2011年5月《手造の旅》イングランドより
コンスタブルの絵で有名な大聖堂がみえてきた
123mの尖塔は完成した14世紀から現代まで英国一の高さ。
大聖堂の壁に埋め込まれたま新しい黒人の像は誰なのか?
2011年に訪れた時ブログにこう書いていた↓
「ローカルガイドさんにいろいろな話を聞きながら歩く。建物の壁にあるたくさんの彫刻に、いくつか明らかに真新しいものがあり、今も存命中のアフリカの司教の像だときいてびっくりした。※もう少し調べてみたいです」
そのまま十年間、忘れていた宿題を調べた。
Ezra Baya Lawiri(1917-1991)
あ、ガイドさんは存命だと言っていたが、十年前にはすでに亡くなっていた。
スーダン人の司教で聖書をはじめてモル語に翻訳した人物。
スーダン中南部の出身で1959年に渡英してロンドンの神学校で数年学んだ。
スーダン南部独立を目指す内戦がはじまり、ウガンダに逃れた時から聖書を彼らの言葉=モル語への翻訳をはじめた。
ドイツでは16世紀にルターが聖書をドイツ語に翻訳したが、同じことが現代のアフリカで今なお進行中ということか。
1973年に帰国するが、1989年にクーデターでイスラム原理主義政権が成立。キリスト教者がふたたび脱出するなか、南スーダンに留まる。1991年に殺された。
※スーダン内戦は1950年からはじまり断続的に繰り返されている。2012年から2013年には日本の自衛隊も派遣された。
2020年に和平合意が成立。
ソールズベリー大聖堂のこの像は2008年に設置された。並んでいる百七十を超える人物と同じようにキリスト教にとって歴史的な役割を果たした人物だと認められた、ということなのだろう。
**
大聖堂内部にある聖オズムンドの棺↑
1066年ヘイスティングの戦いで勝利したウィリアム征服王の甥とされる人物。今はソールズベリー郊外となった丘の上にあったオールド・セーラム大聖堂を建設したとされる人物。1220年から現在の大聖堂が建設されはじめ、彼の墓も移された↑
この教会は地区の住民の手によって生き生き運営されている。
訪れた日も近くの学校の吹奏楽部が演奏していた。
↑エドワード・シーモアの墓1675年建造~有名なヘンリー八世王の三番目の妻=ジェーン・シーモアの甥。また、1553年に9日間だけの女王として担ぎ上げられ・処刑されたジェーン・グレイの姉妹を妻としていた。
この回廊の一角に、有名な「マグナ・カルタ」が納められた部屋があった。
2011年に訪れたが、写真撮影がかなり制限されていた記憶がある。
その時のブログに↓こう書いていた↓
「この聖堂は修道院としては使われなかったけれど四角い回廊が敷設されており、そこに隣接するチャプター・ハウスと呼ばれる司教たちの会議室にあの「マグナ・カルタ」のオリジナルが保管・公開されている。現在オリジナルは四部しか現存しておらず、その中の最も保存状態の良い物がここにある。
ロマネスクの柱頭彫刻がかこむその部屋の一角に暗くした展示スペースがあり、小さな端正な文字で埋められた「マグナ・カルタ」があった。皮の上に書かれているのだが、羊ではなく牛なのだそうだ。」
今ならもっとちゃんと理解できる事々がたくさん見つかる。
ふたたび訪れる機会、やってくるのかしらん…。
コンスタブルの絵で有名な大聖堂がみえてきた
123mの尖塔は完成した14世紀から現代まで英国一の高さ。
大聖堂の壁に埋め込まれたま新しい黒人の像は誰なのか?
2011年に訪れた時ブログにこう書いていた↓
「ローカルガイドさんにいろいろな話を聞きながら歩く。建物の壁にあるたくさんの彫刻に、いくつか明らかに真新しいものがあり、今も存命中のアフリカの司教の像だときいてびっくりした。※もう少し調べてみたいです」
そのまま十年間、忘れていた宿題を調べた。
Ezra Baya Lawiri(1917-1991)
あ、ガイドさんは存命だと言っていたが、十年前にはすでに亡くなっていた。
スーダン人の司教で聖書をはじめてモル語に翻訳した人物。
スーダン中南部の出身で1959年に渡英してロンドンの神学校で数年学んだ。
スーダン南部独立を目指す内戦がはじまり、ウガンダに逃れた時から聖書を彼らの言葉=モル語への翻訳をはじめた。
ドイツでは16世紀にルターが聖書をドイツ語に翻訳したが、同じことが現代のアフリカで今なお進行中ということか。
1973年に帰国するが、1989年にクーデターでイスラム原理主義政権が成立。キリスト教者がふたたび脱出するなか、南スーダンに留まる。1991年に殺された。
※スーダン内戦は1950年からはじまり断続的に繰り返されている。2012年から2013年には日本の自衛隊も派遣された。
2020年に和平合意が成立。
ソールズベリー大聖堂のこの像は2008年に設置された。並んでいる百七十を超える人物と同じようにキリスト教にとって歴史的な役割を果たした人物だと認められた、ということなのだろう。
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大聖堂内部にある聖オズムンドの棺↑
1066年ヘイスティングの戦いで勝利したウィリアム征服王の甥とされる人物。今はソールズベリー郊外となった丘の上にあったオールド・セーラム大聖堂を建設したとされる人物。1220年から現在の大聖堂が建設されはじめ、彼の墓も移された↑
この教会は地区の住民の手によって生き生き運営されている。
訪れた日も近くの学校の吹奏楽部が演奏していた。
↑エドワード・シーモアの墓1675年建造~有名なヘンリー八世王の三番目の妻=ジェーン・シーモアの甥。また、1553年に9日間だけの女王として担ぎ上げられ・処刑されたジェーン・グレイの姉妹を妻としていた。
この回廊の一角に、有名な「マグナ・カルタ」が納められた部屋があった。
2011年に訪れたが、写真撮影がかなり制限されていた記憶がある。
その時のブログに↓こう書いていた↓
「この聖堂は修道院としては使われなかったけれど四角い回廊が敷設されており、そこに隣接するチャプター・ハウスと呼ばれる司教たちの会議室にあの「マグナ・カルタ」のオリジナルが保管・公開されている。現在オリジナルは四部しか現存しておらず、その中の最も保存状態の良い物がここにある。
ロマネスクの柱頭彫刻がかこむその部屋の一角に暗くした展示スペースがあり、小さな端正な文字で埋められた「マグナ・カルタ」があった。皮の上に書かれているのだが、羊ではなく牛なのだそうだ。」
今ならもっとちゃんと理解できる事々がたくさん見つかる。
ふたたび訪れる機会、やってくるのかしらん…。