17世紀の卓越した鋳造仏像を見ていて、
これを制作した「モンゴルのミケランジェロ」ザナバザルとはどんな人だったのか知りたくなった。
※こちらに他の作品も載せています
チンギスハーンの血をひく王族に生まれ、頭脳は明晰、頑健な大男だったと伝わる。
↑ザナバザル美術館にホンモノの手形、自画像があった↓
↓同じくザナバザルが描いたとされる↓ザナバザルの母の肖像
なるほどに似ている。
↑こちらは後年に弟子が描いたという↑
↑尊大さや近づき難さなどはなく、親しみやすそうな人柄が三百年後の今にも伝わってくるようではないか。
しらべていくと★ザナバザルにはたくさん呼び名があった
産まれてつけられた名前はYeshidorj(イシドルジ?)だったが
産まれる前から数々の吉兆があったので同時にUndor Gegeen(「高位の聖者」の意)と名付けられた。
チンギス・ハーンの末子トゥルイ(フビライの父)の末裔。
誕生の前年・1634年に没した高僧ターラナータの転生であるとダライラマ5世から認定された。
※ターラナータは1608年にチベットからモンゴルへ布教に来たチョナン派(赤帽派)の僧。
清朝から「ジェプツェンダンパ・ホクトク」の称号をうけた。
ザナバザルが転生活仏であると認定を受けたのは当時主流になっていたゲルク派(黄帽派)に転向したことで可能になったという説明もあった。
ザナバザルの呼び名はサンスクリット語のjinana-vajra(「智の稲妻」の意)のモンゴル風発音からきている。
いつからこの名前が通称になったのかはわからない。
彼は初代のボグド・ハーンと説明されることもあるが(ボグド【聖なる】とは呼ばれていても)ハーン(「王」「領主」のような呼び方)がついたのは第8代ボグドが1911年に独立モンゴルの政治的なトップになってからだろう。
チョイジンラマ宮殿に↑ザナバザルが留学したチベットから持ち帰ったと伝わる一千年前の仏塔があった。
彼が卓越した彫刻・鋳造の技術を身につけたのはチベットなのだろうか。
↑こちらはザナバザルがモンゴル帰国後に製作した仏塔↑
ザナバザルはソヨンボ文字を考案し、
そのデザインは今もモンゴル国旗に描かれている↑
ザナバザルの八代目の生まれ代わりが
1911年に独立した君主国としてのモンゴルのトップ=ボグド・ハーンである。
※2008年に訪れたその宮殿についてブログに書きました。本人の写真もありました。
八代目の生まれ代わりボグド・ハーンが1924年に没すると、社会主義国となったモンゴルは九代目の生まれ代わりを選ばなかった。
が、チベットのダライラマは密かに九代目を選んでいた。
2012年に没したという彼の写真をガイドさんが見せてくれた↓
2016年、モンゴルを訪れたダライラマ14世は
「十代目はモンゴルで生まれた」と述べた。
**
冒頭の立像の横からの写真↓
↑2017年、この像のレプリカが大粛清時代にインドに逃れた元高僧に贈られたニュースがネットにあった
※リンクします。動画の1分30秒過ぎにレプリカ像が贈呈されています。
※以下はニュースの要約
彼はGobi Noyon Khutagtの生まれ変わり。
1930年代の大虐殺時代に教師と共にインドに逃れた。
その後、1964年にカリフォルニアのバークレー大学に教師として招聘され移住。
活仏であることを自ら止めて還俗し結婚。三人の子供に恵まれている。
85歳になり、53年ぶりに祖国モンゴルから招待を受けて帰国した。
ダライラマ訪米の際には彼の家に宿泊した。
これを制作した「モンゴルのミケランジェロ」ザナバザルとはどんな人だったのか知りたくなった。
※こちらに他の作品も載せています
チンギスハーンの血をひく王族に生まれ、頭脳は明晰、頑健な大男だったと伝わる。
↑ザナバザル美術館にホンモノの手形、自画像があった↓
↓同じくザナバザルが描いたとされる↓ザナバザルの母の肖像
なるほどに似ている。
↑こちらは後年に弟子が描いたという↑
↑尊大さや近づき難さなどはなく、親しみやすそうな人柄が三百年後の今にも伝わってくるようではないか。
しらべていくと★ザナバザルにはたくさん呼び名があった
産まれてつけられた名前はYeshidorj(イシドルジ?)だったが
産まれる前から数々の吉兆があったので同時にUndor Gegeen(「高位の聖者」の意)と名付けられた。
チンギス・ハーンの末子トゥルイ(フビライの父)の末裔。
誕生の前年・1634年に没した高僧ターラナータの転生であるとダライラマ5世から認定された。
※ターラナータは1608年にチベットからモンゴルへ布教に来たチョナン派(赤帽派)の僧。
清朝から「ジェプツェンダンパ・ホクトク」の称号をうけた。
ザナバザルが転生活仏であると認定を受けたのは当時主流になっていたゲルク派(黄帽派)に転向したことで可能になったという説明もあった。
ザナバザルの呼び名はサンスクリット語のjinana-vajra(「智の稲妻」の意)のモンゴル風発音からきている。
いつからこの名前が通称になったのかはわからない。
彼は初代のボグド・ハーンと説明されることもあるが(ボグド【聖なる】とは呼ばれていても)ハーン(「王」「領主」のような呼び方)がついたのは第8代ボグドが1911年に独立モンゴルの政治的なトップになってからだろう。
チョイジンラマ宮殿に↑ザナバザルが留学したチベットから持ち帰ったと伝わる一千年前の仏塔があった。
彼が卓越した彫刻・鋳造の技術を身につけたのはチベットなのだろうか。
↑こちらはザナバザルがモンゴル帰国後に製作した仏塔↑
ザナバザルはソヨンボ文字を考案し、
そのデザインは今もモンゴル国旗に描かれている↑
ザナバザルの八代目の生まれ代わりが
1911年に独立した君主国としてのモンゴルのトップ=ボグド・ハーンである。
※2008年に訪れたその宮殿についてブログに書きました。本人の写真もありました。
八代目の生まれ代わりボグド・ハーンが1924年に没すると、社会主義国となったモンゴルは九代目の生まれ代わりを選ばなかった。
が、チベットのダライラマは密かに九代目を選んでいた。
2012年に没したという彼の写真をガイドさんが見せてくれた↓
2016年、モンゴルを訪れたダライラマ14世は
「十代目はモンゴルで生まれた」と述べた。
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冒頭の立像の横からの写真↓
↑2017年、この像のレプリカが大粛清時代にインドに逃れた元高僧に贈られたニュースがネットにあった
※リンクします。動画の1分30秒過ぎにレプリカ像が贈呈されています。
※以下はニュースの要約
彼はGobi Noyon Khutagtの生まれ変わり。
1930年代の大虐殺時代に教師と共にインドに逃れた。
その後、1964年にカリフォルニアのバークレー大学に教師として招聘され移住。
活仏であることを自ら止めて還俗し結婚。三人の子供に恵まれている。
85歳になり、53年ぶりに祖国モンゴルから招待を受けて帰国した。
ダライラマ訪米の際には彼の家に宿泊した。