NPO法人JAFS(ジャフス)アジア協会アジア友の会主催の「神戸歴史ウォーク」に参加
1939年、杉原千畝が発給した「命のヴィザ」を持ったユダヤ人たちは1940年から41年にかけて神戸に身を寄せていた。当時日本ではユダヤ教徒のコミュニティとシナゴーグ(ユダヤ教徒の礼拝所)は神戸にしかなかったから。その数約四千五百人。近在の日本人はユダヤ人たちを宿泊させた。
↑この石垣はユダヤ人コミュニティがあった当時のまま↑むこう側の建物は電子専門学校が建っている。
↓下の地図はこの日ガイドしてくださった巽正憲さんによる↓
※リトアニアのカウナスを訪れた時のブログはこちらから
リトアニアのカウナスで得たヴィザは長い旅のはじまり↑シベリア鉄道が満州国の国境を通過できたのは
樋口季一郎(陸軍)の尽力。 ナホトカでは根井(ねい)三郎(日本領事代理)が許可しなければ日本行きの船には乗船できなかっただろう。 ※根井三郎についての西日本新聞の記事にリンクします 杉原千畝だけではない、多くの日本人の個々の善意によって神戸までたどり着いていたのか。
↑ユダヤ人避難民にリンゴを配る神戸のキリスト教関係者たち
宗教の分け隔てなく神戸の人々は彼らを助けた。
↑それを記憶する説明版が2020年にやっと設置された↑
神戸には明治以来多様な外国人を受け入れてきた土壌がある。
★バプティスト派(英国国教会から分かれたプロテスタントの一派)
"★ロシア正教会>
↑現在の★ユダヤ教のシナゴーグ(礼拝所)1971年からこちらに移ったのだそうだ。
↑こちらはインドセンター 1912年から続く同国人会。キッチンやバーも備えていて水曜日だけ本格インドカレーをだしているのだそうな。
★ジャイナ教寺院 1985年完成
ブッダと同じ紀元前六世紀ごろにインドではじまった。
殺生を絶対的に嫌うので農業さえもできず、主に商業で生計をたてている人が多い。
神戸では特に真珠をあつかうジャイナ教徒が多いのだそうだ。
見事な孔雀模様の装飾扉。日曜日の午後にだけ開く。
最後に訪れた立派な★イスラム教モスク
なんと昭和十年1935年に建設された当時のままなのだそうだ。
濃い黄色のでこぼこした厚い窓ガラス↑戦争にも阪神淡路大震災にも割れなかったとは。
※神戸大空襲の焼け跡にのこされたこのモスクの写真を神戸新聞のページからごらんいただけます
明治の開港以来、神戸は多様な国の多様な宗教の人々を受け入れて発展してきた。
多様な人々の多様な宗教が、神戸の人々の寛容さを育てたのだろう。
それにしても、
爆弾はなぜこの目立つ建物に当たらなかったのかしらん?
目立つから、当たらなかったのかしらん?