旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ガンダン寺~年に一度だけ開くもうひとつの目

2023-09-07 11:37:46 | モンゴル
白毫にもうひとつの目がある。
それは一年に一度、元旦にだけ開かれる。
晩年視覚を失ったボグド・ハーン8世によって鋳造された、屋内にあるものとしては世界最大の仏像。

高さは26.5mもある↑※左下の人物と比べてください



「ガンダン寺は1778年にこの地に創立した」とガイドさんに説明された。
※創建年は英語Wikiでは1809年、日本語Wikiでは1727年となっている。
寺で配られる英語ガイド2008年版には、「もとはウランバートルの中心にあったものが、1838年に現在の地に第五代ボグド・ジェプツェンダンパが移動させて創立した」と書かれていた。
今年2023年に渡されたものでは、1656年に第一代ボグド・ジェプツェンダンパであるゲゲーン・ザナバザルによってKhentii Mountains(日本語表記「ヘンティ山脈」)に創立されたとある。

いろいろ読んでみると、19世紀までは住宅も寺院も移動式だった。
1600年代前半にボグド・ジェプツェンダンパ一世=ゲゲーン・ザナバザルがモンゴルの首都イル・フレーを創立したが、それも移動していた。
イル・フレーが現在の場所から動かなくなったのが18世紀後半から19世紀はじめ。
社会主義時代にウランバートル(「赤い英雄」の意)と名付けられた。
**

ガンダン寺の近くには「ゲル地区」がある。
ぱっと見て貧しい地区なのがわかる。
昔ながらの移動式住居=ゲルに住み続けることを守るエリアなのだが、
それはつまり、現代のモンゴルについていけないことを意味してしまう。
今はゲルではなくバラックの家の方が多い。

トタン塀で区切られた土地にゲルの屋根が見える↑
かつては領主も皇帝も移動式住居で暮らしていたモンゴル人だが、
1990年の民主化後ウランバートル周辺では土地所有がみとめられるようになり、
定住する人の方が圧倒的に多くなってきた。

遊牧生活をしているのは国民の一割程度になっているのだそうだ。

ガンダン寺の裏に出た。
観光バスで来ると通らない道である。

敷地の横から寺領に入ると↑いくつも独立した名前を持つ寺の建物がある↑日本式に言えば塔頭(たっちゅう)
↑本殿に向かって右にあるこの建物は、2008年に寺で配られていた英語解説によればDechengalpa datsan(デチェンガルパ寺)。もとはウランバートルの中心にあったが1992年にガンダン寺に移築された。2023年に配られた英語解説では第四世ボグド・ジェプツェンダンパが1801年に創立したDuinkhor college(ドゥインコル・カレッジ)で、学問所としての役割を社会主義時代前まで果たしていた。1961年に規制が緩まると年に一度カーラチャクラ(チベット仏教の秘儀のひとつ)を行う場となり、1995年にはダライラマ14世が21回目の~チャクラをここで行った。二つの案内にある写真を比べると似ているが全く同じではない。改修が加えられたようにみえる。

上の写真で左に見えている本堂に入る

ここだけは入場料が書かれているが、誰もいない。

堂内に巨大な菩薩様の足が見えている。

足元にはダライラマ14世の肖像写真がいくつも飾られていた。

冒頭写真の巨大菩薩像は、もとは1912年にボグド・ジェプツェンダンパ八世=君主ボグド・ハーンがつくらせた。
1911年の辛亥革命で清朝の支配が終わり、モンゴル・ウルス(国)として独立した翌年である。
宗教指導者でしかなかったボグド・ジェプツェンダンパは、政治指導者=君主ボグド・ハーン8世に担ぎ上げられた。
この頃のモンゴルは政教一致で、その中心だったガンダン寺には五千人もの僧が住んでいたという。

しかし、この宗教国家としての独立時代は長く続かない。
中華民国が再び勢いを強めて侵攻してくるのを止めるため、
モンゴルがソ連の力を借りて社会主義国として独立した1924年からは仏教大弾圧がはじまる。
ガンダン寺の巨大菩薩は1939年にソ連により持ち去られて(たぶん溶かされて)しまった。

再建は1990年の民主化後。
すぐに再建計画がはじまり1996年に完成式典が行われた。

像は青銅で鋳造され、35㎏の金が塗られ、の内部は空洞。
「トラック三十台分の香草が詰められているのです」と
入口チケット売り場に戻ってきた僧が言った。
***
ガンダン寺にある多くの塔頭。

↑ここには高僧の墓があった
↑手前の台は五体投地に使われるもの↑

広い敷地を歩いていると、ひときわ古そうな建物に出会った↓

↑2023年の英語案内にはなかったが、2008年の解説に載っていた↑
↑14世紀に金文字で書かれた経を蔵している↑
↑初代ボグド・ジェプツェンダンパ=ザナバザルが1680年に母の求めに応じて描いた自画像もあるのだそうだ↑

近くにあったもうひとつの古そうな建物は↑ゲルの形状を留めている↑
↑こちらも2008年の解説から、1739年に二代目ボグド・ジェプツェンダンパがつくらせたものと分かった。
我々日本人は、ゲル=移動式住居を「簡易」で「一時的」なものだと思っているが、
モンゴル人にとっては何百年も使い続けられる建物だったのか。

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我々が到着してからずっと、
大講堂で行われている「講義」が大きな音で流されている。
ちょっと行ってみることにした。








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