旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

シャーマンなモンゴル~歴史博物館②

2023-09-19 08:24:42 | モンゴル
↑子供の服に狐の顔をつけて魔除けにするのだそうだ。
108の家から集めた絹の端切れをパッチワークしてつくられている(※2024年追記)

「子供に近づく悪い夢(?)を食べてくれると言われているんです」
ガイドさんもお子さんに同じような衣装を着せたそうだ。
国や民族によって様々な習慣がある。
それは迷信と言うより願いである。

モンゴル歴史博物館でイギリスのカンタベリー大学との「シャーマン展」を開催していた。

20世紀初頭のモンゴルのシャーマンたちの写真を見ると
北米のネイティブ・アメリカン(いわゆるインディアン)と似ている。

↑衣装やぶらさげているモノはだいぶんちがうけれど。

↑スートラはチベット文字で書かれた経典↑
だが、仏教が入ってくる前からシャーマンはいた。
人が神に祈るいちばんの目的はどの世界でも病気平癒。

↑シャーマンは薬を調合するためのスプーンを様々所持していた↑

↓シャーマンではない人々の衣装も外国人の目からは呪術的に見える↓

↓腰の帯から下げているこれは何?

↑男性の必携三種のうち「火打石」
あとは「ナイフ」と、

↑「箸」なのだそうだ↑

↑女性の衣装は帯がない
※2024年追記
未婚女性が帯をしなかった?
帯はモンゴル語で「ブス」、「無い」ことを「(ウ)グェ」(「クイ」に近い発音)といい、未婚女性は帯をつけない習慣から「ブスクグェ(クイ)」と呼ぶのだそうだ。男性は常に帯をつけているので「有る」=「テー」がついて、「ブステー・ホン(人)」。

↑首からさげている呪術的に見えるどうぐは?

↑女性用の必携は「お手入れセット」だった
どれがどこ用かはわからないが↑耳、爪、歯、そして舌のお手入れ道具まであった。
↑モンゴル各地の女性の衣装に共通していたのは、長い髪を収納する細長いケース。

***
「ツァム」舞はチベット仏教と共にモンゴルに入ったとされている。
仏教の神が活躍するストーリーではあるが、その動きや使われている面・衣装には多分にシャーマン的な要素が感じられる。

↑チョイジンラマ宮殿に保管されている「Begtse(「ベグツェ」)の衣装と面。

この赤い顔をした神こそがモンゴルの首都の名前のもとかもしれない。
Улаанбаатар 
Ulaanbaatar
ウラン(赤い)バートル(英雄)という名前は1924年にソ連が後ろ盾となったモンゴル人民共和国が成立した時につけられた。前年に若くして亡くなった革命の英雄スフバートルを記念しているとされる。が、社会主義が転覆した今では、この神こそがウランバートルだったのだと噂されている。




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