旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

世界はグリニッジ天文台で東西に分けられた

2021-08-06 10:43:11 | イギリス
2011年5月イギリスの旅より
1833年以来、「タイム・ボール」と呼ばれる赤い玉が「フラムスティード・ハウス」の屋根に設置されていて、毎日午後一時に落ちる↓テムズ川に停泊している船はそれを見て、搭載するクロノ・メーター(今では「時計」と呼ばれる)を合わせたのだった。

※2011年5月に書いたブログはこちらからごらんください
北極星をつかった南北緯度の計測は古代から行われていた。緯度は自然科学の問題だから誰がどこで行っても似た結果が出る。
一方、緯度と違い経度は人間が決めること。東西経度を正確に測る方法は19世紀に世界の海を支配した大英帝国においてもなお課題だったのである。
いったいどこを世界東西の基準と考えればよいのか?

↑王立協会の天文学者ジョン・フラムスティードJohn Flamsteed, (1646-1719)がここグリニッジに住み・観測し・亡くなったのは、日本なら元禄の徳川綱吉の時代。その場所が世界の東西位置の基準=本初子午線と認められたのは1884年のこと。

ニュートン(1643-1727)は自分の仮説を証明するのにフラムスティードの観測データを使おうとしたが、提供されたデーターは予想と違った。ニュートンはフラムスティードが間違っているかわざと間違ったデーターをよこしたのだと疑ったが、今ではニュートン発見できなかった法則によってフラムスティードの観測の方が正しかったことが判明している。

ハレー彗星を発見したエドモンド・ハレー(1656-1742)からも観測データーの公表を求められたが「まだ未完成」として応じなかった。1712年ハレーはしびれをきらしてフラムスティードの古い観測データを無断出版して訴訟となる。勝利したフラムスティードは無断刊行四百部のうち三百部を回収して焼却してしまった。あくまで実直な科学者であろうとしたフラムスティードの残したデータは現代でも基準になっている。各国の天文台は自分たちの観測データをフラムスティードのものと比較してその経度を割り出すことができるのだ。

フラムスティードはここグリニッジで1719年に亡くなる。
後任・第二代観測所長に就任したのは、かつてフラムスティードのデーター無断出版したハレーだった。

↑「世界の本初子午線」で、世界は東西に分けられた。

↑天文台入口には1852年世界ではじめての電動二十四時間公共時計が設置されている↑正午Ⅻは真下を指す
当時のヤードやインチなどの長さ基準器も下に設置されている。


テムズ川を見下ろす丘の上、グリニッジは今ではロンドンの中に飲みこまれてるほど近い。

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冒頭の「タイム・ボール」はスコットランドのエディンバラでも見た記憶がよみがえった↓

カールトンヒルに登ると、市外からは見えない港が見える↓

↑この港に停泊していた船に見せるために設置されていたのか。
調べてみるとこれと同タイプの「タイム・ボール」はインドのムンバイや大西洋の孤島=セント・ヘレナ島(ナポレオンが亡くなった島)にもあったと知った。訪れる機会があるかしらん。


コメント
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