旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ウッツォンのオペラハウス外観

2021-08-26 18:32:55 | オーストラリア
2002,2003,2006オーストラリアの旅より
ひと目でそこがシドニーだと理解させてくれる、これ以上の建物はない。

2006年9月早春。湾内クルーズの船から、刻々移り変わる夕刻の光に照らされるオペラハウスを見ていた。

船の帆をあらわしているともいわれるが…

建築家本人が言う「貝殻型」がしっくりくる。
1957年に奇抜なアイデアとデッサンだけでコンペを勝ち抜いたものの、建築するための方法論に達したのは三年後だった。真偽はわからないが「最初のひらめきはみかんを剥いた皮がテーブルの上に重なっていたのを見た時だったのです」と説明してくれたガイドさんもあったぐらい。ピンっときたイメージはあっても実現させる具体策は後付だったのですね。

デンマーク人建築家ヨーン・ウッツォンは
「幾何学的思考に三年費やした結果、貝殻型を実現する方法としてスフェリカル・ソリューションspherical solution(=球形的解決策)に至った」と、1961年に語っている。

直径七十五メートルの球体を基本とし、それを解体した十七のアーチを重ね合わせている。

建築はスタートしたがコストは積み上がり、予定額をあっという間に超えていった。
1966年にオーストラリアに政権交代があり、前政権の容認した計画が予算からストップ・変更が決められた。
デンマークの建築家は自分の設計どうりに建築されないことを容認できず、帰国!

二つの建物の外観はそのままだが、内部四つの劇場は後任の建築家によってウッツォンの原案とはぜんぜん違うものになっている。

外観はしかしウッツオンのこだわりが生きている。
スウェーデン製のタイルはよく見ると二色↓

↑合計百五万枚以上はめこまれているのだ。

完成したのは1973年10月20日、エリザベス二世女王ご臨席のもとオープン。
小松が2002年に訪れた11月の春はジャカランダの花が盛りだった。

1973年に訪れたエリザベス二世女王も、南米から持ち込まれたこんな花を見ていたかしらん。

四十歳そこそこでこの設計をしたヨーン・ウッツォンはしかし、自分の代表作となったオペラハウスが完成した姿を見ていない。
シドニー市も建築家となんとか和解しようと、2002年に内部改装の一部屋をウッツォンに依頼した。

依頼は受け入れられ、三十五年を経て両者は和解。
2004年にはじめてオペラハウスの内部にウッツォン設計の部屋が出現した。

シドニー市はそのオープンにウッツォンを招待したのだが…

高齢のために(八十五歳だけど)辞退されてしまった。

部屋にはウッツォンが2004年に受賞したプリツカー賞(建築界最高の名誉)のメダルをさげてにこやかにほほ笑む写真が掲げてある↑背景のデッサンは三十九歳の時にひらめいたオペラハウスのデッサンだ↑

ヨーン・ウッツォンは2008年九十歳で故郷デンマークで死去。
完成した自身の代表作を一度も見ることはなかった。
※デンマークの首都コペンハーゲンにウッツォンが設計したオペラハウスがある

1932年建築のハーバーブリッジとぴったりの風景。2007年に世界遺産に認定されたのも納得。





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