旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

18世紀のバース、古代ローマのバース

2021-08-03 15:23:34 | イギリス
2008年イギリスの旅より
パリの街並みはバースをモデルにしたとされている。
計画都市バースの中でももっとも印象的な「ロイヤル・クレセント」↓

↑弓なり=三日月(クレセント)型のアパートは1767年から1775年に建設された。日本なら江戸、田沼意次の時代。

地震のない英国。この時期はまだ基礎なしで建設されたので短期間で完成した。
三十戸の住宅が地下一階から地上三階まで縦割りで入っている。
常時住むというよりも、
貴族や金持ちがバースという歓楽都市にやってきた時のいわば別荘として使っていた人が多かったそうな。

産業革命がすすみ煤煙で真っ黒のロンドンやバーミンガムなどから逃れたい当時の「ニューリッチ」もやってきた。

街を流れるエイヴォン川にかかる「パルトニー橋」も1774年に建設された↓

およそ百年後に大改造されたパリが、このバースをモデルにしていた空気感じられます(^^)↓

社交の中心になっていたのは「パンプ(=ポンプ)・ルーム」↓

何がポンプから出ているのかというと、温泉!今も試飲させてくれるのです↓

社交場の服装やマナーを決めて仕切っていた↑リチャード〝ボーBeau(=フランス語で「伊達男」の意)”ナッシュの石像(二つ前の写真で壁に埋め込まれている全身像)が今も部屋を見張っている(^^)
↑だるだる二重三重顎の肖像画も

これらの街が建設された当時のイギリス王はハノーヴァー王朝のジョージ一世・二世・三世。同時代に生きた作曲家ヘンデルは人生の後半をイギリス皇室に庇護されていた。彼はこのバースに来ているのかしらん?
2012年にガイドしてもらったキャロラインさんとそんな話をしたことを↓当時のブログに書いていた
※元のページこちら
「褒められたらがっかりしよう」そのまま↓載せておきます↓
写真はバースの街を案内してもらったガイド、キャロラインさん。いかにもイギリス人的な雰囲気の物腰やわらなか彼女の印象が、今回のみなさんにはバースの街の印象とイコールになる。ガイドする人それぞれの持つ雰囲気はとても重要。(我々もそう言える、自戒)。
時間も足りない滞在だけれど、それでも通りいっぺんのガイドブックに載っているような話ではないものを話してほしくて、いろいな質問をしてみる。
「ヘンデルはバースに来たのでしょうか?」
「そうねぇ、ヘンデルは近くの街に四回ほど来た記録があるようよ。バースは大建設中だったけれど、きっと王様に拝謁にきたでしょうね。」
こういう言い方は優れた回答である。つまり、バースに来たという記録はないという事実ははっきり告げたうえで、隣町に四回滞在したという事実から自分の推察を付け加える。聴き手に誤解をあたえない言い方だ。
いろいろコミイッタ話を英語で質問するのに、小松もつまりながら単語をさがしながら、表現を考えながら話す。それを辛抱強く待って、彼女は回答してくれていた。
昼食レストランまで送ってくれて、別れ際に彼女が言った。
「いろいろお話できて楽しかったわ。また、お会いしましょう。それと、あなたの英語は上手でしたよ。」
こう褒められたら、がっかりしなければならない。
だってそうでしょう?本当に日本語がうまい外国人にあったら、その人に「日本語お上手ですね」なんて、言う気にもならない。
語学を褒められたら、それはつまり、たいして上手くないと証明されたという事になるのです。


ヘンデルのコンピレーションCDを買った旅だった

イギリスゆかりの音楽として小松が選ぶものに、ヘンデルの「水上の音楽」がある。
今回やはり持ってくるのを忘れてバースの街のHMVで買った。四枚組の二枚目がほとんどまるごと「水上の音楽」である。※写真参照
他の三枚についてはなにが入っているのか確認しなかったが、帰国してからゆっくりかけてみると、おお!知っている曲がぽつりぽつりとあるのです。
特に、一枚目にはOmbra Mai Fuオンブラマイフ。ずいぶん昔にCMでキャスリーン・バトルが歌っていたのを聴いて耳に刻みつけられていた。
オペラ的歌唱をほんとうに素晴らしいと感じたはじめての事だった。そうかこれも、ヘンデルの作曲だったのか。
※以前からの教会トラディショナルのメロディと詩だという話もある。
その次の曲、See The Conqu'ring Hero Comesも、題名は知らなくても聞けば誰でも知っているメロディだ。
そう、運動会の表彰式あたりで表彰状授与の時にかけられる定番曲。そうか、これもまたヘンデルの作曲だったのか。


**
18世紀のバースに人々が集まる基礎は古代ローマ時代にBATH=浴場が建設されていたから。

↑19世紀に元のかたちとはだいぶちがって再建された施設だが、すばらしい博物館になっている。

プールを囲む雰囲気のある建物は完全に19世紀の創作なのがわかる↑それでも良いのです(^^)
入場のためのトークン↑

古代ローマのバースは↑こんな城壁のある軍団都市だった↑

中心にあったのは「アクア・スリス」という女神にささげられた神殿でそこがイコール温泉場の中心↑発見されたブロンズの女神像が展示してある↑この博物館は展示物も解説も超一級で何度訪れても新しい発見がある。

↑もっとも印象的だったのはこの「カメオ」↑当時のブログからそのまま転記します↓
今回もいくつも面白いものに出会えたが、この美しい石もそのひとつ。多くの発掘品と同様にこれらも十九世紀の下水工事の際に発見された。キリスト教以前、バースの湯には「アクア・スリス」と呼ばれる女神が住んでいると信じられていたので、その神に奉納する目的で湯の中に投じられたのかもしれない。
もうひとつの説は、単に古代の入浴客が入浴中に紛失したものだというもの。
十九世紀では発見当時の状況をしっかり記録などしていないから、まったく意味の違う推察も成り立ってしまうのだろう。
いずれにしても美しい細工の石で、古代ローマのバースの様子がこの石から垣間見えるようだ。


中世のバースに建設された大聖堂もあるのだが↓

いつも古代と近代にばかり目がいって、ちゃんと見る時間がとれていません。
いつかちゃんとした解説付きで見学できるチャンスが…やってくるかしらん。


コメント
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