2014年3月のフランス、ルーブル美術館で出会っていた「マグダラのマリア」

※その日のルーブル見学記ブログはこちらからごらんいただけます

※ルーブル美術館の公式サイトからこの作品の公式写真がたくさん見られます
等身大より大きなこの木彫の作者
★グレゴール・エアハルトGregor Erhart (1470ごろウルム生まれ~1540アウグスブルグで死去)
彼が、2018年1月にウィーン美術史美術館で出会った下の木彫作品をつくった人の息子だったことを知った。

「美のうつろい」をテーマに、若年・中年・老年の姿を一本の木から丸彫りしてある
※ウィーン美術史美術館の公式サイトの写真をご覧いただけます
★ミカエル・エアハルトMichel Erhart (1440から1445頃ウルム生まれ ~1522以降にウルムで死去)
父と息子の作品。
そう思ってみるからだろうか、「なるほど血はあらそえない」とおもわされる。
父のミカエルは二十代の初頭にヨーロッパ遍歴修行に出てウルムに戻りJörg Syrlin the Elderの元で本格的に仕事をはじめた。
そのころ結婚し、長男グレゴールが生まれた。ほどなく独立した工房をかまえ、息子たちはそこで木彫の基礎をまなぶ。
息子グレゴールの細かい経歴は不明だが、1496年にアウグスブルグで独立工房をかまえるマイスターになっている。
同時代に同じバイエルン地方で活躍ていた同世代の彫刻家にティルマン・リーメンシュナイダーがいる。
父ミカエル・エアハルトより二十歳ほど年下。息子グレゴール・エアハルトより十歳ほどわかい。
お互いに名前は知っていただろう。作品も見て敬意をもっていただろう。
直接に会う機会は、あったのかしらん。
こういう市井の職人たちの記録というのは、なかなかないのです。

※その日のルーブル見学記ブログはこちらからごらんいただけます

※ルーブル美術館の公式サイトからこの作品の公式写真がたくさん見られます
等身大より大きなこの木彫の作者
★グレゴール・エアハルトGregor Erhart (1470ごろウルム生まれ~1540アウグスブルグで死去)
彼が、2018年1月にウィーン美術史美術館で出会った下の木彫作品をつくった人の息子だったことを知った。

「美のうつろい」をテーマに、若年・中年・老年の姿を一本の木から丸彫りしてある
※ウィーン美術史美術館の公式サイトの写真をご覧いただけます
★ミカエル・エアハルトMichel Erhart (1440から1445頃ウルム生まれ ~1522以降にウルムで死去)
父と息子の作品。
そう思ってみるからだろうか、「なるほど血はあらそえない」とおもわされる。
父のミカエルは二十代の初頭にヨーロッパ遍歴修行に出てウルムに戻りJörg Syrlin the Elderの元で本格的に仕事をはじめた。
そのころ結婚し、長男グレゴールが生まれた。ほどなく独立した工房をかまえ、息子たちはそこで木彫の基礎をまなぶ。
息子グレゴールの細かい経歴は不明だが、1496年にアウグスブルグで独立工房をかまえるマイスターになっている。
同時代に同じバイエルン地方で活躍ていた同世代の彫刻家にティルマン・リーメンシュナイダーがいる。
父ミカエル・エアハルトより二十歳ほど年下。息子グレゴール・エアハルトより十歳ほどわかい。
お互いに名前は知っていただろう。作品も見て敬意をもっていただろう。
直接に会う機会は、あったのかしらん。
こういう市井の職人たちの記録というのは、なかなかないのです。