旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

シドニーの始まりと今

2021-08-28 11:27:47 | オーストラリア
2002,2003オーストラリアの旅より

今はビルの林立するシドニー入江だが、18世紀には流刑地としてはじまった。
1783年にアメリカ植民地の独立が決まり、イギリスはオーストラリアの開発に力をいれると決める。
1788年1月、フィリップ船長に率いられた船団はシドニーに入植を決めた。上陸した千五百人のうち七百八十人が囚人だった。
死刑の代わりに七年の労役として送られてきた男たち↓

その記憶を留めるモニュメントが↑港に立っている↑シルエットだけではわからないがひと目で囚人とわかるスタイル。

砂岩を切り出すためのつるはしを持っている↑丈夫ではあるが着心地の悪い黄色と黒の囚人服が博物館に展示されている。

マッコリ―提督の妻がホームシックになって毎日岬で海をながめているので、囚人に砂岩を削らせてつくった椅子↑いまや観光客の定番訪問地となっている。

複雑に入り組んだシドニー湾の要所要所には敵に備えた砦が築かれた



初期には欧米の植民地競争のためであり、第二次大戦においては日本軍への備え。
実際1942年には日本の潜水艇が攻撃してきた※朝日新聞の記事にリンクします

砂岩を切り出してつくったロックスという地区には19世紀前半の街並みがのこされている。


↑「ワーテルローの英雄」ホテルは1843年創業。船長の泊る宿だったそうだ。

中は今もイギリス風のパブ。でも、19世紀にはアブナイ場所でもあった…

19世紀は船の時代。船員は常に不足していたので寄港地のパブでリクルートの声をかけ…
相手が飲んだくれて眠ってしまうと同意していなくても船にほうりこんで出航していたのだそうだ。
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現在のシドニー湾。

南には庶民的なボンダイ・ビーチ↑

北にはおしゃれなマンリービーチ。


マンリー近くでランチしにいったことがあったっけ。
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シドニータワーは高さ約三百メートル。

夜景も美しい






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