこのようなスタイルが考案された。けっしてアメリカ南部発生ではありません。

夕方になりきれいに晴れている、市庁舎前⇒ コロンブスがイサベラ女王に航海のプランを説明している図⇒

★王室礼拝堂入口に到着グラナダの大聖堂は市内をバスで走っている時にその場所を知る事が難しい。王室礼拝堂があるのも分かりにくい。内部は写真禁止だが、イサベラとフェルナンド=カトリック両王の墓、それに夫妻の次女フアナ夫妻の墓、それに長女イサベルの息子(カトリック両王の孫)であるミゲル(二歳で死去)の墓もある。この場所はスペインの歴史の軸になる話がぎゅっと詰まっている。

アラブ時代からの雰囲気を感じさせる細い商店街もある とつぜん大聖堂横の広場に出る

***ホテルに戻り、すぐ近くの店で夕食にした キノコ⇒ ムール貝⇒ タコ⇒このあたりは定番。 びっくりしたのは、茄子の素揚げを黒蜜で味付けしたもの。サクッと軽く揚がっていて甘いけれど他では食べた事がないひと品だった⇒

最後にお店が勧めてくれて試した「TATAKI」は、日本では食べられないタタキだった⇒ 

 

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ロンダのパラドールに泊まる

2016-03-17 02:56:40 | スペイン

ジブラルタルを出て、午後三時前に内陸のロンダに到着した。今回は念願のパラドールに宿泊。チェックインして、ガイドさんと共にあるきはじめた。まずは、いちばん印象的な「新橋」(1751年完成)を、午後の光でいちばんきれいに見える場所へ案内していただいた。

市街にいては分からないのがこの高さ・この地形のロンダであります

今回は通常のツアーでは、通常の観光では時間が足らなくて訪れない旧市街と、そこにあるアラブ時代の井戸へ下りる体験もしていただいた。

 旧市街の中心、マヨール広場に面したマヨール教会。バルコニーは広場で行われた闘牛などの行事を見るために付け加えられたもの

セビリアに今でも住む貴族が所有する16世紀からの邸宅。新大陸アメリカの先住民族らしき人物像で飾られている

元はモスクのミナレットだった塔⇒ 後に教会の鐘楼になるがその教会もなくなってしまい。、今は頭だけがぽつんと残されている。均整のとれた、古くならない装飾がされている。

★「王の家」の庭から川面までぐるぐると降りる井戸階段がはじまる⇒

ここについては⇒以前の写真日記をごらんください 意外なほど美しい水面まを全員ごらんいただいて、今度は「アラブ橋」「ローマ橋」を目指す。

フェリペ五世王が建設した門※「新橋」が一度建設されたものの崩落して、再びこの古い坂道がロンダへの入口になったので、ここに門を設置したと思われる

下に見えるのが「ローマ橋」

写真右上にかまぼこ型をした屋根が見えるだろうか。これはアラブ時代の浴場で、イベリア半島に残るもっともよく保存されたものと言われる。・・・というのは、19世紀ここに庭園をつくろうとした貴族が土の中に埋もれていたのを発見したから。川沿いにあったので埋もれていたのですね。

近くに水道橋の様な構造物が見えたのでガイドさんに確かめる⇒「あ、あれはアラブ時代の浴場に水を供給する為のもので、ロバがぐるぐるまわって川の水をくみ上げていたのよ」とのこと。なぁるほどね。

こちらは●アラブ橋⇒この橋ができたおかげで旧市街を隔てた地域も発展した。13,4世紀のものだろうか。冒頭の「新橋」がなぜその名前で呼ばれるかがこれらを見ると理解できる。

***

新市街側にある闘牛場を訪れる。ここも18世紀終わりごろに完成し、使い続けられている。

今は入場料七ユーロ。高くなったが、見学できる場所も増えた。牛が入れられる場所⇒ 馬が大事にされている場所⇒ など、舞台裏がよく分かるようになった。

****パラドールへ戻り、夕食

*****翌朝は8時から朝食。この時期七時半ごろにようやく散歩できる明るさになる

すぐ近くの公園には、現代の闘牛スタイルをつくりあげたとされるペドロ・ロメロはじめ伝説の闘牛士たちの記念碑がはめこまれている 朝陽をあびるパラドール 「新橋」もきのうとは逆側が朝陽をあびている

今日はお昼ごろにはグラナダへ到着予定。宿泊もグラナダなので、アルハンブラだけでなく旧市街も見学できる予定。

 

 

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